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なぜ私は百合作品を読むのか

文責: ヒャッホイ太郎
本稿は2018年11月23日刊行の『Liliest vol.1』に収録された記事の再録版となります。あらかじめご承知おきください。


 過去には「エス」と言われ限定されたシチュエーションしか描写されなかったジャンルも、「百合」という名前がついてから多様化した。しかしそうは言っても作品に出てくる百合描写には何らかの共通点があるように思う。これを分析することによってより百合への理解が深められるのではないか? と思ったわけである。
 分析は全体的に私の読んだものから主観で行っているため、かなり偏りがあると思われるが、大目に見ていただきたい(全体的に百合メインではない作品の百合も参考として述べているし、いわゆる”脳内百合”とかもある)。

① 押しつけがましくない心理描写

 百合ではないラブコメでの恋の表現というのはありきたりなことが多い。”壁ドン”や「胸の苦しさ」などという定型文然り、思春期に入って友人に助言を頂いてそれで判定しようとするなんていう展開、フィクションを好む方なら何度も見たことがあるだろう。大体は経験則的で確かめ方がはっきりしている。
 一方百合はどうだ。さてここで個人的百合作品最高傑作東大生大人気漫画一位(筆者調べ)の仲谷鳰『やがて君になる』(KADOKAWA/アスキー・メディアワークス)を引用しよう。

「少女漫画やラブソングのことばは、キラキラしてて眩しくて 意味なら辞書を引かなくてもわかるけど わたしのものになってはくれない」

仲谷鳰(2015)『やがて君になる(1)』p.3
KADOKAWA/アスキーメディアワークス

 いきなり恋の否定である。この主人公は恋に憧れる感情はあるものの、その当事者としての気持ちになれないことに思い悩むのであるが、その意識は物語の中で変化していく。しかし、その変化について直接述べることはほぼなく、比喩を用いるなど間接的にしか描写しない。間違っても「私、もしかして意識してるのかも」なんて陳腐な表現は出てこない。

「だけど劇が終わったら? そうしたら私はどこに行ける…?」

仲谷鳰(2015)『やがて君になる(5)』p.35
KADOKAWA/アスキーメディアワークス

 この駅で一人で考える場面、背景には終点まで先着する普通電車の案内、次のコマで七海燈子が線路を見ている様子を横から描いている。
 レールは「他者から予め決められた、自分のなすべきこと」を示す慣用表現としてよく用いられ、終点まで先着するというのはそれに他の選択肢がないことを暗示している。ホームとその下の線路を横から見るというのは、電車による自殺などを想起させる。以上のことは不安などと言ったりはしても、自殺などを言葉にするほどはっきり考えていない様子すら伝わる。この説明方法は丁寧だとは言えないが言葉で説明するよりもより正確に直感的に読者へ伝わる。

 多少の考察を要するものもあれば、以下のようなパターンもある。伊藤いづも『まちカドまぞく』(芳文社)より。

千代田桃 好きな食べ物:最近はうどん。

伊藤いづも(2018)『まちカドまぞく(4)』p.2
芳文社

 ”最近は”? はて、うどんに関するイベントなんてあったかいな。と思ったら1巻113頁でシャミ子にうどんを振る舞われているではありませんか。好きな人に関係するものが好きになっちゃう気持ちをそれとなく表しているんですねこれは。

 一話完結の作品では難しいが、様々な伏線が貼られていたり比喩が隠れていたりする作品は結構多い。百合というのはおおっぴらにはっちゃけるものではないので、胸の内に秘めた自覚すらしない感情というのを比喩や描写で関節的に描くことがよくある。それを見つけるたびに私は登場人物の思いを追体験した気持ちになれる。感情表現豊かな日本語でさえ表現に困る丁寧な心理描写がそこにある。

② 性的少数であるということ

 同性愛者であるというと大抵奇特な目で見られる。これを嫌う人さえいる。そもそも百合は男の八割が好きなものだと私は思っていたが、リア友に訊く限りそうでもないようだ。肯定的にとらえてくれるとは限らない。嫌悪される可能性だってある。その予測が告白の足かせとなっている。同様の理由で女友達にも相談しにくい。そうなると相当悩む。私はその葛藤が好きなのだ。彼女のことが好きだけど、これ以上近づこうとすると離れていってしまうかもしれない。その葛藤はまぎれもなく好意を原因とするものであり、だからこそ物語は華やぐ。物語が劇的になる。自分の葛藤が障害となる様子が、人間の美しさを眺めているようで好きなのだ。

③ 繊細な女の子の気持ち

 フィクション作品用にわかりやすくした性格というのがある。それは、個人の複雑な背景などを取っ払ってこういうときこうする、と傾向を過剰に単純化したもののことだ。とある評論家はこれを「キャラ」と呼び、現実でこれを演じる人が増えてきた、と述べた。
 しかし人間はキャラを演じることはできても、それになることはできない。楽観的とされている人でも泣くことはある。物事に無頓着な人間でも誰かに嫉妬することがある。百合作品はこのキャラと内心、平たく言えば本音と建前の書き分けがすばらしい。
 『ゆゆ式』は日常系だと言われているが、百合を茶化していないので実質百合作品である(要出典)。

「私の世界のまん中は 唯ちゃんなんですけどね とか…三人のときは冗談だけど 二人っきりだとマジっぽくてアレだな…」

三上小又(2010)『ゆゆ式(2)』p.71
芳文社

 ゆずこは唯にセクハラを仕掛けるグイグイ行くウザカワおバカキャラを演じているのだが、登場人物紹介でも言われているように勉強はできるし、ノリの違う人と話すときは「普通」(2巻76頁)に話せる。しかしこうやってキャラを演じるときにはやりすぎていないかなんてことを自分で考えながらそのキャラを演じる。この配慮がいかにも人間らしくて好きなのである。

④ リアリティ

 ラブコメでは大体主人公が相手とくっつく。それか有耶無耶にして終わる。失恋というオチはなかなかつかない。しかしどうだろう。いつも大団円で終わるとわかっていれば、予測できないという物語の面白みがなくなってしまうのではないか?
 百合はどうだ。暫定的な片思いではあるが、蒼樹うめ『微熱空間』(白泉社)の郁乃を考えてみよう。郁乃はあくまでもヒロインの親友という立ち位置。

「私が何をしたってそれは女同士のお遊びなんだから」

蒼樹うめ(2016)『微熱空間(1)』p.61
白泉社

 郁乃はどうやってもヒロインに意識してもらえないことに気が付き一人涙を流す。しかしそれと対照的に主人公とヒロインは徐々にイチャイチャしだす。

『フリッツフラッパーズ』(FliFla Project)のヤヤカには友情に関する強い感情を見いだすことができる。最終話、ココナとパピカが飛んでいるのを見ながら、力なく笑う。

 百合の好意というのは依存に近いものであるからその悲壮感がより強くなる。しかしその表現は確かに期待値を現実なみに厳しいものへと引き下げてくれる。片思いで終わる百合は、儚くも美しい。

⑤ 眼福

 そもそもですね、女の子はかわいい。現状の日常系のほとんどが女子高生を主役にしていることから明らかである。イルカ以上のヒーリング効果があるのだ。そしてそのポテンシャルを発揮するにはどうすればよいか。百合だ。女子の短い距離感によるコミュニケーションは邪なものを滅する。おそらく現実の女子同士のコミュニケーションはフィクションよりもずっと難解で入り組んでいるのだろうが、だからこそフィクションで毒を持たず触れ合うことに心を動かす作用があるのだ。

さいごに(ページを埋めるための文言)

 はじめまして。一回の鍋で四食分まかなう、ヒャッホイ太郎です。百合、いいよね。と興味本位で入った百合愛ですが実はリアルではメンバーの誰にもあったことがないんですね、これが。百合ってとても繊細なので文章にすると良さがうまく伝わらないので頭を抱えました。そもそも私は理系なので語彙が貧弱なんです。尊さはうまく共有できない。


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