【党首討論感想文】岸田総理と玉木代表の党首討論を見て思ったこと

さて、この展開はまったく想像していませんでした。
本日国会にて開催された党首討論。
国民民主党 玉木雄一郎代表が、岸田総理に辞職を求めました。

決して「岸田辞めろ!」というような、軽々しい言い方ではなく。
下唇をぐっと噛み、

『世界に冠たる日本を作るためには、世界の範たる日本である必要がある』
『失われた政治規範を取り戻すために』

と、その理由を述べて、総理に辞職の決断を求めました。

下唇をぐっと噛む玉木代表

いろいろと思うところはありますが、ひとまずは、今回の党首討論の全体について、感想を書いてみようと思います。

今回の党首討論全般について:

さて今回の党首討論、全体を見渡しての感想ですが、非常にもったいない討論になってしまったなあというのが率直な感想です。

本来の党首討論は、国家の基本政策について、互いに政治家として意見や考えを交わす討論会であり、普段の委員会質疑とはまったく性質の異なるものです。

しかしながら、憲法、外交・安全保障、経済・財政など、国家の基本政策と言えるテーマはまったくと言って良いほど深堀りがなされなかった印象です。

一人一人の討論時間が短く、深堀した議論ができる環境になかったこと。
「政治とカネ」問題をめぐり、政治の信任に関わる問題が目の前に大きく横たわってしまっていること。
その他さまざまな原因はあるでしょう。

しかし、『質疑』ではなく『討論』なのですから、たとえば岸田総理のほうから外交・安全保障の議論を切り出す…といったこともできたはず。にも関わらず、総理ご自身も「山積する課題に答えを出す」という趣旨の決意を述べられるばかりで…総理から反論する場面もありましたが、全体を通してみると、岸田総理も総論としては「やる気はあります」という姿勢を示すことに終始してしまったような印象です。

玉木代表の討論について:

続いて、玉木代表の討論についてです。約3分間という非常に短い時間でしたが、非常に印象的でした。

追記:「四面楚歌」発言について

冒頭、玉木代表は総理に「今、四面楚歌ではないか」と問いました。総理ご自身は「四面楚歌であるとは感じていない」と答えられました。この話を聞きながら、僕はいくつかの事柄を思い出していました。

一つは、ちょうどその日の午前中(だと思いますが)、調布市議会で満場一致で可決された、以下の意見書です。

この意見書、いわゆる「裏金問題」と、今般の政治資金規正法改正の問題点が非常に綺麗に無駄なく述べられておるのですが、ポイントは『自民・維新の会の会派の皆様のご賛同もいただき、満場一致で可決』したという点です。

実は遡ること2週間ほど前、僕自身、Xで次のように投稿しているのです。

今回の裏金に端を発する政治とカネ問題、一番悔しい思いをしてるのは、自民党内にもいる真面目にクリーンに努めてきた国会議員・地方議員さんとその支援者の皆さんでしょう。

https://x.com/utoka_da4/status/1798227186744521060

実際に自民党内からも、一層の改革を求めて執行部に対して声を上げ、働きかけている議員さん方もいると…おそらく自民党の議員さんを応援されている方かと思いますが、僕に直接、声をかけて教えてくださった方がいました。青山繁晴先生を中心に頑張っておられると。そして、「下から声を突き上げているが、なかなか執行部に響かない」と、忸怩たる思いを打ちあけて下さったんですね。

政治家でもなんでもない、ただの玉木ファンでしかない僕のところにすら、こういった声が既に届いているんです。はっきり言って異常事態ですよ。普段そんなことありゃしませんもの。

「岸田総理が四面楚歌であるか否か」というのは、言葉の綾かもしれません。しかし、こうして個人的に見聞したことを思うと、「四面楚歌であるとは感じていない」という総理のお答えには、違和感を持ったのが正直なところです。

世界に冠たる日本を作るために

そして玉木さんの討論の発言ですが、個人的には、たった5秒の一言が非常に印象に残りました。

『世界に冠たる日本を作るためには、世界の範たる日本である必要がある』

この一言です。

その後に続く、総理に辞職を求める部分も重要ではあります。もともと野党の中では比較的、岸田総理に否定的ではなかった玉木代表です。そのことは岸田総理ご自身も感じ取っておられたでしょう。言った玉木さんも言われた岸田さんも、決して軽々しい心情では無かろうと思うわけです。

(追記:おそらく玉木さんも、総理に辞職を迫ることで、これまでの態度が変節したと、「風見鶏」だと自分自身が批判を受けることも承知の上で、それでも言わねばと思って辞職を迫ったのだろうと思います。)

しかしやはり重要なのは、何故、これまで岸田総理にさほど否定的でなかった玉木さんが、職を辞すことを岸田総理に求めたのか―――求めざるをえなかったのか。

その理由として述べられた内容こそが、まさにこれなのです。

『世界に冠たる日本を作るためには、世界の範たる日本である必要がある』

世界の範たる日本:

「世界の範たる日本」。

その言葉を聞いて、戦後日本の歩みに想いを馳せました。
亡き祖父母から聞いた、あの時代の話です。

第二次世界大戦が終結した時、日本は焼け野原でした。
党首討論が交わされた、この東京もそう。
僕の故郷である浜松も、玉木さんの地元である香川も。
岸田総理の故郷広島は、いわずもがな。
本当に“何も無くなってしまった”んだそうです。

幼い頃、祖母に聞かされました。

本当になんにもなかったのよ。
食べるものも、着るものも、家も、街も、何もかも。
「働き盛りの男の人たちも、みんな戦争で死んじゃってねえ。」
そんな日本が、私が生きているうちに、こんなにすごい国になるなんて、あの時は想像もできなかったわ。

・・・”何もなかった”日本が、なぜ半世紀足らずで、世界に冠たる国家になれたのか。思うにそれは、『世界に範を示し続けてきた』からではないでしょうか。

一人一人の名もなき先人たちが、小さな欠片を積み重ねるようにして。

そうしていつしか我が国は、世界中の人々から信頼を得るようになったわけです。

「日本の人々のようになりなさい」と、我が子に言い聞かせて育てる母親。
「いつか日本に行くのが夢なんだ」と、目を輝かせる若者。
「日本企業なら信頼できる」と、100万ドルの契約書にサインする経営者。
そうした人々が、世界中にいると聞いています。

それはひとえに、一人一人の名もなき先人たちが、その行動でもって、世界に範を示し続けてきたからこそ。それによって得てきた、小さな、それでも掛け替えのない信頼の積み重ねがあるからこそ、日本は、『世界に冠たる日本』になれたのではないでしょうか。

そんなことを考えました。

世界に『冠たる』日本であるために:

今も尚、日本は世界に『冠たる』国であるでしょう。そのことを疑う気持ちはありません。しかし、この『冠たる日本』を未来に受け継ぐためには、弛まぬ努力が必要です。名もなき先人たちが、そうしてきたのと同じように。

『世界に冠たる日本を作るためには、世界の範たる日本である必要がある』

この言葉を今、“自分事”として噛みしめる思いです。

人によって、立場によって、役割によって、示すべき規範の在り方は異なるでしょう。

玉木代表がこの言葉を投げかけたのは岸田総理に対してですが、他人事のように総理を批判するだけでなく、翻って自分はどうなのだろうかと、自らの在り方を見つめ直すきっかけを頂戴したと、個人的にはそう感じています。

以上です。

追記:古川さん談話について

さて、本記事を執筆・公開した直後、おそらくほぼ同じタイミングで、国民民主党 政治改革・行政改革推進本部(古川元久本部長 )より談話が発表されました。

ぞくっとしました。
非常に近いニュアンスのことが書いてある。

「今や、幾多の先人の努力の積み重ねにより築き上げられてきた議会制民主主義や政党政治は、その土台を大きく突き崩されかねない極めて憂慮すべき事態となっている。政治家にとって国民の尊敬と信頼が最高の基盤であることを忘れ、政治家が政界内部にのみ配慮するようになると、国民の常識と遊離することになる」

 これは、現状を言っているのではない。平成元年、リクルート問題等による政治不信が高まる中、当時の竹下総理から諮問を受けた「政治改革に関する有識者会議」がまとめた提言の一部である。

出典同上

「政治腐敗は、つまるところ、政治倫理、すなわち、国民の常識を無視するところから生じる」

同提言は、さらにこう記す。我々は、「政治倫理」とは『国民の常識』であるとの考え方に立ち戻り、政治資金の問題をはじめとした諸課題について、『国民の常識』に照らして、どうあるべきかを議論していく必要があったはずではないか。

出典同上

我々、国民民主党は、『民、信なくば立たず』、政治に最も大切なのは国民からの信頼であることを改めて胸に刻み、政治資金改革を皮切りとして、政党改革、選挙改革、国会改革まで一体とした「令和の政治改革」を実現させ、次の世代にまで貫くことができる「正直で偏らない現実的な政治」に引き続き、全力で取り組み続ける。

『幾多の先人の努力の積み重ねにより築き上げられてきた』ものごと。
一人一人の『国民の常識』。

そうなんです。
一人一人の名もなき『国民』が、その『常識』として、高い『規範意識』を持っていたからこそ。我が国は戦後、何もないあの焼け野原から、世界に冠たる国家になることができたのだと僕は思っているんです。

そして、その『国民の常識』に反することが起きてしまったのが、あのリクルート事件だった。

その教訓を振り返り、『次の世代にまで貫くことができる「正直で偏らない現実的な政治」』を貫くこと。

期せずして先ほど、“この『冠たる日本』を未来に受け継ぐためには、弛まぬ努力が必要”だと僕自身も書いた通りです。

いやー…。
似たようなタイミングで似たようなこと考えてしまうもんですねえ。

この偶然に驚いたので、追記しておきました。
では、今度こそ以上です。