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1980年代PARISのMODEと日仏比較文化 -感性私的論-vol.1

狂乱のパリ

私が暮らしていた当時のパリは、一種のMODE狂乱期であったと感じる。

いつの時代も言われる事であろうが、かつてと現在とでは大きく感性が異なる情景が垣間見えるのは、私だけではないと思う。

何が違うのかと問われると、深度と哲学という言葉が浮かんでくる。深ければ良いとか、そういう事ではない。時代のマインドと言うべきなのかもしれない。80年代から90年半ばまでのパリは、かつてのパリを現在より色濃く背負っていて、クラッシックから脱皮するために、ファッションジャーナリスト達は、こぞってショッキングを探り、求めていた。歴史的遺産である石造りの重厚で精錬された建造物が整然と立ちはだかる街で暮らし、世界の流行を牽引するということは、そういう衝動になる時代もある。

COMME des GARÇONSやYohji Yamamotoは、東からの衝撃と称され、ひとつの時代の感性に、これまでの西洋の歴史に存在しなかった強烈なジャポニズムのエッセンスを与えていた。フランス勢はと言うと、JEAN PAUL GAULTIERが悪才を際立たせ、Christian Lacroixは華々しくオートクチュール界にデビューを果たし、Karl LagerfeldはCHANELを率い、王者Yves Saint Laurentが君臨し、その威厳と特有の変質ぶりでフランス文化の上に降臨していた。街の映画館では、ハリウッド映画のロードショーに列を成しはじめた光景も度々眼にしたものだ。ヌーベルキュイジーヌでPaul Bocuseがフランス料理に革命を起こした時代でもある。音楽は相変わらず冴えなく、そこが良いのだが、Les Rita Mitsoukoがよく聴こえていた。クラブは、大箱からプライベートルームへと遊び方に変わっていき、よりコアでディープを求めていった。街全体が次に移行するページを捲る為、時代のリーダー達の心は狂乱していた。

ファッションショー

物の概念

私も明らかにフランス人と違っていたと感じる。Studio BerçotというMODEの学校に通っていて、毎週出される課題の講評日のことを思い出す。昨晩も夜中まで一緒にクラブにいた同級生達は、シャツのデザインの課題提出に、皆んなは、有に50枚を超えるデザインを提出いていた。私は精々30枚程度だったと思う。課題に費やした時間は大して変わらない筈だ、その集中力の違いに圧倒された。加えて、もっと衝撃だったのは、デザインの概念の違いだった。

フランス人やイギリス人、ベルギー人、ドイツ人、デンマーク人、といった同級生らは、明らかにシャツという共通の概念の元、デザインを展開していた。解りやすく表すとすれば、シンプルな白いシャツがベースに存在していて、ポケットを着けたり、ボタンを大きくしたり、柄をのせたり、という事がシャツのデザインだった。かたや私のデザインは、シャツその物の構造をデザイン展開していた。私は衝撃を受けた。

講評では私の課題への評価は頗る高かったが、それは、私にはシャツの基本概念が無い故だ。ここが、西洋文化の中で勝負する要だと思う。KENZOは基本概念を捉え、フランス人に近ずいた。ISSEY MIYAKEは、東洋美を追求しアーティストと崇められた。

私は異邦人になってしまっていた。海外で生活した多くの若者たちが直面する事柄の一つである。私自身のアイデンティティーは、何なのかという自問自答を、私も問うことになったのだ。

凱旋門

若者達へ

日本との比較文化を学んでいた大学生達とのホームパーティーでのエピソードを紹介したいと思う。Versaillesに住むフランス人の旧家で開催されたパーティーに誘われた。其処には、日本人の私を目当てにフランス人、イタリア人、ポルトガル人とヨーロッパのフランスの大学で学ぶ、学生達が沢山訪れていた。日本人は私一人だった。挨拶もさながら、唐突に質問攻めにあったのだった。

フランス人のチャーミングな女性が浴びせてきた「貴方にとってHIROHITOはどう言う存在?」皆さんわかりますか。彼女は私へ、昭和天皇論を質問してきました。留学して間もない時だったので、19か20歳の私への質問としてヘビー過ぎました。質問されるその時まで、一瞬たりとも考えた事がありませんでしたから。これは、日本の教育の問題か私の拙さかと、答えに焦りました。間髪入れずに、イタリア人の女性が「神道と仏教は混在しているということは、どういう生活観なの?」これまた難解な質問で、実家が神社かお寺か、大学で宗教学を学んでいれば考える経験があったのではないかと思いますが、私にはその経験が無く、これもまた、初めて考えさせられる事柄でした。それらの質問に対して、私は答えていたのですが、余りに稚拙な答えだったと思うので記憶から消えてしまいました。

仏

アイデンティティーとは

私にとってのショッキングは、〝私は何者でもない〟という事に気付いた、ということです。いま振り返ると、その経験があったからこそ成長することが出来たと痛感しています。

いつか、自身のアイデンティティーを自身で問う時が来ると思います。または、現在そのことを問うてるのであれば、僭越ですが、一つだけメッセージを送らせて下さい。

好きな事や興味が赴くことに対してもっと貪欲に、もっと我武者羅にやり倒してください。

そこに答えがある筈です。


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UMOKUTOJI
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