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違う話

数日前からシェアハウスに人が来ているのだけど、誤解を恐れずに、失礼を承知で言うと、めちゃくちゃ変わっている人だ。彼のこれまでの人生の生きづらさをどうしようもなく感じさせられて、多様性を受け容れられる社会って難しいなあと思う。

僕自身、久しぶりに違和と出会って、いろいろなことを感じた。もちろん僕が感じている彼の生きづらさは僕目線のものでしかなくて、彼の口から「生きづらい」に相当する言葉は一度も聞かなかった。

けれど、この人の、こういう人たちのためにこそ、自分は何かを行動するべきではないのかと思ってしまう。自分が見ないふりをしたら他に誰が彼らと社会をするのだろうという自意識過剰な傲慢ではあるのだけど、何か、できないかなあ。

「違いを許す」が最近の僕のテーマであり課題です。このへん、自分はかなり寛容な方であるつもりだったのだけど、ちょっと自信がなくなってきました。

「寛容さ」って「興味のなさ」の裏返しであると思うんです。だから、人間関係を深めようとすればするほど自分と相手との違いを許せなくなっている自分を見つけて、ちょっぴり苦しんでいます最近。

そしてこの苦しさの源は自分の中だけにあるものではなくて、自分と相手との関係の中にそれぞれ存在するものである気がしています。ひとつの人間関係の中でお互いの許容範囲を探り合う、話し合う、決め合う、このくらいしないと納得ができないんだよな〜〜〜

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