記事一覧
Lies of Pはソウルライク界の達人王、になってくれ。
Lies of Pをプレイされましたか。
されていない方はこちらをどうぞ。否定的な記事ですが私も同意見です。
その昔、ゲームは難しければ難しい程良いという時代がありました。
これは冗談でも比喩でもありません。例えば1986年の作品ロマンシアは、キャッチコピーに「かわいさあまって、難しさ100%」と難度が高いことを強烈にアピールしています。
日本ファルコムがニッチ需要のために高難度ゲーム
何するゲーム?面白いの?好きなの? - 評価する行為の分解、の試行
私は常々、好きと嫌いと面白いとつまらないはそれぞれ個別に採点可能である、と思っています。
ここでの採点とは具体的な点数を付けることでなく、内容物の分析結果を比喩して表現することです。また、評価基準としては当然これらで足りるはずもなく、よく混同されやすいものとして好きと面白い、よく相関性があると思われているものとして好きと嫌い、を例に挙げました。
と、一から言うとめためたに長ったらしくわかり
ゲームと配信と人 - 視聴者としての観点と前回の反省
ブロードバンドインターネット接続は未曾有の通信量をもたらしました。画像や音楽を大量に送受信してもなお使い切れない情報ポンプに、乗せるべきものはもう、ゲームと動画くらいしかありませんでした。当時のギークは、P2Pで拝借したゲームに、P2Pネット対戦ハックのパッチを当て、P2Pでそのゲームのプレイを垂れ流すと、それを受信したギークがまたP2Pで誰かに中継します。挨拶は「死ね」。ゼロ年代初頭のインター
もっとみるクソゲーの効能・用法
いち消費者がゲームを批評するという烏滸がましい行為に挑む時、我々に必要なのは十分な準備と謙虚な姿勢です。向き合う際にはピュアに近い視点で取り組み、振り返る時には多くのサンプルと見比べ、最後に何と結論を出しても、所詮自分は創作物にたかる蛆虫の一匹だと頭を低くして生きる位の覚悟で臨むべきである……私はゲームのほうが人より偉いと信じて生きているビデオゲーム信者です。
ところで、クソゲー、やってます