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郁田はるきGRAD感想


郁田はるきさんのGRAD

プレイ済み推奨感想文章


①線なんてない


「線で描かないこと」———この印象的な言葉で始まるコミュは、併し再読すると次につづく言葉もまた、同等に重要なのだと実感させられる。これは郁田はるきが「気づき、取り戻し、前進する」話であり、よってこの段階で既にそれは示されている。

郁田はるきGRAD【線なんてない】より

「よく見て」と。言っているのだ。書かれている。最初から———これがこの郁田はるきGRADの白眉であろうし、そうしてこれに続く言葉も重要だ。「線なんてないでしょ、全部」それはそうだ。とはいえ、線を描かずに絵を描くことは不可能ではない。不可能ではないが、併し困難だ。そうして絵に限らず、私たちは、この社会で(様々な立場の、多数の人間にとってより快適に・わかりやすく)生きていくために、多くの線を引いている。線とは境界であり、分類だ。それによって「見えやすく」なった世界は、併し、実際の像———石膏像とは異なっている。取りこぼしている。取りこぼされたものが、ある。とまれこのシーンはアートスクールではるきが講師から指摘を受ける場面である。そうして次に、ボイスレッスンでトレーナーから「———また遅れたね」と、これも指摘を受ける。感情に流されているとトレーナーは指摘するが、このはるきの身体的な状態・ずれには既視感がないだろうか。PSSR郁田はるき【HOPELAND】で頻出された「あふれる」である。つまり現在のはるきは感情が「あふれて」しまうあまりに歌が適切に歌えていない、という技術的な問題に直面していることが窺える。

「線で描かないこと」「感情に流されちゃだめ」

この言葉を思い浮かべるはるきは、アートスクールの講師が言った「もっとよく見て」を忘れている・上記の言葉にとらわれている状態ではないだろうかと思われる。

そんな折に着信があり、地元の美術館から現在の郁田はるきの絵を展示したいと依頼を受ける。場面は変わり事務所。別室で作業していたプロデューサーに気づかない程思考に没頭しており、はるきが思い悩んでいることが窺える。尚この「思考に気を取られ現在が疎かになる傾向」についてはプロデュース画面のボイスからも読み取れる。
はるきに多くのオファーが来たことを喜びながら報告するプロデューサーと、GRADとの並行、芳しくないレッスンのためか若干表情を曇らせるはるき。

②光はどこ


バラエティ番組の打ち合わせで「ストイックな真面目キャラ」を求められ驚くはるきから始まる。はるきが驚いた背景にはボーカルレッスンもアートスクールのレッスンもうまくいっていないことがあるが、注目したいのはここでもアートスクールの講師から「もっとよく見て」と言われている点である。


郁田はるきGRADコミュ【光はどこ】より

またここでさらに「光ってない」と言われていることにも着目したい。明暗を描くことが重要な要素である石膏像で、はるきの描いたものはひかっていない。これははるきの心象の暗喩でもあるし、はるきが光を(しっかりと)見えていないことを表してもいると思う。とまれここでは「パフォーマンスだけでなく勉強も抜かりない、ストイックで真面目な郁田はるき」という求められる偶像と、はるきの自認とのすれ違いが描かれている。
自分ができていないことは分かっている。分かっているが、ではどうすればいい?
そうして現在の自分では「できない」と、はるきは地元の美術館からの依頼を断る判断を選ぶ。
コミュタイトル【光はどこ】にあるように、ここでのはるきは自分の外にも内にも光を見失っている・見つけることができない状態である。

③対価、もしくは


スクールもレッスンも仕事も「うまく」できないはるきに、畳み掛けるように(スケジュールの都合とはいえ)番組の卒業が重なる。
いっぽうで、ここではるきは卒業祝いに貰った花束に寂しさを「感じる」。それは「見る」ではないが、この花が枯れることが寂しい、と言い、そうして花の香を味わう。挿入される回想———かつて幼いはるきの描いた絵について、親戚のおじさんは「匂いまでしてきそう」と評していた。そう、表現できるのです。「見えない」香り。消えてしまう、いま、ここ、現在の花束を。それを回想しながらはるきは———どんな絵だったかな、と。最早それを思いだせない自分に気づくのです。頑張れば褒めて貰えた昔はよかった。いまは、頑張っても、頑張っても、届かない。思うようにできない。求められているものを差し出せない。否、求められている以上のものを出さなければならない。ここではるきは共演者の「ま、所詮は使い捨てなのよね、みんな」という発言に「それは」と言い、次に「世界は線でできていない」と冒頭の言葉を繋げる。「わたしは、何が差し出せるだろう これ以上」と呟いた背景が、青白く燃える炎、種火めいた画像であるのが印象的です。ここで描かれているのは諦めや虚無感のようでもありますが、併しはるきには熱い、青い火が灯っていることも示されている。【対価、もしくは】 は接続部の要素の強いコミュですが、それ故に「ここからどうなるんだろう」とわくわくさせられる内容でもあります。また、このコミュではるきが自分について「まじめ」という表現が与えられることに距離や違和感を抱いているようにも見受けられます。「まじめ」という言葉からイメージされるものは大抵、【HOPELAND】でのキーワードでもある「あふれる」とはかなり離れた位置付けをされる言葉です。「まじめ」という鋳型に押し込まれること。現実とは異なる「わたし」を求められることに、はるきは心理的、或いは身体的な窮屈さを感じているのではないでしょうか。

④イノセンス


芳しくない撮影。アートスクールではとうとう、手を動かさずに「見る」だけに時間を使ってください、と。より直接的な指示が出されます。
撮影現場にて、そんなにたくさんのことをやってるんですかと驚かれたことに対し「やらないよりは…」と返すものの、あなたがそのように思えることそれ自体が「純粋ですね」とはるきは評される。リフレインするのはアートスクールの講師の「純粋に、無垢に、石膏像を見てください」という教え。今更な所感ですが、このアートスクールが「灰いろの空間で」「黒と白の濃淡だけで」描くというのは、カラフルな色彩や光といった印象の濃い郁田はるきとは遠い感じがします。
場面は変わりプロデューサーとの会話。アンケートを忘れていた(レッスンやスクール含めはるきのスケジュールはかなり混み合ったものになっているという表現ともとれるし、恣意的な読みではあるが、これも「あふれて」いるのではないだろうか。)ためその質問への回答をする場面ですが、絵を始めたきっかけは?という問いに対する独白が以下。

郁田はるきGRADコミュ【イノセンス】より

ここで表現される独白から感じられるのは息苦しさや遠さ。閉塞感や窮屈さです。前のコミュの振り返りですが、あの頃はよかった。では、現在は? 郁田はるきは現在の自分をどのように捉え、どのように在りたいと望むかが問われている。

郁田はるきGRADコミュ【イノセンス】より

この問いは前回の「まじめ」にも通ずるように思われ、そうしてプロデューサーは「どうだろう」と前置きした上で、「はるきはどう思う?」と問いかけます。少なくともプロデューサーの目には、純粋であること、或いは純粋と評されることを、はるきが恥じているように映っている。これはひどく個人的な読みほどきですが、はるきが自分自身を「純粋」だと思っていない・自分を「あふれた」存在だと思っているからこそ、「純粋」や「まじめ」といった表現に羞恥や抵抗、息苦しさを感じるのではないでしょうか。又、これは同ユニットに絶対純白領域な鈴木羽那が存在していることも背景にあるやもしれません。とまれ筆者が主張したいのは、郁田はるきの自認は「まじめ」でも「純粋」でもないということです。

同コミュより

過去と、すこし前の過去。はるきの回想。はるきの永遠性への希求は以前からみられた傾向(筆者は【遠き明滅】は郁田はるきの永遠論であるとみています。「わたしはもう、からっぽではいられない 永遠に焦がれながら過ぎゆくをそっと抱きしめる あの光を わたしはけっしてあきらめない」そんな決意と独白めいたコミュであったと。)ですが、ここでもそれが顕れます。つまり、郁田はるきの永遠。「わたし」が「みた」世界・光を「永遠」にしたい———そういった形のものではないでしょうか。そうしてそれは、枯れてゆく花、世界の理、時間、を否定する。みずから進んで世界から「あふれる」在りかたこそ、郁田はるきの求めるものではないかと思います。これらの原点を振り返り、はるきの選択が次のコミュで描かれます。

⑤決壊


堂々たるコミュタイトル。これは【HOPELAND】の「あふれる」の言い換えと読み取ってよいでしょう。
冒頭から「光は どこ」「もっと、光を」と光を希求する衝動めいた欲求が描かれる。郁田はるきとはなにか? 光を求める個体である。これは【遠き明滅】を筆頭に斑鳩ルカに対する郁田はるきの感情や欲求のようなものとしても描写されてきました。郁田はるきは光を「見る」個体である。

郁田はるきGRADコミュ【決壊】より

このコミュでふたたび郁田はるきはみずから「見る」ことを意識し、同時にプロデューサーに「みててください」と求める。この部分はWINGでも描かれていたように思います。郁田はるきは光を「見る」者であり、同時にプロデューサーという自身の観測者を求める。又、ここの「みんなを惹きつけるような空気」は前述の通りはるきがルカに感じたものとしても描かれている。

同コミュより

見えないものと見えるもの。それらを想いながらパフォーマンスを行ったはるきに「静かな炎みたいなものがみえた」とプロデューサーは評する。描くことよりも先に「見る」ことが好きだった・それを取り戻した目でプロデューサーを覗き込んだら「わたしを押し出す 波が流れ込んできて」。この発言も又、はるきの「あふれる」であり、【HOPELAND】での空と海を「見た」はるきの描写とも重なります。
もっと見たい。聞きたい。わたしの輪郭があふれそうなくらい。そんな衝動を抱えたはるきは矢張り、「あふれる」存在であり、「あふれたい」欲求を抱えているように思われます。

GRAD勝利コミュ


ここでも又、輪郭を失う程呑まれたい、自分自身から「あふれ」たいはるきの想いが描かれます。優勝おめでとう。


総括


とてもよいシナリオでした。おもしろかった! とても丁寧に描かれていて…… 【HOPELAND】やWINGの要素を拾いあげつつ、郁田はるきについてより知れた気がします。GRADというソロ活動中心のシナリオであることによって、斑鳩ルカという光から視線をはずしたはるきが描かれたこともGRADならではで興味深く、「線では描けないもの」についての描写も単純な二元論で終わらずよかったです。とはいえ郁田はるきが「あふれる」存在である以上、はるきは二元論におさまらない、身体の輪郭からすら「あふれ」て存在する。光を求め、見詰める存在。自分自身も又、無限の色彩、ひかる、惹きつけるものになろうとしている。それがうまくいかないもどかしさ、窮屈さを抱きながらも表現の欲求を抱えた郁田はるきの今後がたのしみになるシナリオでした。

2024/10/23

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