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飯が不味くて生きていけるか

明け方眠りについた土曜日の正午過ぎ、午後一の便の配達か、インターホンが鳴った。リモートワークのおかげで自分で頼んだ宅配便は平日に受け取りきったと思っていたはずだったが、昨晩買い物した覚えのない「配達予定日」のメールを確認したところだった。
インターホン越しに軽く返事をして寝巻きのまま玄関口に立つ。受け取った荷物の依頼人はあまり見慣れぬ名前だった。親友の旦那だ。付き合って数年、結婚してもう1年以上になる。友人の彼氏に似た響きの名前が多く今までちゃんと字面まで覚えられなかったが、彼女が結婚して苗字が変わる機に初めてその旦那となる人の名前を意識するようになった。そして、梅雨の真っ只中、彼女が元気な男の子を出産したことを機に、父親から一文字もらった子供の名前を覚えるにあたって、やっと覚えることができた苗字と名前だった。
宛名が貼ってあるだけのシンプルな白い段ボールを、部屋に持って入る。ベッドの上に荷物を置く。厳重なほど何重にも貼ってあったビニールのテープの行先を、途中で何度も見失いながらまた端を探して剥がし、ついに反対側まで剥がし切ったところでゆっくりと蓋を開いた。
子供の写真が大きく貼ってある。「我が家の新米」と書かれているそれは、米袋だった。3300g強、子供と同じ重さの米を内祝いとして送ってくれたのだ。
片手を袋の下に入れて持ち上げると少し重い。もう片方の腕も反対側から回して両腕で抱えるように持つ。ちょうど乳児を抱くような形になった。やはり両手で抱えても重さを感じた。その重さは、海を超えた島に住む彼女が今日も腕に感じるその小さな生命と同じ重さか、と思うと随分と愛おしく感じた。

炊飯器から釜を出す。袋を開けて、2カップ分を取り出して、米を洗って炊飯器をセットする。
夏バテと鬱期が重なって外に行くのが億劫になり買いものにも行けずに家にあるものだけを食す日が3週間続いたが、その日は偶然にも精神的にやっと買い物に足が向いた一日前、夏野菜のきゅうりと水なすを買って3種類の漬物を作っておいたところだった。
自分は何もしていないのに、米が炊けるまでの一時間はずいぶんと長かった。シューっという音と共にご飯が炊ける匂いが仄かにする。
スイッチを押して59分後、耳によく聞いた炊飯器のメロディが鳴る。ご飯が炊けた。
真っ白の艶がある米粒をお椀にしっかりと盛った。

いただきますと手を合わせて、箸を手にして米を口に運ぶ。一口含んで、モチモチとした食感を味わった。甘くておいしいお米の味だ。
つい先日まで死にたいと思っていたのに、ご飯が美味しい。この世に生ける親友の子供の生命が嬉しい。

よく噛んでから飲み込んで口の中が空になってからふうっと息を吐いた。吸い込んだ息はほのかに口に残ったご飯の味でさらに胸を満たすようだった。
胃が満たされる。胸が満たされる。生きていることを実感する。

ご飯が美味しい。明日も生きていなきゃいけない。

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