くちなしや奇譚~小棹と洗蔵~第5話「梁山泊」
「魂って、霊魂が見えるというのですか」
うたちゃんがこわごわ聞いた。
「いつも見えるわけじゃなか。人によって違う」
「魂の色がわかるときがあって、目を凝らしたら霊のようなものが見えるんだ」
洗蔵さんが辛そうに答えるので、うたちゃんもそれ以上は続けなかった。
水田の梁山泊
水田の里が近づくと田畑が増えてきた。やがて藁葺きの一軒家が見えてくる。
山梔窩だ。
今は日が落ちてよくわからないものの、父上が毎日手入れしているので、周りは草が茂ることもなくすっきりしている。
畑にはいろいろな野菜が育っていた。
もう夏が終わり秋になろうというのに季節外れのホタルだろうか。
「わあ、キレイ」
「いかん!」
うたちゃんが手を伸ばそうとしたら、洗蔵さんが制した。
マムシの目が光っているのだという。
「ヒッ」
洗蔵さんに魂が見えるという話しを聞いたばかりだからか、うたちゃんは必要以上に後ずさりした。
わたしはといえば、戸の隙間から漏れる灯りと賑やかそうな空気に気を取られていた。
「あら、どなたか来られているようね」
自然と言葉が漏れた。
珍しいことではない。父・真木和泉は蟄居を命じられているのだが、その人柄を慕って周りの人々が集うのが日常の景色だった。
「山梔窩塾」を開いて多くの門下生たちに講義を行い、習字や詩歌を教えたり相撲、弓道、剣道も手ほどきしている。
しかしさすがのわたしも、玄関から中を覗いて驚いた。
母・睦子や(大鳥居)理兵衛おじさんはまだわかるが、近頃よく顔を出すようになった勤王の志士・平野国臣殿と清川八郎殿まで居るではないか。
きっと鳩が豆鉄砲を食ったような顔をしていたことだろう。
「あら、小棹、うたちゃんも、遅かったわね。お客さままで連れて。どうぞお入りください」
母上が明るい声で挨拶するので、洗蔵さんが恐縮しながら歩を進めた。
「いやこれは。月形殿ではないか」
驚いたのはわたしだけではなかったようだ。平野国臣殿が目を丸くした。
わたしから溝口竈門神社での出来事と洗蔵さんに助けられたことを話した。
「それは礼を言わねば。ありがとうござった。まあこちらで一献」
無口な父上にしては最上級の感謝の言葉だろう。しかも洗蔵さんを気に入ったのか早くも上機嫌である。
「ささ、今日は理兵衛さんから矢部川で獲れた鯉を頂いたから、こちらもお召し上がりください」
母上は皿に盛られた鯉のあらいと、腕によそった鯉こくを勧めた。
鯉のあらいは、鯉を薄い切り身にして湯洗いで引き締め、すぐに冷水で洗いさらに締めたもので、刺身よりも臭みがなく歯ごたえがある。
鯉こくは、鯉の切り身を味噌で煮込んだもので、味噌汁よりもこくがある。
どちらも獲れたての鯉を食すほど臭みがなく、矢部川の清流で育った鯉ならばなおさら美味だろう。
鯉はすでに平安時代から栄養豊富な魚として知られ、高級魚だった。江戸時代には将軍に献上されたといわれる。
「里中の隠れ家にこれだけの壮士が顔を並べ、酒と馳走を前に世のことを談じるとは、まるで梁山泊のようですな」
愉快そうにたとえたのは清川八郎殿である。
中国は宋の時代の史実をもとに書かれた『水滸伝』のことは父上から聞いたことがある。悪徳役人がはびこり腐敗した朝廷を正そうと、108人の豪傑たちが集結する。その舞台が「梁山泊」と呼ばれた。
黒船でやってきたペリーからアメリカ大統領の国書を差し出された江戸幕府は、朝廷の許可なく開国に踏み切った。それによって尊王攘夷派の動きが激しくなる。清川殿が天下国家を論じる漢たちの集まる山梔窩を「梁山泊」になぞらえたところ、お互いに酒を酌み交わして大いに沸いた。
筑後地方は灘、伏見とともに三大酒どころとして知られる。現久留米市から八女市にかけて江戸時代より続く酒蔵は多い。
古きは久留米長町より延宝5年に移転した330年以上の歴史をもつ、藤娘・後藤酒造場(延宝5年・1677年/)がある。さらに若竹屋(元禄12年・1699年/田主丸町)、繁桝・高橋商店(享保二年・1717年/八女市本町)、花の露(延享二年・1745年/城島町)、山の壽(文政元年・1818年/北野町)、山口(天保3年・1832年/北野町)、瑞穂錦(安政元年・1854年/大善寺町)、千年乃松(安政2年・1855年:2019年より休業/北野町)、有薫(嘉永3年・1850年/城島町)など老舗が今も残っている。
ちなみに真木和泉の妻・睦子の実家は久留米瀬下庄屋町・石原家だ。「木屋」の屋号で材木・酒造業を営んでいたという。
「月形くんも遠慮せんと、もっと飲まんね」
父上に勧められて杯を傾け、洗蔵さんも緊張がほぐれてきたらしい。
声がよく通るようになった。
六帖二間ほどの「水田の梁山泊」では、隣の部屋まで話し声は筒抜けだ。聞こえたところでは、平野国臣殿は洗蔵さんと同じ筑前藩だが、今は脱藩の身らしい。
同じ尊王攘夷派でも2人の意見は食い違った。平野殿は薩摩藩の尊攘派と通じて討幕のため江戸に出兵するべきだと考えているようだ。対して洗蔵さんは筑前藩主・黒田長溥に藩として「勤王」の立場であることを明確にすれば同志が集まるはずだと訴えているらしい。筑前藩による討幕にこだわっているようだ。
父・真木和泉は久留米藩から謹慎処分を受けている身である。自藩を動かすことの難しさを痛感しただけに、薩摩藩に呼びかけて討幕を決行するという。あくまで聞こえてきた話しをわたしなりに理解したところ、そんな風だった。
清川八郎殿については、薩摩と手を組むという点で父上や平野殿に話しを合わせていたようだが、わたしにはつかみ所がないように感じられた。そもそも清川殿は頭は切れて弁は立つけど、何かを隠しているような気がしてしょうがない。
大人の男たちが、酒の勢いも手伝って熱く語るのを聞いて、わたしも黙ってはいられなくなった。父上が文に書いていた「心ばせは清々しい」(ためらいがなく思い切りがよい)とはこのことか。
宴のなかに入って口を挟んだ。
「あの、わたくしからもよろしいでしょうか。皆さまのお話しによると、藩として討幕に動きそうなのは薩摩と長州かと存じます。両雄を説得して手を結ばせることを方策とすればよいのでは・・・」
「ほう、聡明な娘さんですな」
清川殿が目を光らせて、何かを続けようとしたところ・・・。
「小棹。我々は大切な話しをしているのだ。さがっていなさい」
父上に窘められた。
女たちの尊皇攘夷
母上が慌ててわたしの袖を引き、隣の部屋に連れ戻した。
「おなごが余計な口出しをしてはならぬことは分かっています。でも、思いが溢れて我慢できなかった・・・」
わたしが縮こまるように詫びていると、母は叱るどころか優しく語りかけてくれた。
「いいのです。おなごも言いたいことをはっきり言える世の中になりつつあるのです。そんな風にあなたを育てたのはほかならぬ、あの人なのですよ」
「父上が・・・。そういえば、先日の文にも『人は、男女の差別なく何よりも心ぞ大じのものなりける』『心だにめでたく侍らば、ぶきようにしてもよき人たるべし』とありました」
「でも、おじさんは、小棹ちゃんにさがっていろって」
うたちゃんが不満そうにしていると、母上が答えた。
「和泉さんは、小棹がおなごだから窘めたわけではないの。客人と話しているのを隣の部屋で聞き耳をたて、横やりを入れた小棹の態度を叱ったのよ」
母上の指摘が身に染みた。まさに『心だにめでたく侍らば』(心の持ちようが素晴らしければ)という言葉に反する言動ではないか。
「うふふ、でもね、実はわたしも言いたいことはいっぱいあるのよ」
いたずらっぽく微笑んだ母上の言葉に耳を疑った。
「尊皇攘夷っていうけど、言葉に踊らされているような気がするの。天皇を敬うのは大切なことだけど、なぜ異国の者を追い払うことにつながるのかしら」
「それは、黒船がやって来て大砲を撃ったからじゃないと」
うたちゃんがすかさず答えた。
「そう。大砲を撃たれちゃ困るわよね。でも、からくり儀右衛門のことは知っとろう」
からくり儀右衛門は久留米出身の発明家・田中久重のことだ。
「あの方は、南蛮渡来の時計を見て、外国の技術を取り入れて自分なりの和時計やからくり人形を発明したろうが」
「勤王の志士は攘夷ばっかりで、異国のよいところまで潰そうとしよるっちゃない」
母上がいつになく饒舌だ。
確かに、大きな黒船を動かす技術や、見たこともない煌びやかな装束、歩きやすそうな履き物など、もし自分たちも体験できたらどんな気持ちになるのだろう。想像するだけでワクワクする。
「すごいよ、おばさん」
「父上たちにも聞かせたい」
うたちゃんとわたしは興奮していた。
「わたしもさすがに、あの勤王の志士たちの中に入ってこげなことは言いきらんけんね。こっちの部屋はさしずめ女梁山泊たい」
「あはははは」
母上の言葉が可笑しくて、三人で腹を抱えて笑った。
今宵は、女三人で理兵衛おじさんの家に泊めてもらうことにした。
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第一話「予感」 小棹の胸騒ぎ
第二話「出会」 侍の正体
第三話「告白」 離縁の真相
第四話「禁断」 洗蔵の独白
第五話「梁山泊」 山梔窩での密談
第六話「落武者」 謎の祠での死
第七話「怨霊」 按察使局伊勢とカラス
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※画像は『イラストAC「ピクセル化された風景11(作者:ぼうぶら)」』および『フォトAC「酒屋が貸し出していた通い徳利(作者:matsuemon)」』より