山岸潤史になれなかった俺へ「3回聴けば前を向ける歌」を贈ろう【エッセイ】
山岸潤史というギタリストをテレビで初めて見たのは高校生の頃だ。
当時はクリスマスシーズンに合わせて、ミュージシャンをフィーチャーした特番を放送していた。
矢沢永吉やジョニー大倉によるバンド・キャロルのライブや、さまざまなアーティストが集結した野外フェスなど貴重な映像が見られた。
あるとき、ソウルシンガーの上田正樹がバンドをバックに歌っていた。
まだ『悲しい色やね』がヒットする前で、私も名前ぐらいしか知らず、バンドが「サウス・トゥ・サウス」であったかすら定かではない。
上田正樹は数曲を披露してステージが熱くなったところで、誰かを招き入れた。
ジョン・レノンのように肩まで伸びた髪の毛を振り乱し、エレキギターを弾きまくりながら登場したのが山岸潤史だ。
私は上田が「山岸潤史」と紹介したから名前を知ったが、なにより彼のギタープレイに度肝を抜かれた。
ジミ・ヘンドリックスのように爆音でアドリブしまくって、頭の後ろにギターを回して弾いたり、マイクスタンドに弦をこすりつけてスライドギターのような音を出したり…。
私はまるでフリージャズのようなアドリブを目の当たりにして衝撃を受けた。10分ぐらいはソロでアドリブを弾きまくっているように感じただろう。冷静に考えても5分以上は弾き続けたと思う。
※2015年夏、日比谷野外大音楽堂で行なわれたフリーコンサートでCharとコラボする山岸潤史。
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ボロなセミアコを手に入れる
私はそれまで吉田拓郎や井上陽水、かぐや姫にハマっていた。親にねだって1万5千円の東海楽器のフォークギターを買ってもらい独学で練習したものだ。
しかし山岸潤史を見たあの日から、頭の中は「アドリブを弾きたい」という情熱で占められた。
同じ高校の軽音学部に入っていたクラスメイトが、セミアコタイプのエレキギターを「こんなボロでよかったら」とくれたときは小躍りした。
私は部活をしておらず帰宅部だったので、家に帰ればギター雑誌『ヤングギター』に付属していた「山岸潤史ギター教室」を見て毎日毎日、ギターばかり弾いていた。
音楽の授業は苦手だったが、ギターへの情熱はそれを凌駕するものがあったのだろう。独学で「ペンタトニックスケール」を覚えるとアドリブもさまになってきた。
やがて親からグレコのストラトキャスタータイプを買ってもらい、ボロなセミアコと別れを告げる。
その頃にはジェフ・ベックやオールマン・ブラザーズ・バンド、B.B.キングなどリスペクトするギタリストも増えて、ますますアドリブにのめり込んでいた。
しかし世の中はそんなに甘くない。その頃から挫折が続く。
ある日、父親から和室の応接間に呼ばれた…。
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