見出し画像

【自分史】印象に残っているエピソードとか主な転機とか

1960年 福岡県に生まれる。


保育園時代:早くも漫画好きでテレビっ子

・お絵かきのときに、クレヨンで『ビッグX』を描いて先生に褒められた。
(しばらく保育園の壁に飾られていたような…今や絵心皆無なのが信じられません)


・下痢が止まらず赤痢の疑いで初めて救急車に乗せられて入院(検査の結果、赤痢ではなかった)。

退院する際の消毒で、愛読していた『鉄腕アトム「地上最大のロボット」プルート』の漫画誌をボロボロにされ泣きじゃくる。


幼稚園時代:漫画や図鑑が好きな割りに虫取りにハマるわんぱくぶりを発揮。

・幼稚園の送迎バスが朝のお迎えに来ても、社宅の原っぱで虫取り網を手に蝶を追いかけてなかなか乗らず…

先生は気長に待ちながら「今どき野性的で元気があっていいですね」(おおらかな時代っ!)。

・注射が嫌いで園庭の東屋の屋根に登って降りずに先生を困らせる。

・初恋はたぶん幼稚園のときに…


小学校時代:たぶん人生で一番のモテ期だったと思う(個人的感想)。

・図鑑や百科事典を読むのが好きだった 「昆虫博士」「怪獣博士」と呼ばれて調子に乗った時期(子どもあるある)。

・音楽の時間に歌のテストで先生のひと言がトラウマに。

・授業でグループに分かれて研究発表する際、模造紙にマジックで書いてまとめるのが上手くて重宝される。
(女子から「すごーい」と言われて舞い上がる。オレの勘違い人生はこの頃から始まったのかも…)。

・5年生頃に1回だけバレンタインチョコをもらう(これが人生最大のモテ期)。
ホワイトデーの知識などなく、相手にお返しどころが返事すらせず(ごめんなさいFサキさん)。
ちなみにハート型のチョコは大切に机の引き出しで長期間保管していたら白く変色してしまった(涙)


中学生時代:地域でも噂の荒れた学校に進学。いつも戦に出るような心境で登校していた。

当時は『愛と誠』や『『男一匹ガキ大将』が大人気。中学生も影響を受けて不良がカッコイイという風潮が蔓延。

わたしは不良にはなれず、かといって不良のいいなりになるのも嫌。不良を相手に距離を保ちながら学校生活を送る。

どれほど荒れていたかというと…

たとえば廊下を歩いていたら不良が教室の中からガラス窓に投げつけた牛乳のテトラパックが、ガラスを割って直撃。制服が牛乳だらけになったり。

あるときは、名うての不良が中庭で包丁を持って暴れたため警察数人が出動。警棒で一撃して事態を収束させるようなことも。

・ビワ事件。学校の近所にある民家のビワの木になったビワの実をクラスメイト数名で収穫(勝手にとってすみませんでした)。

教室で囓っていたところ、クラス一の悪ガキが実習の女先生(女優の榊原るみに似た美人)に向けて投げつけた。

先生に直接当たりはしなかったが、黒板にヒットして果実が飛び散った。女先生は泣きながら教室から飛び出してしまう。

直後に怖い物理の先生が血相を変えて怒鳴り込んできて「お前ら榊原先生(仮称)に何やったんだ!」 で大問題に。

わたしの母親も学校に呼び出されて一緒に謝ってくれた。今思えばとんだ親不孝息子で本当に申し訳ない。

・ビートルズや吉田拓郎、井上陽水、かぐや姫にハマる。

・同級生に泉谷しげる『黒いカバン』を聞かせてもらい衝撃を受ける。 

 
・映画『燃えよドラゴン』を見る。初めて子ども(クラスメイト)だけで映画館に行く。

・中1から中2にかけて漫画『ワイルド7』に多大な影響を受ける。


・中3のときに転校。
運動会のスウェーデンリレーで「400m」をスタートダッシュ
めちゃ盛り上がるも、バテバテでビリになって爆笑を買う。そのままぐったりして保健室へ運ばれる(ワイルドだろっ~)。


高校生時代:華やかでも刺激的でもない、もしかして一番印象が薄い時期だったかも。

・「泉谷しげるのANN」で吉田拓郎『つま恋ライブ』特集を全てエアチェック。
 『つま恋』をきっかけに拓郎好きなやつと友だちになる。


・帰宅部で毎日ギターを弾くかレコードを聴いて親に呆れられる


・共通一次試験の記念すべき第1回目受験生ながら不合格


予備校生時代:たぶん一生で一番勉強した1年間。

坂田先生お世話になりました(覚えてないやろうけど)

大学生生時代:この時代はエピソードが多すぎて、いずれまた改めて書くこともあるでしょうや。

・音楽系サークルに入り浸る。

    
・講義はほとんど受けなくても、留年せずに卒業。「奇跡」と言われる。ノートを貸してくれた友たちよありがとう。


就職:時代が時代だけにほとんど就活せずとも地元企業に就職できた。


29歳頃に結婚、やがて長女と次女が誕生する🙆‍♂️


地域の動物園に家族4人で行ったときの1枚


サラリーマンを20年間よく続けたものだ


転職:サラリーマンを辞めた理由については以下の記事で触れています。


・個人経営の整体師からフリーライターに転身して現在にいたる

この辺のことはまた詳しく書きたいと考えています。

特に印象強いエピソードを関連記事をまじえながら綴ってみました。

長くなりましたがお付き合いいただきありがとうございました😌



いいなと思ったら応援しよう!

この記事が参加している募集