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私が私であるために|マスターが教えてくれたタモリイズム【短編小説】

「くそっ、金賞じゃなきゃダメなんだよ」

私が悔しさを噛み締めるように漏すと、中にはしゃくり上げて涙を拭うやつもいた。

S高校吹奏楽部の3年生にとって最後の全国大会が終わった。

先輩たちが獲得してきた金賞を目指しながら夢破れ、気持ちのやり場がない。


いつもの喫茶店に集まったのは男女7人だ。

ずいぶん前からあった喫茶店なのだろう。おしゃれカフェみたいに開放的ではなく客も少ない。

奥まったところに10人ほど座れるほどよいテーブルがあり、ブラバン仲間の憩いの場となっている。

いつもはうるさいほどのしゃべり声がなりをひそめ、店内に流れるジャズがよく聞こえた。

「アイスコーヒーとコーラとオレンジジュースとメロンソーダ」

マスターがテーブルに並べながら確認する。

「どした。今日はやけに静かだね」

普段はあまり話しかけないマスターも、さすがに心配になったらしい。

全日本吹奏楽コンクールの件を話したところ、じっと聞いていた。

マスターは白いワイシャツに蝶ネクタイ、ヘアスタイルはオールバック、そしてサングラスという伊達男だ。

「ほっかぁ」

事情を知って小さく頷くと、何か閃いたようにつぶやいた。

「お前ら、楽器持ってきてんの」

「ええ。定演に向けて家で自主練しようと思って」

私はトランペットを担当している。
皆もそれぞれケースに入ったホルン、トロンボーン、アルトサックス、フルート、クラリネット、パーカッションなどを傍らに置いていた。

「じゃあ、ちょっくら息抜きしとくか?」

マスターが嬉しそうに微笑む。

昔はフォーク喫茶として賑わい、若者たちがギターの弾き語りやバンド演奏を披露して腕を競ったという。
今ではめっきり少なくなったものの、月に1回程度はライブが行われているそうだ。

我々はドリンクを飲み終えると、マスターに言われるままついて行く。

ドラムセットとアンプやスピーカーが並ぶこじんまりとしたステージだった。

「いいか。楽器はまだ出さなくていい。オレがやることを見てろ」

マスターは手短に話しながら蝶ネクタイをとった。


「ソバヤソバーヤ」


空気が震えるような大声だ。叫びというべきか。

「よし。やれっ」

何が起きているか理解に苦しんだが、マスターの熱量に押されてスイッチが入った。

私が「ソバヤソバーヤ」と叫ぶとメンバーも後に続く。

「ソバヤソバーヤ」
「ソバヤソバーヤ」
「ソバヤソバーヤ」

「よし」
マスターの口元がそうつぶやいたように見えた。

するとコンガのような打楽器を持ち出して叩きはじめるではないか。

コンカコココココンカココココ ドンドドドンドン

リズムのに乗せて歌いだした。
合いの手を入れながらテンションが高まっていく

「ソバヤソバーヤ」
「ソバヤソバーヤ」

ドンドドドンドン

「ハモケテドチラケーテ」

「ソバヤソバーヤ」

「ホナコタナカカテ」

「ソバヤソバーヤ」

コール&リスポンスのような感じだ。

マスターは私を見ながら「やれ」と顎でうながす。

こうなりゃヤケだ。

「コーラヌルカタ」

「ソバヤソバーヤ」

「ナンデバカスンネン」

「ソバヤソバーヤ」

お前らもやれ!
当然そういう空気になる。

「ミケモケチュルスキ」

「ソバヤソバーヤ」

「ナンシヨンカチャ」

「ソバヤソバーヤ」

それぞれリズムに合わせて勝手気ままに叫んだ。

最高潮に達したタイミングでマスターが合図を出す。

ドンドドドンドン

ドドド ドンドン
ドドド ドンドン

コンガを叩く音が強くなり

「ソバヤソバーヤ」
「ソバヤソバーヤ」
「ソバヤソバーヤ」

「ソバヤソバーヤ」
「ソバヤソバーヤ」
「ソバヤソバーヤ」

ドンドンドン ドンドン

全員の息がぴったり合ってセッションが終わった。

皆で顔を見合わせながら満足感に浸っている。

女子部員がくすくす笑い出す。

それが引き金となって笑いが弾けた。

「なんなのコーラヌルカタって?クレームじゃん」
「ナンシヨンカチャはねえよな~」
「ああ、笑いすぎて腹が痛ぇ」
「なんかアゴが疲れちゃったんだけど」

盛り上がっていると、マスターが口を開いた。

「よーし。楽器を出せ」

マスターも自らトランペットのような楽器を持っていた。

「それって、コルネットですよね」

私が確認すると微笑んだ。

「おっ、よく知ってんな。オレも時々吹いてんだよ」

マスターはそう答えると、皆に向けて話し出す。

「いっか、さっきと同じ要領だ。今度は好きなように楽器で歌ってみろ」

コルネットのマウスピースを口に当てるとソバヤのフレーズを奏でた。

「プァパパッパパーパ」

皆もそれに合わせて楽器を鳴らす。

「パパパッパパーパ」
「ブォブォブォブォブォー」
「ピピピピッピピーピ」

マスターがテーマの狭間に即興でメロディーを吹いた。

阿吽の呼吸というのだろう。

メンバーもそれに倣って一人ずつアドリブを入れていく。

「パパパッパパーパ」

「チャラーチャリラリララチューン」

「プァパパッパパーパ」

「ピーピーピーーーピピピッフォー」

という風にアドリブ合戦がしばし続いた。


なんだろうこれは? 味わった事の無い感覚だ。

ブラバンでもソロをとることはあるが、その高ぶりとは違う。

誰もが思いのまま、或いは意識すらしていない音を紡ぎ出す。

勝手気ままなのに、アドリブが2巡3巡するにつれ一体感が生れた。

言葉ではなく、楽器の音とフィーリングだけでつながっていく。

7巡ほどしただろうか。合図のリズムに変わった。

ドンドドドンドン

ドドド ドンドン
ドドド ドンドン

「プァパパッパパーパ」
「プァパパッパパーパ」
「プァパパッパパーパ」

ムチャぶりで始まったセッションが終わった。

皆の額には薄らと汗が浮かび、目が生き生きしていた。

「マスター。なんていうか“魂”がつながったような気がしました」

私が感じたことを素直にぶつけると、彼は満足そうに微笑んだ。

「ジャズでいうところの“ソウル”を感じたのかもな」

マスターに礼を述べて店を出るときにはスッキリした気持ちだった。

“金賞”を逃した悔しさよりも“ソウル”を知った喜びが勝ったのだろう。


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私は高校を卒業して地元の大学に進学し、地元の企業に就職した。

新入社員となって半年が経った頃、久々にあの喫茶店を訪ねた。

マスターはサングラスを新調したらしい。それ以外は相変わらずのようである。

「よお。N大のときに顔を出して以来じゃないか。どうサラリーマン生活は?」

客が少なかったのでカウンターに座るようマスターが気遣ってくれた。

そのサラリーマンの悩みを相談したくてやって来たこともお見通しかもしれない。

大学では部活をしなかったこともあってか友人が少なかった。サラリーマンになるとなおさらだ。

うつむきがちに悩みを打ち明けたところ、マスターが冷静に切り出した。

「友だちなんかいらないだろう。オレも数人しかいないし、友だちかどうかさえあやしいよ」

「え、そうなんですか。でもやっぱり少しはいた方がいいような気がするけど」

「『友達100人できるかな』って歌があるだろう。子どもの頃にあんなの歌わせるから勘違いすんだよ」

「確かに。ボクも子どもの頃に友だち100人ほしいって思いましたもん」

「バカだねぇ。どうすんだ100人も。ホントにわかり合える友だちが1人でもいたら十分だぞ。オレなんか友だち減らそうって思ってるくらだいよ」

「なんか、目からうろこが落ちたような気がします」

「まあ、オレの考えだからね。あんまり鵜呑みにしない方がいいよ」

マスターは照れたように微笑んでコーヒーを淹れだした。

「あのぉ。他にも相談していいですか」

私はマスターの横顔から受け容れてくれる意志を汲み取って、さらに悩みを打ち明けた。


会社の飲み会が苦痛なのだ。学生時代はブラバンに熱中したりバイトをしていたから、集団で騒ぐ機会が少なかった。それも要因のひとつだろう。

サラリーマンになると新人歓迎会だ花見だBBQだビアガーデンだと飲み会が多いことに驚いた。

ましてや新人は余興を求められる。歌を歌ってなんとか凌いでも、場の空気が白けるのがわかって辛い。

「お前さん真面目そうだからなぁ。下ネタとかできるのか?」

「下ネタって、パンツ1枚で裸踊りとかですか」

「そんなんじゃダメだ。誰かがやりそうなことをやっても面白くねえだろ」

「まさか、パンツまで脱ぐとか」

「甘いよ。座敷の宴会で気にくわないやつの後ろからそっと近づいてだなぁ・・・」

「そっと近づいて?」

私はその光景を想像しながら固唾を呑む。

「そいつの頭の上にポコチンを乗せて“チョンマゲ”っていうのさ」

まさかのオチに驚いて、イスからずり落ちるところだった。

「無理ですって!そんなこと絶対できません」

「つまんねえな~。そのくらいやればきっと盛り上がるぞ~」

マスターは残念そうにしていたが、私にも超えられない一線はある。

「じゃあ。トークはどうだ。とっておきを教えてやろう」

私はマスターに相談したことを少し後悔しはじめていたが、流れでつきあうことにした。

「いいか。高尚な下ネタだから、オチを聞き逃すなよ」

「はい」

「できれば鰹のたたきとか、鰹ぶしとか、磯野カツオとか“カツオ”の話題が出たときに使うと効果的だ」

日本じゃ魚の種類だけど、イタリアで「カツオ」は男性器のことをいうんだ。
オレの知り合いがイタリアで下宿していたとき、日本の実家から送ってもらった鰹節をけずって料理に使おうとした。
一本ものの鰹節をイタリアで目にすることは少ない。
下宿のマダムが、それは何かと聞くので「カツオ」だと教えた。
マダムは「あなたたちはカツオを食べるの」と目を丸くするので「生でも干してでも食べますよ」と答えた。
すると興味津々で鰹節を見つめながら「干してこれなら、生だともっと大きいんでしょうね」と唸ったそうだ。

マスターの話はうんちくと下ネタを合わせたものだった。これを飲み会でどう披露しろというのか。

「ちょっとハードルが高いですね。私が話して笑いをとるのは難しいかも」

「そうかぁ。まあ覚えといて損はない。彼女でもできたら飲みながら話してやれよ」

発想の次元が違う。マスターに話を聞いてもらううちに、私の悩みなんか小さなものだと思えてきた。

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あれから数年が経つ。

深夜番組を見ていたらマスターによく似た男が出ていた。いや間違いなく「喫茶店モリタ」のマスターその人だろう。

『チャンネル泥棒!快感ギャグ番組!空飛ぶモンティ・パイソン』で片目に眼帯をつけて「タモリ」と名乗っていた。

自分だけのミニコーナーを持ち「四カ国マージャン」や「エア・オーケストラ指揮者」などを披露する。斬新なギャグが密かにウケているらしい。

私はテレビに映るタモリに向けて誓った。

「マスターの教えは忘れません。誰もやらないようなことをやってみせます」

「私が私であるために」



※本作はタモリさんのパフォーマンスや発言をもとにした創作です。


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#小説部門


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