ピンク・レディー物語“朝ドラ”熱望【ライブ回想録】
ピンク・レディーが『ペッパー警部』でデビューしたのは1976年のことだった。
これは第3弾シングル『カルメン'77』をリリースした頃のエピソードである。
ちなみにロックバンド「エアロスミス」の4thアルバム『ロックス』が日本で話題になったのは1976年頃。当時、3rdアルバム『闇夜のヘヴィ・ロック』からシングルカットされた「ウォーク・ディス・ウェイ」がよく流れていた。
高校生だった俺は、なんらいじっていない普通の学ランを着た目立たない存在だった。
「おーい、ゆーしん。エアロスミス見に行こうぜぇ」
クラスメイトのコータローが声をかけてきた。
彼は髪の毛をリーゼント風にしてヤンキーっぽい学ランを着ていたが、穏やかな性格でなぜか馬が合った。
ちょうど『ロックス』を買ってハマっていた私は、その魅力的な提案にすぐとびついた。
しかしコンサートに行った経験と言えば、小学生のときに父親が勤めている会社の招待で「ザ・ピーナッツ」を見た程度だ。
自力でチケットを買ったことがない私は、コータローに不安を打ち明けた。
「チケットは俺が注文しとくけん。行こうぜ!」
そう言い切るコータローはいつもより頼もしく見えた。
「おう!行く行く!」
その瞬間から俺の頭はエアロスミスで埋まり、脳内に「ウォーク・ディス・ウェイ」や「バック・イン・ザ・サドル」が流れて毎日ウキウキしていた。
だが、やはり田舎の高校生が考えることは浅はかだ。やがて夢は破れた。
「エアロスミスのチケット、売り切れとった」
「うそやろ!」
俺はコータローの言葉に耳を疑った。「肩を落とす」気持ちを身をもって知ったのはそのときが初めてだったかもしれない。
すると、コータローは不敵な笑みとともに話を続けた。
「ピンク・レディーに行かんや」
「ピンク・レディー!」
俺の心は揺れた。ピンク・レディーと言えば毎日のようにテレビで見る売れっ子であり、高校生男子にはたまらない魅力的な2人組である。
「よし、ピンク・レディーにしとこう」
エアロスミスから一転してピンク・レディーのコンサートに行くことが決まった。
※ここからさらに面白くなるんだよね~♪
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