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中二に響いたジョンの声、うつ状態の会社員に光が差したスキマ、アラフィフが胸キュンしたAKB 音楽と歩んだわたしの半生


#スキな3曲を熱く語る

荒れていたなぁ…あの頃の中学校…。いじめと言っても今のような陰湿なものではなく、不良グループが「おいパン買ってこい!」と呼びつけてパシリに使ったり、もっと酷いときは通りすがりにいきなり蹴られたりとか、教室の窓ガラスが割れて投げ込まれたテトラパックの牛乳が飛び散ったりとか…直接的かつ偶発的なものだった。

小学校時代には成績がまあまあよくてお笑いが好きでクラスの人気者だと勘違いしていたオレも、校区の公立中学に進むと不良グループの標的にならないようわざと悪ぶっているうちに勉強に身が入らず成績は急降下して「普通」であることを思い知る。

休み時間や放課後に「普通」な連中と集まって盛り上がったのがビートルズの話だ。クラスにはカーペンターズ派の女子とビートルズ派の男子が数人いて「中二病」という言葉さえなかったが、周りに聞こえるような目立つ声で音楽談義してはしゃいでいた。

ある日、ビートルズ談義の輪にはあまり入らないアイツが、当時はまだ珍しかった携帯ラジカセ(ウォークマンが出る前のもっと大きなタイプ)にイヤホンをつなげて何か聴いていたので、気になって声を掛けたらニヤリと微笑んでイヤホンを渡してきた。「聴いてみろよ」というのだ。

イヤホンをはめた途端にイントロからジョンの世界に引き込まれ「mind games together」というワードが印象的で、意味もよく分からないのにとてつもなく壮大なことを歌っているのだと直感して頭の芯まで響いた。ジョン・レノンが出したアルバム『マインド・ゲームス』(邦題:ヌートピア宣言)のことは知っていたが「ジョンのことだから“ヌートピア”がヌーディストとかに関係あるのでは?」と勘ぐってしまい興味が薄かったのと、なけなしの小遣いでビートルズのレコードを買うのに苦心するなかソロ曲はラジオから流れるのを耳にするのがやっとで『マインド・ゲームス』を積極的に聴こうとはしなかったというのが正直なところだ。

突然その楽曲を耳にすることになり、衝撃を受けたオレは「もう1回聴かせてくれ」と何度も頼んだ。「マインド・ゲームス」を何回も聴いたのはもちろん、アイツはお気に入りをカセットテープに詰め込んでいたようで『ジョンの魂』に収録された「ゴッド」や「マザー」を聴いた記憶もある。

初めて「マインド・ゲームス」を聴いた時にオレのなかで何かが変わった。音楽とはこれほど人の心をざわつかせるものなのか、ビートルズで名曲を山ほど生み出してなお自分の世界観を描き音楽を作り出すジョン・レノンの偉大さを思わずにいられなかった。そしてとにかく「オレもやらねば」と「普通」からの脱却を目指したのである。

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高校・大学と勉強もろくにせずギターにハマって遊びでバンドを組んだりもしていたが、社会に出たわたしはサラリーマンとして働き「普通」であることの難しさと「普通」に暮らせるありがたさが分かるまでに成長した。時代はアナログレコードからCDに音源が代わってオーディオブームが到来し、自分の稼ぎでコンポをそろえてジャズを聴くようになった。

根底にビートルズがあり、ハードロック(ヘヴィメタル)やパンクロック、レゲエそしてジャズにクラシックといろいろなジャンルの音楽を聴いたが、仕事を終えてから仲間とスナックのカラオケで歌うのが何よりのストレス解消になったものだ。わたしはサザンオールスターズや長渕剛をよく歌った。

仕事では上司から「お前は大器晩成型だな」と励まされたわたしも中堅社員から管理職へと遅めの昇進を成すが、さまざまな職種を経験する「ジョブローテーション」とやらで別の部署に異動。そこで頑張り直すつもりだったのに、数年で元の部署に格下げ人事となる。40代半ばのことだった。

異動のタイミングで降格することはよくあるので、また仕事を頑張ればいい話なのだが、カルチャーショックをうけたのは数年の間に「スタッフ制」なるものが導入されており、スタッフとして雇用された若者が正規職員と同じ仕事を半分以下の報酬で任されるという、現実を目の当たりにしたからだ。社会情勢として組織改革(リストラクション)が叫ばれるなかで「スタッフ制」に踏み切ったようだが、それから数年すると「派遣」が当然なご時世になっていく。

一生懸命に仕事をする「スタッフ」たちを見て「わたしは何をやってるのだ。数倍の給料をもらいながら彼や彼女たちに誇れる仕事が出来ているのか」と悩むうちに、やる気がなくなりうつ状態になった。病院で診断されたわけではないので「うつ状態」と表現するが、あれほど好きなはずの音楽を聴いても何も感じず、自ら音楽を聴こうと思えなくなり「ああ、これはうつなのかも」と気づいたのである。

それでも家族とテレビを見ている時は子どもの笑い声に救われた。テレビやラジオから流れる音楽は耳にするので全く聴かなかったわけではない。そのころ流行ったのがスキマスイッチの新曲『全力少年』だった。「最近は仕事オンリーで笑えなくなってしまった…♪」と歌う軽快なポップソングはまるで自分を励ましているように聞こえ「皆、同じように悩み、泥まみれになりながら乗り越えているのだ」と一筋の光が差したように思えた。

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50歳を前に転職して自営業を始めた。うつ状態は軽くなりつつあったが、収入を考えると心はまだまだ重かった。家族の理解と協力でなんとか生活できたが、わたしの心が晴れやかになることは希だった。

当時、一躍人気を博したのがAKB48だ。自分の娘とほぼ同年代のアイドルたちがパフォーマンスする姿を見ている時は元気になれた。本格的なファンではなく、テレビを見て楽しむだけでCDを買って握手券や総選挙の投票権を手に入れたことはない。

そんな在宅ファンのわたしが見る限りでは、2009年に『AKB48選抜総選挙』が始まって4~5年がグループの最盛期だったように思える。なかでも2011年6月9日(木曜日)に開票イベントが行われた第3回選抜総選挙は盛り上がり、ファンならずとも話題にしていたものだ。

前田敦子が女王の座に返り咲き前年に1位を奪われた大島優子にリベンジしたその翌日、『ミュージックステーション』(テレビ朝日系)にAKB48選抜メンバーが登場して『少女たちよ』と『Everyday、カチューシャ』を披露した時は熱気が残っているようで臨場感があり、わたしのなかのベストパフォーマンスとして脳裏に焼き付いている。

特に当時の最新曲『Everyday、カチューシャ』はノリノリなポップソングとあってカラオケで歌う女性が多かった。ステージでの振り付けも華やかで、ミュージックビデオは前田敦子を主人公としたミニドラマ仕立になっているが、歌詞を噛み締めるほどに切ない恋愛ソングだと分かる。

わたしなどはラジオから流れてきた『Everyday、カチューシャ』を何気なく聴いていて歌詞の光景を思い浮かべると、青春時代がよみがえり「胸キュン」したものだ。「胸キュン」を調べてみたら「胸の締め付けられるような切ない感情を指す表現」とあったので使い方は間違ってないはずだ。

中高生時代や予備校生時代は好意を持った女子に想いを告げるような勇気がなく、まるで『Everyday、カチューシャ』で描かれるように憧れる女の子が夏が来るたびキレイになっていくのを見ているだけ…という気持ちが重なって切ない気持ちになる。

中二の時には胸をざわつかせて「オレもやらねば」と奮起させてくれ、社会人になってからはうつ状態で落ち込む心に光が差し、アラフィフになったおやじが歌を聴いて青春時代を思い出し「胸キュン」してしまう。半生がそうだったようにこれからも音楽とともに生きることになりそうだ。


※トップ画像はイラストACより「ヘッドフォンで音楽を聴く女の子」(作者:松本松子さん)他の画像はイラストACより「ミュージシャン」(作者:PONTA777さん)と「アイドル」(作者:acworksさん)




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