くちなしや奇譚~小棹と洗蔵~第1話「予感」
第一話「予感」 小棹の胸騒ぎ
うたちゃんとの道中
「おまえは言葉少なくて、心ばせは清々しい」
先日届いた父上からの文にはそのように書かれていた。
私は控え目だが曲がったことは許せない性格らしい。
だから、楽しげに「おさおちゃん!なんでそんなに面白いと?」と言われて嬉しかった。
道中で私のことを笑ったのは、同い年の友だち、うたちゃんだ。
私は久留米水天宮の神官・真木和泉の娘、小棹。
父は訳あって久留米藩から神官の職を追われ、城下から遠く南に離れた下妻郡にある水田天満宮に流された。天満宮の神官を務める父の弟・大鳥居理兵衛の家で謹慎したのち、天満宮近くに建てられた藁葺きの小屋「山梔窩」で蟄居生活を送っている。
蟄居とはいうものの、「くちなしのや」と称す山梔窩には、父を慕って村の人々が集い、名のある勤王の志士たちが頻繁に訪れていた。
私はこのところ水田天満宮の神官である父の弟・理兵衛おじさんの家に遊びに来ている。山梔窩は目と鼻の先だ。母は久留米で近所に住むうたちゃんも一緒ならばよいだろうと、許してくれた。
水田天満宮からさらに南に下ると、矢部川が流れている。その矢部川沿いにある溝口竈門神社で今夜、千燈明祭があると知って見に行くことにした。
一里半ほど歩かねばならない。
周りの田んぼでは稲穂が風に揺れている。のどかなあぜ道で年頃の娘二人が時間を持て余せば、自然と話に花が咲く。
そんななか、なんとなく嫌な感じがしたので、袖を引っ張った。
「うたちゃん、気をつけて!」
すると、予感が当たったかのように、空からぼとぼとと何かが降ってきた。
カラスのふんである。幸い、二人からはそれてあぜ道に落ちた。
「きっとあいつに違いなか」
「何か知っちょると?」
私が憎たらしそうに空を見上げるので、うたちゃんが怪訝そうに聞いてきた。
昨日のことだ。
水田天満宮から山梔窩に向かって歩いていたところ、背後で嫌な気配を感じた。実際に聞こえたのかよく分からないが、「ぐふふふ」と馬鹿にするように笑われている気がしたのだ。
振り返ると一羽のカラスが塀の上をぴょんぴょん跳ねるようにして、後ろからついてくるではないか。
「何の用ね? ついてこんで!」
厳しい口調で叱ったら、羽ばたいてどこかに飛んでいった。
うたちゃんにその話しをしたところ、吹き出した。
「そのカラスが仕返しにやって来て、糞を落としたって・・・」
「おさおちゃん!なんでそんなに面白いと?」
まるで信じてくれず、お腹を抱えて笑い出す始末だ。
父上がいうように普段はもの静かな私だが、うたちゃんとは気兼ねなく話しができる。
町道場の娘で、すらりと背が高く、凛とした美しさをもちながら、気さくなところもあるうたちゃん。神官の娘として慎ましく育てられた私にないものを感じるのだ。面と向かって言うことなどできないが、胸のうちでは憧れていた。
「でもさ、ようあの鬼瓦みたいなおじさんから、おさおちゃんのような瓜実顔の娘が生まれたよね」
「こらっ!父上のことを・・・」
「ごめんごめん」
そんな冗談を言い合いながら道中を楽しんだ。
父・真木和泉は幼少の頃から南北朝時代の武将・楠木正成を敬愛している。神官ながら久留米藩士として文武両道に励み、やがて尊皇攘夷派として活動するようになるが、藩政改革を巡り藩の一部から反感を買って蟄居を命ぜられることとなった。
戦国武将のような風貌で、眼は大きくて眼光鋭く、眉は太くて耳も鼻も立派だ。父上に何度か会ったことがあるうたちゃんは、その迫力を「鬼瓦」に見立てたのである。
「おさおちゃんの色白なところと絹のような黒髪は、母親の睦子さんに似たとばい。よかった~」
うたちゃんは私の母上の話題に変えながら、懲りずに父上のことを冷やかした。母とうたちゃんは気が合うのか仲が良い。
娘の私がいうのもはばかられるが、母・睦子は父より年上で、「美人のおかみさん」と評判だ。私が生まれる前の年に、夫婦で長崎の島原を旅した際に「相撲取りが芸妓を連れとる」と噂になったこともあるという。
祭りでの出来事
二人でたわいもない話をしてはしゃぎながら歩くうちに、祭りの音が聞こえてきた。
溝口竈門神社の千燈明祭は、将軍・徳川吉宗の時代、京保17年(1732年)に凶作と流行病で大きな被害があり、神前に燈明を奉納して災いが去ることを祈願したのがはじまりとされる。燈明は南北朝時代にあった溝口城の形に組まれており、灯りの天守閣が見事に映えると聞いた。
矢部川は久留米水天宮が見守る筑後川ほど大きくはないが、心が洗われるような清流で、鮎やうなぎ、すっぽんなどが獲れるらしい。その矢部川沿いにある神社はさほど大きくはない。だが千燈明祭の由来から考えてもかなり歴史がある神社なのだろう。
鳥居から続く参道を狛犬に迎えられながら歩を進めると、本殿がある。境内はまだ明るいうちから、村人だけでなく、祭りを楽しもうとやってきた老若男女で賑わっていた。
太鼓や囃子を稽古する音が聞こえるなか、参道の周りに並んだ屋台を眺めていると、急に胸がざわついた。
ハッキリと聞こえたわけではないが、若い娘らしき声で「嫌です」と困っている感じがしたのだ。
出店を見てまわるのに忙しそうなうたちゃんに、「ちょっと気になるけん」と声を掛けて、その不穏な気配がする方へと向かった。うたちゃんも後を追ってついてくる。
本殿の裏は林が広がっていた。祭りの賑やかさと対照的にしんとした空気のなかで、見るからに無法者らしき男が村娘らしき若い女に抱きつこうとしているところだった。
「やめてください」
「悪いようにはせんけん、大人しくしてろ」
「人を呼びますよ」
「へへ、誰も来るわけなかろうもん」
娘の表情に悲壮感が漂う。
「来ましたよ!狼藉者」
私が言い放つと男が驚いて振り返った。
そのすきに男の腕から逃れた娘は、私たちの方に駆け寄り助けを求めた。
「猫が・・・猫の鳴き声が聞こえたけん、探しよったら、こっちの方に入り込んでしもて・・・そしたらその人が後ろから抱きついてきて・・・」
「なんばゆうか。祭りで若い女が人気《ひとけ》のないところに行けば、こっちだって誘ってると思うやろが」
娘が事情を話すのを聞いて、今度は男が言い返す。
村祭りは若い男女が相手を探す場だという男の言い分には一理ある。しかし力づくで手篭めにしようなどとは言語道断だ。
「早く助けを呼んでこんね」
まずは娘にそう告げて人目があるところまで急がせた。
「まあよかたい。もっと上玉が入れ替わりにやって来たんやけん」
男は下卑た笑いを浮かべた。
すると、うたちゃんが私を制すように一歩前に出た。
「危なかけん、さがっちょって」
明るく快活ないつもの感じとは打って変わり、気迫がみなぎっていた。やはり町道場の娘である。
着物の裾がはだけてしまい、男が好色そうな目つきをしたその瞬間。
「ぐへ」
うたちゃんの白くて長い脚が真っ直ぐに伸びて男の顔面に食い込んでいた。
目にも留まらぬ速さで繰り出された蹴りは、鍛え抜いてこそなせる技だろう。私も父上から薙刀を習ったので、極めることの難しさは知っている。
無駄のない筋肉からなる脚が、如意棒のように伸びて突き刺さったかに思える光景はあまりに美しい。見ていてしばし時が止まったかのように錯覚しそうだった。
だが男も無頼漢なりに鍛えているようで、倒れずになんとか持ちこたえた。
「このあま。なめちょるんか」
血が混ざった唾を吐きながら、懐から短刀を取り出した。
短刀をギラリと抜いたが、うたちゃんは間髪を入れずに着物の袖を広げて刀身に絡めた。相手の手を封じてから、こめかみ辺りに肘打ちを連打する。
打って!
打って!!
さらに打った!!!
男がたじろいだすきに短刀を手刀で叩き落とし、バサッと裾をはためかせて飛び上がったかと思えば、旋回して、またしても白く長い脚を弧を描くように男の横っ面にめり込ませてとどめを刺す。
宙を舞うようなうたちゃんの技を目の当たりにして、牛若丸が京の五条大橋で弁慶と出会い、橋の欄干に身軽に飛び乗って戦う伝説を思い出した。
しかし、これで無頼漢も観念するだろうと思ったのも束の間
「うう・・・」
私が何者かに後ろから羽交い締めにされてしまう。
うたちゃんの惚れ惚れするような拳法に見入っていたため、ドキドキしていつもの勘が働かなかったらしい。その気配に気づかなかったのだ。
「女、大人しくせんと、相方の顔に傷がつくばい」
男の仲間がいたとは思いもよらず、油断していた。私の腕をねじりあげながら、短刀をチラつかせる男に脅されて、うたちゃんも動きが取れない。
やがて蹴りを食らってうずくまっていた男も立ち上がって、地面に転がっていた短刀を手に持った。
「散々やってくれたのう」
絶体絶命という言葉が頭をよぎった。
その時だ。
「うっ」
男の呻き声とともに私の体が軽くなった。私の後ろにいるはずが足下にうずくまっている。
ふと後ろを見ると、一人のお侍が立っていた。
「怪我はないか」
涼しげなまなざしで声を掛けられて、なんと返したものか分からずポカンとしてしまった。
と同時にうたちゃんが心配になった・・・。
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第一話「予感」 小棹の胸騒ぎ
第二話「出会」 侍の正体
第三話「告白」 離縁の真相
第四話「禁断」 洗蔵の独白
第五話「梁山泊」 山梔窩での密談
第六話「落武者」 謎の祠での死闘
第七話「怨霊」 按察使局伊勢とカラス
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※画像は『イラストAC』より「カラス 作者:Oniyanma」および「日本髪を結った和装の女性 作者:中野」。