高2女子がゴイサギとリンクしたら世の中が1ミリ動いた【第25話】高校生動く!
草野五郎の朝は早い。
日の出とともに起きて顔を洗い、上半身裸になって手拭いで乾布摩擦するのが日課だ。
温まったところで朝食を作る。
前夜から干し椎茸を水につけてとった出汁に、玉ねぎと豆腐を入れて一煮立ちさせ、仕上げに手作り味噌を溶いた味噌汁は欠かせない。
「さあ、今日もばあさんの味にできたぞ」
妻の位牌がある仏壇に供えてから、五郎は白飯と納豆、漬物に焼きのりを食卓に並べて一人で食べる。
「ばあさん。最近はこの屋敷も賑やかんなったばい。孫のケンボウもよう顔を出してくれるようになって、ご先祖様も喜びよろ」
江戸時代に入ると有馬氏が久留米藩主となるが、以前は鎌倉時代から戦国時代まで草野氏が筑後国を任されていた。
五郎の先祖もその系列かもしれない。草野氏の歴史は古く、高良大社に関係しているという説もある。
「神様から、この山にゴイサギ大明神を作るとお告げがあったときは驚いたけど、代々山を守ってきた草野家だから選ばれたのかもしれん」
五郎は朝食を済ませて仏壇にそんなことを話しかけていたが、やがてジャンパーを着て靴を履きはじめた。
「さぁて、ゴイサギ大明神の様子を見に行くか」
山に向かって坂道を上っていくが、途中からいつもと違う気配を感じた。
祠の辺りから鳥の鳴声が響き、上空を跳び回る鳥の影が見える。
五郎はゴイサギ大明神に近づくと視界に飛び込んできた光景に息を呑んだ。
「こりゃぁ…せっかく来てくれた参拝客も怖くて近寄れんばい」
ゴイサギの陣
私は学校の授業を終えてから自転車を走らせた。草野五郎さんが電話してきたからだ。
「なつきちゃん。ゴイサギ大明神がおおごつばい。ゴイサギが山んごつ集まってきよるとよ」
昨日、ニュースで言ってた“久留米の乱”の現象だろう。ゴイサギは本丸に集結したというわけだ。
「ゴイっち! ゴイっち! ねえ、ゴイっちってば!」
脳にリンクを試みるが、応答がない。ゴイっちは自分に都合が悪いといつもスルーする。
私は秋らしい爽やかな風に吹かれながら、につかわしくない汗を滲ませて急ぐ。現地に到着するや自転車から飛び降りて玄関に駆け込んだ。
「草野さん。大丈夫!」
「ああ、俺は大丈夫やけど、こげんこつは初めてばい」
まずは草野さんがケガをしておらず元気そうなので安心した。
草野さんによると危険な感じなので、一人で行くのはやめた方がよいという。2人で用心しながら祠に向かった。
ゴイサギ大明神の祠は想像を超えるほどゴイサギの群れで溢れていた。
その中で屋根の一番高いところ・大棟にとまっているのがゴイっちだ。私にはわかる。
目を見て脳内に呼びかければ、さすがに無視できまい。
「ゴイっち!こんなにゴイサギが群れをなしたら、参拝に来た人が怖がるからやめてちょうだい」
「なつき。言ったはずだよ。ここにはしばらく近づかない方がいいって」
ゴイっちが返してきた。
「鳥や獣たちの群れが街に出没して騒ぎをおこしているのもゴイっちの差し金でしょ」
「そうさ。ああでもしないと、人間たちは山の開発を止めそうにないからね」
まずい。ゴイっちは本気で森の動物たちに反乱を起こさせるつもりだ。頑固なところがあるから私の忠告など聞きそうにない。
「道真公はゴイサギ大明神を建てることで、密かに山林伐採しようとする悪巧みを阻止しろとは言ったけど、ゴイっちのやり方は間違ってるわ」
私が道真公の名前を出したからだろう。ゴイっちが僅かながら態度を軟化したように感じられた。
「じゃあ、なつきだったらどうするんだい! 間違ってないやり方とやらを教えてくれよ」
そう言われると私も困ってしまう。でも何かやり方を考えないと、ゴイっちは動物たちを暴走させるだろう。
「なつき、こんなときこそ脳みそをフル回転させるのよ! 普段は勉強で頭を使わないから、そのぶん発想力はありあまってるはずよ!」
自分をそんな言葉で鼓舞しながらしばし悩んだ。ゴイっちも脳内交信しながら私のアイデアを期待しているようだ。
「そういえば、高校生が『核兵器廃絶を求める署名』を国連に届けたというニュースを見たわ。署名よ!私たちも署名を集めるのよ!」
「いいだろう。その署名がうまくいくようだったら、ボクたちも大人しくするさ」
ゴイっちも取りあえず納得してくれた。
署名活動ってどうやんの?
私は街頭署名に協力したことはあれど、自ら署名活動を行なったことはない。
「どうやるんだろう? こういうときは君枝に頼るのが一番よね」
自宅に戻ってから君枝にLINEで聞いてみたのだが…。
「署名活動といっても街頭署名とSNS署名があるから準備が大変よ」
と返された。
「おいおい、君枝らしくないなぁ。いつものドンとこいっていう勢いがないわよ」
とハッパをかけといたのだが、どうなることやら。
君枝に頼ってばかりもいられないので、自分でもネットで調べてみた。
ふむふむ…
署名活動は法的効果を持つ場合と法的拘束力が認められない場合がある。
具体的な方法は街頭で署名運動を行なうか、郵送で署名を集めるか、ネット上による署名運動などがある…。
まず私が気になったのは「請求代表者」だ。
自治体に「条例の制定・改廃の請求」などを直接請求するには、有権者から一定数以上の署名を集めなければならない。
署名を集めることができるのは「請求代表者」から署名集めを委任された「受任者」である。
請求代表者および受任者は「選挙権を有する者」に限られる。高校2年生で17歳の私はその資格すらないのだ。
そうなると法的拘束力が認めらない方の署名活動に可能性を求めるしかない。
「どっちにせよ、署名を集める代表者って私になるのかなぁ」
内容を知るほどに責任感が重くのしかかってくるのを感じた。
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「ゴイサギ大明神のケースで考えたら、現実的なのはオンライン署名のようね」
君枝がLINEでメッセージを送ってきた。
新型コロナウイルスが猛威を振るっていたときのこと。感染拡大を防ぐため休校が続いていた。しかし県が新学期から学校再開する方針を打ち出したため、高校2年生の7人が「時期尚早だ」と主張してネットで反対署名を集めて話題になったという。
「核兵器廃絶を求める『高校生1万人署名活動』はよく知られているけど、支援団体が活動の責任をもっているみたい。高校2年生が自分たちだけで完結したこの事例は、規模といい私たちに近いものがあるんじゃないかしら」
君枝は君枝でいろいろ考えてくれたのだ。LINEでは足らず電話してきたので、私は気がかりな件を相談した。
「オンライン署名を集めるにしても“代表者”を表記しなけりゃならないでしょう。私の名前じゃあ、説得力がないと思うんだよね」
「うーーん、だよねーー。朱雀坂七津姫だけじゃインパクトに欠けるかもねーー」
私は君枝から率直に言われて少しムッとした。
「あのさぁ、もうちょっと言い方あるんじゃね。私としては一応“朱雀坂七津姫”っていう名前は気に入ってるんだけど」
「ゴメンゴメン。でもそれなら私だって“立花寺君枝”に自信あるし」
「そっか!連名にしたらどうだろう。君枝の名前があれば私も勇気百倍だし、署名も勢いがつくと思うわ」
「そーねー。でも実名はやっぱり避けたいわね。じゃあこんなのはどう…」
2人でああだこうだ話し合った結果、なんとか『署名ご協力のお願い』ができあがった。
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署名ご協力のお願い「動物たちの山を荒らさないで。ゴイサギ大明神は怒っています」
高良山には歴史ある高良大社よりもっと古くから野生の動植物が生きてきました。
なのに私たち人間は勝手に公園や遊歩道、ドライブコースを作るため森林を伐採したのです。
動物たちが町に下りてくると大騒ぎして駆除するなんて理不尽だと思いませんか。
ゴイサギ大明神の由緒書にはこう書かれています。
「神聖なる高良山には五位鷺をはじめ多くの動植物が生息している。令和の時代になろうとも、何者もこの地を荒らすことがないよう、鎮守神としてゴイサギ大明神を祀るものである」
私たちは、一部の人間たちが開発を理由に山林伐採することがないよう明言した条例の制定を求めます。
署名の発信者 ゴイサギ大明神を守る会(高2女子・夏と君)
協力者たち
私と君枝はオンライン署名の専門サイトに「署名ご協力のお願い」を公開して協力を呼びかけた。
発信者を「ゴイサギ大明神を守る会(高2女子・夏と君)」としたものの、クラスメイトにはすぐ察しがついたようだ。
登校して教室に入るや珍しく声を掛けられた。
「ねえねえ、なつき。この『夏と君』ってなつきと君枝のことだよね」
隠れてやっているわけではないし、ここは協力してもらうべきだろう。
「そうなのよ。ゴイサギ大明神って知ってるでしょ」
私はまず署名の主旨をきちんと把握してもらおうと考えた。
「もちろんよ。ニュースでもやってたし、SNSにもアップされてたよ」
「私は家族で行ってお参りしてきたわ」
「俺たちも自転車で見に行ったぞ」
これだけ知名度があれば話は早い。私は続けた。
「私はゴイサギ大明神が建てられた山の地主さんと顔なじみなんだ」
「え、すごいじゃん。だから署名活動に関わってるの?」
女子の1人が興味津々で聞いてきた。
「そう。地主の草野さんって言うんだけど、ゴイサギ大明神を守って山を荒らされないように頑張ってるの」
数人が前のめりになるほど感心を持ってくれたようだ。
「だから、皆もオンライン署名に協力してくれないかなぁ」
私がスマホで「署名ご協力のお願い」のページを出して見せたところ、予想以上の反応があった。
「するする!自分でも署名するしXで拡散するよ!」
「俺も『#拡散よろしくお願いします 』って投稿しよう」
「ねえねえ、TikTokでこの前『ゴイサギ大明神』がバズったばかりだからけっこういけるんじゃない」
「ゴイサギ大明神で動画撮ってTikTokにアップしよっか」
おっと、そうなるとゴイサギ大明神に動物たちが集まらないよう、ゴイっちに釘を刺しとかなけりゃ。
私はクラスメイトの好感触に気をよくしながら、まだ登校してから会っていない君枝の姿を探した。
ふと廊下の人だかりが目についたので注目していると、君枝が男女に囲まれて質問攻めに遭っていた。まだ教室で会えないはずだ。
「立花寺さーん、私もオンライン署名に協力させてください!」
「ボクのYouTubeチャンネルに出て一緒に呼びかけませんか」
「私はインスタグラムのフォロワーが250人いるから、インスタライブに出てください」
「立花寺さん、ボクにオンライン署名のやり方を教えて!」
やれやれ、君枝は実名を出したくないと言ってたけど出さないでもこの騒ぎだよ。でもラモ高の生徒はもちろん、他校にも君枝のファンは多いから効果は期待できるかも。
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私と君枝はできる限りの手は打とうと考え、昼休みになってから保健室を訪れた。お目当てはアマゾネスだ。
「南条先生、ちょっとだけお時間よろしいですか」
「おや、2人揃ってお出ましとは何ごとだい。まあ座ってゆっくりしていきなさい」
幸いアマゾネスは外出しておらず、私たちを歓迎してくれた。
「実はこのようなオンライン署名をやっているので、協力していただきたくお願いにあがりました」
私がスマホを見せながら説明しようとしたところ、アマゾネスが躊躇した。
「その前にハッキリしときたい。立花寺さんは以前、学食で奇行に及んだ朱雀坂さんをここに連れてきたわよね。その件については解決しているのかしら」
アマゾネスは当初、私が「狐憑き」によって奇行に走ったのではないかと疑っていた。しかし先日、ゴイサギ大明神でゴイっちから脳内にリンクされて自ら体験したことによって事情を飲み込むしかなかった。一方で君枝はゴイっちの件を知っているのか確認しておかねば、どこまで話してよいかわからないということだろう。
私はアマゾネスや婦警さんたちとゴイサギ大明神に行き、堂園一派と一悶着あったことや、森の動物たちに囲まれたこと。そしてゴイっちが皆に脳内交信して呼びかけたことまで君枝に話している。
君枝はアマゾネスの意図を読み取って自ら答えた。
「もう大丈夫です。私もなつきと同じようにゴイサギのゴイっちと脳内交信したんです。先生もあの件についてはお気遣いなくお話しください」
アマゾネスはホッとしたように微笑んで、私の説明を聞いてくれた。というか、堂園一派の悪巧みを知っているから話は早い。
「よしわかった。私もオンライン署名に協力しよう。それにオンライン署名にしたのは正解ね。法的効力はなくても、拡散次第では世論を動かせる可能性だってある」
「じゃあ、アマゾ…南条先生も拡散を呼びかけてくれますか?」
私がついアマゾネス呼びしそうになったものの、気にもせずに協力を約束してくれた。
「あのねえ、私が“アマゾネス”と呼ばれるのは図体が大きくて迫力があるからだけじゃないのよ。親しい連中によると、いわゆる“姉御肌”だからいつの間にかそう呼ばれるようになったらしいわ」
「あ、わかります!“姉御肌”なところありますもんね。ラリホやビンちゃんもタジタジだったし」
私はまた口を滑らせてしまったようだ。
「ハハハ、あなたには適わないね。まあそういうわけだから、私がSNSで拡散を呼びかければ医療関係の仲間がどっと協力してくれるはずよ」
「ありがとうございます!」
私と君枝は一緒に頭を下げた。
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ゴイサギ大明神で堂園一派と相まみえた婦警コンビ、ラリホこと三浦里穂とビンちゃんこと矢田敏子にも呼びかけた。
私がLINEでラリホにオンライン署名の事情を伝えたところ返信があった。
「やるじゃんなつき。ビンちゃんにも伝えといたよ。もちろん2人とも署名に協力するわ」
私は嬉しかったが、ちょっと気になったので確認した。
「署名活動は初めてだし詳しくないんだけど、警察官って公務員だから署名したら罰せられたりしないの?だとしたら無理しなくていいよ」
「子どもが余計な心配しなくていいの。公務員だって署名することはできるわ。ただ署名を集める側“受任者”になるのは、政治的活動にあたるとかでいろいろあるから止めとくけどね」
「そうなんだぁ、じゃあオンライン署名の協力はお願いね」
「まかしといて」
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協力者が続々と増えるなか、我が家でも盛り上がった。
母はパートで働いているお店で耳にしたらしい。
「なつき!そういうのはお母さんに真っ先に教えてくれなきゃ。パート仲間の方が先に知ってたら、親として立場がないじゃないの」
私と顔を合わすなり嬉しそうにしゃべり続けた。
「ごめんなさい。昨日の夜に君枝と相談して決めたばかりだから、話すタイミングがなかったの」
「まあいいことなんだから大いにやりなさい。それがさ、オンライン署名だっけ?パート仲間からお店のお得意さんまで話が広がって皆スマホを見ていたのよ」
母がハイテンションで続けていると、妹が首を突っ込んできた。
「何なのオンライン署名って?」
私がスマホを見せて説明すると小6女子が目を輝かせた。妹の氷菓子(シャーベット)は誘拐されたときにゴイサギが助けようとしてくれた経験を思い出したのだろう。
「ゴイサギ大明神を守る会だなんて、さすがお姉ちゃん。私もゴイサギに恩を返すために協力するわ。学校でも友だちにお願いしよっと」
妹よ。自分はスマホを持っていないのによくぞ言ってくれた。たしか法的拘束力がある署名でない場合、年齢制限はないので子どもでも署名できるわよ。
すると、ちょうど父が仕事から帰ってきて話題に乗ってきた。
「そういうことならお父さんにまかしとけよ!トラック仲間の絆はハンパじゃないんだから。この間なんか“トラック野郎の女神”として愛された歌手の八代亜紀さんが星になっちゃっただろう。皆がスマホでつぶやくもんだから仕事が送れそうになったほどなんだから」
トラック仲間のSNSでのつながりはよくわかったが、そんなエピソードでは八代亜紀さんも喜びそうにないな。私は心の中でツッコミながらも、とりあえず父に調子を合わせといた。
「お父さん、トラック仲間の皆さんにしっかり呼びかけといてね!」
こうして出だし好調に思えたオンライン署名だったが、やがてその難しさを思い知らされるのだった。
【26話】へ続く
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