妄言6
ものすごい数の死骸が並べられている
集合の狂気にいる人達は、それらを死骸ではなく、食べ物と飲み物と着るものとあと、いろいろななにかだと思っているのが、変だと思う
現実を見るのって現実を見るのではなく集合の狂気の秩序に生きることだからねたぶん
並べられてない場合もある
小さい頃私が住んでいた所の近くには、大きい川があって、暖かくなると河川敷には背の高い草が生える
それを担当の人が刈るのだけど、草刈りをしたあとは、草の汁が暖められた匂いがずっと遠くまでしていました
これは草の死骸では?
死骸なんだけど、絶対にそうなんだけど、他の人には何が見えているのかは謎です
現実を見ている 現実の内容がわからないけど現実をみているのはたしか
ベーコンおかかおにぎりを毎日食べています
セイコーマートで必ず売っている
大きい、稲と魚と豚の死骸をまとめたものが、ベーコンおかかおにぎりです。
おいしいです、おいしいんだけど、おいしくてお気に入りって思うのが怖いため絶妙な距離感を保っている
「悼みなさい」とする内心の秩序は狂気でしかないし、なんらかの症状だとおもうので、無理なく無視しなければいけないんだけど、「ベーコンおかかおにぎりがおきにいりです、おいしいから」というのもなんか怖いし、怖いというのは自分が怖いということです。なので、絶妙な距離感
人間は命の価値を感じることができない と考えたことがあります
人間は、思い出の機会喪失に悲しみを覚えるから、死を憂うのかなっておもった
ホントかどうかは謎 だけど、集合の狂気が、命が等価値でないことを示しているのなら、思い出にだけ価値があるし、機会の損失がないと判断されるのは、「稲」なのかな?とおもって
「魚」や「豚」はよく、惜しまれているから、稲にちょっと肩入れしておくことをこころがけている
だからおにぎりってすごく嫌なんだよね、口の中にすり潰した稲の死骸が冷たくて怖いのに
おいしいし……
それで、思い出にだけ価値があるのは嫌だと思ったのか、もしくは等しく命そのものは無価値であると思いたくなかったのか、どうだったのかはわからないけど、あと、いつからなのかもわからないけど、等価値であるように振る舞わなければならないという内心の秩序が発生しました。
怖いから神様になりたいのかもしれない
全部等価値として救うことができないなら、全部殺してあげるみたいな
おにぎり食べるのむずかしい
おにぎりは好きです
明日も食べるので買ってきて、今、玄関に安置しています。玄関は涼しいし 寒いし?家に冷蔵庫がない。