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入院日記 2024/6/27
「反復は、孤独な者のロゴス、単独者〔特異なもの〕のロゴスとして、「私的思想家」のロゴスとして現れる。」
1ヶ月にわたる長かった入院生活を終えるにあたって、僕は、ひとつの問いとささやかなその答えを手にしている。つまり、様々な事柄に対して丹念に問われ、すっかりくたびれた「なんのために」と、それに毅然と答える無言である。
入院する直前、物事は全くあべこべな重みを持っているように思われた。物事は、大
何が問題と呼ばれるに値するか?
「解くということはつねに、《理念》として機能する連続性を背景〔基底〕にして、もろもろの非連続性を算出することなのだ。」(『差異と反復上』430頁)
誰でも、問いを立てる。そして誰でも、解決するだろう。問いは様々である。意中のひとを振り向かせるにはどうしたら良いか。試験に合格するためにはどうしたら良いか。明日の朝食は何にしようか。楽しい時間はなぜこんなにも速く過ぎ去るのか。そしてそれぞれに、暫定
入院日記 2024/5/26
木曜日、5月23日から大きな病院に入院している。その前の土曜の夜から大変に心の調子を崩してしまった。生活というのはキャッチボールに似ているのかもしれない。グローブにきちんと収まるような投球をするには、言葉で説明するよりもまず、振りだされた腕の位置、その速度、体全体とボールとの距離、キャッチャーへの目配せといった与件を、身体を通じて理解し、リラックスしながら制御している必要がある。僕は3ヶ月たっぷ
もっとみるイメージの思考へ、その2
コミュニケーションがあるとき、そこには常に「風景」がある、と言えそうだ。その光景は、主に次のように形成される――まず、「他者」という黒い穴が開いた場面。その穴に吸い込まれる言葉は、最早何も意味しない。意味することが可能になる条件そのものの忘却がある。他者の顔が天井まで上昇して、幻想的な光を発することもあるかもしれない。その場合、他者の顔は純粋な意味するものになってしまっており、ひとはコード解読者
もっとみるイメージの思考へ、その1
イメージの思考、思考のイメージ。一枚の絵画が様々な法則に貫かれているように、イメージもまた論理を持っているに違いない。イメージの論理はイメージ同士の繋がり、そしてその全体が作り出すある統一のとれた全体像によって完結する。「エネルギーのもろもろの流れはまだ緊密に結びつき、様々な部分対処も依然として過度に有機的である、といわれるかもしれない。ところが、ある純粋な流体が、自由状態で、途切れることなく、
もっとみるものとは何であるのか 第五部
13,停止 止まる、と思った。
「おとなしくしなさい!おとなしくしなさい!」
得体のしれない奴らが私の両腕を強く抑えつける。私は獣のような唸りをあげている。床に臥せられ、じたばたともがいているのを、乗客たちが眺めている。手すりの光沢がにじんでいる。私は泣いていた。私はたまらなく悔しかった。私は何度もこうして組み伏せられ、最後には私の肉は、屑のように処分されるのだ。そうして電車は時刻通りの運行を