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響きと余白と、過去の記録

生徒の演奏の収録のために、ピアノの周りのごちゃごちゃしていたものを別室にだだだっと隠して空間をスッキリとさせたら、ピアノの音が伸びやかになっていました。余白があるから響きが豊かに保たれるわけで、私ののだめな音楽室は物がだんだんに増えて音色は窒息状態だったことに気付かされたのでした。

できたらもうリバウンドしたくないな。

ちょうど今週は生徒たちはみんなオンラインなので、音楽室には誰も入ってこないのを良いことに一週間かけていらないものを思い切って捨ててしまうことにしました。目指すところは、ピアノの上にも下にもなにも置かなくてもやっていける空間を作ること。そのためには、長年開かずの引き出しの数々を思い切って整理し、いらないもの精査すること。MDのソフトもほとんど捨ててしまって、数枚どうしてもというのとMD本体を一つだけ残しておくことにしてコンパクトな箱にしまいました。次の整理整頓のときには捨てるかな、まだ捨てられないな。

あとは、utena drawing の膨大な描き飛ばしの数々。

もうなにを描いているのかわからないものもおおいし、同じワークをいろんな生徒と一緒になってやっているから同じような図柄も何枚もでてくる。

そんななか、東京ワークショップにでかけたとき必ず一冊は描き潰していた百均のスケッチブックも出てきました。

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開いてみると、自分でもびっくりするくらい、やっていたこと、そのときの理解できたこと、生徒さんと私の食い違い、関わった曲の特徴などが走馬灯のように思い出されて、このちょっとの記録がいかに大事かということも思い知らされました。utena drawing にはこんな体験の蘇生能力もある、いや、だってそもそもが体験の蘇生のためのワークだもの。ということで、そのときのワークを思い出す鍵になっているようなドローイングはやっぱし捨てないでとっておくことにしました。これで5割は捨てて、残りを本棚に入れていきました。

更に時代をさかのぼったものもでてきました。昔のレッスンの様子が思い浮かぶスケッチブック。(昔からスケッチブックは使っていたのね。)娘に教えていた頃のものだから、25年以上昔のものになります。いろいろ工夫して頑張ってたんやね。

テキストに頼らないで、今ここで音楽を作っていくような感じでレッスンをしていたんだなと、それは今でも評価できるところ。ほとんど手作りのソルフェージュブックになっていました。

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でも、今だからわかるのだけれど、これでは子供の音楽は起き上がってこない。

その場で思いついたものを気まぐれに教えていて、スケッチブック全体の進行が見えてこないし、子どもという器を理解できていないし、この方法でリズムを教えても机上の空論・抽象的な伝え方で、子供の身体に響く方法ではない。むしろ子供の身体を固めていってしまう。(なにがどういかんか、というのはサークル深めるコースで記事にしようと思っています。)

一生懸命さは伝わったかもしれないな。若い先生はそれでも良かったかもしれない。でも、そう、当時の私もこれじゃ、あかん、ってなって、こういうのを手放して、よりリアルに伝えていく方法をあれこれ悩んでいたんだなあ。

などといろいろおもいだすリハビリをしながら、今週を過ごしています。



愛媛の片田舎でがんばってます。いつかまた、東京やどこかの街でワークショップできる日のために、とっておきます。その日が楽しみです!