音楽室でのダイヤログ(対話)
体験を補修していく音楽ワークとダイヤログ
大人の個人対象のレッスン、表向きは、
楽器演奏や音楽理論、
そして動線を使った音楽と体験理解の「u.d音楽を描く」、
の3種類になっています。
でも、実際には、ピアノのレッスンでも、必要となれば楽曲練習を一切やめて音楽理論をすることもありますし、音楽を描く、が楽しそう、と言って始めた人が歌や笛をもって、いつのまにか練習に励んでいる、ということもあります。
そして、楽器を学びに来て、音楽を描くことから掘り下げていってみたい、という人も。
大事なのは、その人と音楽が、今よりもっと仲良くなっていくことなので、その方法はどれになったっていいんだというのがこの音楽室のやり方です。その時その時に補っていく必要があるものが、演奏することだったり、自分の声で歌ってみることだったり、理論を体験的に取り入れることだったり、utena drawing で体験を深めることだったり。
もちろんピアノレッスンが続いていく人もいて、そういう人は目的が自分の中でしっかり決まっている、のでしょう。でも、案外多くの人が漠然と「音楽にもっと親しみたい」とおもいながら 迷っているのではないかな、と感じています。というか、多分そういう人がうちの音楽室(音楽教室)を選んで来られるのかもしれない。そういう方も並々ならぬ音楽への情熱を持っておられるのです。
そして、そういう方の場合は、その時々のその人の気づきに伴って、なにか今満たされていない要件を埋めたいという欲求が、次のレッスンを決めていく。
だから、レッスンは楽器をやったり、動線を描いたり、理論やったり、で一見一貫性がないようにも思われるかもしれません。
そんななかで 筋を通しているのが、「対話」なのじゃないかな、と思います。
私がその人のプロセスを追うことができるのも、その人が自分のプロセスから次の選択をするために情報を集めるのも、対話を繰り返すことによって。
だから、もしかしたら、対話は最重要なツールかも。
いや、もしかしたらじゃなくて、受講者と私との距離を埋めていくためには、いつのときも見失ってはいけないのが対話。対話がなければ実際、他者のことはなにもわかってはいない、と思います。
対話と動線がつないでいくもの
utena drawing で描きながら、ふと気づいたことや、思いついたことなんかを口にだしてみてもらうのです。
そうすると絡まった糸が絡まっている、ってことにまず気づいて、自分がどこに焦点を持っていたかを言葉にしてもらえて、私も、言語以前の動きであるドローイングとその言葉とで共有できる内容のものになっていきます。
ほら、線はこんなに雄弁なのに、これだけでは伝わらない。だから尋ねます。
そして、言葉のやり取りがとつとつと進むと、糸がほぐれていくように、連鎖的にいろんなものが湧いてくるみたい。
それは、描くという行為が一つにはアウトプットなので、そこから自分自身にみえてくるものがある、ということと、そもそも動線を描く、ということが無意識に揺さぶりをかけてもいるのだろうとおもいます。
糸は絡まっているけれども、その一本だって、他人がムダだから切り落とせ、なんて言える糸なんかはない。
少なくとも、傍観者である私がそれをしていいはずがない。
そこが私の技術でもある、と思うのですね。いかに切るかではなく、いかにときほぐすための手を貸せるか。その糸を必要な流れに流していく、あるいは、手放していく、そういう作業がその人の中で行われることが、深化には欠かせません。
音楽をその中で伝えていけるか。
大事なのはその人の能動性が動き始めること。
簡単なことじゃない、といつも思います。
「喋ってばかりでごめん。」とおっしゃるので、
いやいや、それもアプトプットだから、必要があるから出てきてるのだから。口に出して初めて気がつくことだってあるから。
とお答えします。(そんなわけなので、時間はかかりますが・・・・)
utena drawing は、きれいに描けることが目的なのではなく、描いてくプロセスで何を体験するのか、なおかつ、音楽としての普遍的なところ、人と本来共有可能なところをそうやって本当にそこで共有していくかというところに。
でも、このワークはナイーブな体験に直接関わるから、諸刃の刃、体験そのものを強制することだってできるものです。つまりこう描きなさい、と。
そうなると本末転倒。
感じたものを口に出してもらうのは、それを回避するためでもあります。
嫌だ、わからない、抵抗がある、なんとなく違和感。
それは描いている人の側からの大切な情報なのです。
私は、今のその人が満足できていない以上は、今のままでよいとは思っていません。人は変化していける生き物です。
そこは対話を通して鍛えてもらう。
そしてそれは私も試されるということでもあります。
そして、個と普遍の間にはいつも葛藤がある、
だから、決して楽しいだけの作業ではなくなるのですね、そこに気付き始めると。
でも本当に面白くなってくるのもそこからで。
それは描いているだけでは何も伝わらないし、その人もアクティブに自分の中を探してかなきゃいけない。
だから、対話は大事で、やっていることの具体的なやりとりは言葉以外にはありえないのです。
そうやって、問いをもち、そこから押し広げていくことの意味を共有できたときは私も本当に嬉しい。
コロナの中、そうやってやり取りできる人は今限られていて、本当に口惜しい。
オンラインで、どこまでできるかな。楽しみでもあります。
この記事は「人と音楽のあいだを満たすものについて」マガジンに集録してあります。他の記事もよかったら読んでみてください。
お知らせ
utena music field ,オンラインサロンをはじめました。
愛媛の片田舎でがんばってます。いつかまた、東京やどこかの街でワークショップできる日のために、とっておきます。その日が楽しみです!