ピアノの発表会までにすること
生徒たちがそれぞれ、10月初めの演奏会にむけて、暗譜が仕上がってきました。
ここから、誰かに演奏を聞いてもらう、という体験までに
どんなことができるだろうか、ということ
この段階だから修正できること、伝えられること
たくさんありすぎて、レッスン時間いっぱい
フル回転です。
「間違えなくなるまで、何度も練習する・・」なんてことは
utena music field には眼中にありません。
今だから、この曲だから、何をつたえられるか。
普段ゆるめの音楽室も今は熱い。
みんななかなかそれぞれ自分の曲が気に入っているようなので、その曲ともっと仲良くなるには・・・というふうに振ってみると、普段耳を傾けてくれない小言でも、素直に聞いてくれます。
身体の使い方の修正
暗譜ができているということは、それだけ身体の方に意識も向けやすいので、この際なので、全員、身体の使い方を見直し。意識がいってないところ、硬直しているところを解放し、左右が同等の働きができるように、身体のバランスと重心を整える体操を。やっているうちに、みんなに共通の大事なポイントが見えてきたので、体操は定式化してきています。
この体操をしてから弾くと、ちゃんと両足が床あるいは足台に乗るようになったので、よかったよかった、これ続けてみよう。
テクニックの強化
はやいパッセージがもっと綺麗に弾けるとか、タッチがしっかりと鍵盤の底について響きのある音になるようにする、とか、リズムに対応した指の動きができる、といった、具体的な目標が目の前にあるので、テクニックの練習も熱心にやってきてくれます。その目標に合わせて、一人一人目的にあった練習曲を作成。
聴きながら弾くこと
普段、一体どのくらい「自分の音を聞く」ということができているのでしょうか?
これも弾き慣れている曲だから聞くことを促しやすいです。
曲のイメージをさらにリアルにしていくこと
例えばサンサーンスの白鳥を演奏する子。
白鳥がどんな大きさで、どんなふうに羽ばたくのか、大きな鳥なので、小鳥とは違うし、もちろんカラスとも違う。音が上行していくときのその羽ばたきをイメージして、イメージした音に近づけていく。そして下降するときは?
わたしたち、空を飛ぶ練習をしてるみたいねって笑いながら。
ちょうちょ、マンモス、女王様、ハイキング、行進曲、チャイナタウン、メヌエット、樅の木、
一つとして同じものはない。
それは一つとして同じ質感で片付けられないということ。テンポを自分で掴むこと。それは決して「与えられたテンポで弾く」という受身な問題ではない。
もう少し上の子たちはソナチネとかソナタとかで名前がない。名前がない抽象的なところにしっかりと音のイメージを作り込んでいく。
誰かと音楽を共有すること
連弾の子たち、今回はなかなか連弾練習ができなくて、ぎりぎりで合わすことになりそう。だから、余計に「相手の音をイメージしておく」ことが大事。
そして、音楽の共有、というのは、演奏する人と聞く人との間にも。
誰かに「自分の音楽」を聞いてもらうってどういうことなのか、それはくすぐったいけど嬉しいことで、相手も嬉しいことで。そんなギフトとしての演奏。「自分の音楽」を構築していく意味。コンサートの意義。
曲の全体の流れを良くしていくこと
音楽を細切れにしないで一つの流れとして捉える、ということも、普段の曲より長めの曲だから取り組める。
そのためには、「流れを掴んでそれに乗る」ということと「構成が見えている」ということ、そのつなぎ目をどう乗り越えるか、というもっとピンポイントの工夫。
一定の水準にできた生徒には、もう一曲
この子はこのくらいの曲かな、と思って渡した曲が思いのほか早く仕上がった子には、もう一月を切ったこのタイミングでももう一曲勧めてみる。
3・4年生あたりの生徒がそういう感じになります。
短期間でどれだけ、「完成」に向かってできるかな?
愛知での体験
先週は木・金と愛知に行っていて、レッスンができなませんでした。特に生徒たちに練習しときなさいとか、釘を刺すこともしなかったのだけれど、程よい感じで、本番に向かって意識できているよう。
私の方は、むこうでみたオイリュトミーの講演が素晴らしく、また、息子にドイツ語の発音を叩き込まれるという体験もしてきて、良い刺激をもらってきていて、とにかく生徒とのやりとりが楽しくって仕方ない。
感染が広まったり、おさまりそうだったりでふりまわされるけれど、基本はひとりひとりのその日までの曲の向き合い方にある。今回はまとめようとすることは諦めよう。
何より嬉しいのは、生徒たちが楽しみに頑張ってくれていること。
愛媛の片田舎でがんばってます。いつかまた、東京やどこかの街でワークショップできる日のために、とっておきます。その日が楽しみです!