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赤と白とそのあいだ
雑草との共存と、選べない私と。
争うのではなく、変化していくこと、そこに、音楽以前の私のテーマがあるのかもしれない、と草を狩りながら思いました。最近、雑草を残しながら植物を育てる、という記事がやたらと目に入ってきて、私も草を引かないで根を残しながら、よく観察しながら協生させていく、という方向に向かいつつあります。野菜VS雑草という対立構造ではないその新しい考えは、どこか自分の肩の力を抜いてくれたようにも思います。
もともと自分の根っこにあるのは、白組にも紅組にもつけないで、いつもあいだでオロオロしている自分のありようで、孤立してるような、でもアティテュードというようなかっこよさもなく、どことも適当につながっているような中途半端な性格は優柔不断、決断力がない、意志が弱いと・・・嫌われもしないけれど、理解もされないという立場になることが多くあります。人とぜんぜん違う行動に走ることももしばしばあり。でも、かえられない、というか変えたくないので、その、自分自身を認めるために、意味をどこかずっと探しているような気がします。
理解できるのは、フランス革命なくして今の「自由」という概念も生まれなかったように、赤白に別れて争うことで過去の価値観を崩し、某かのものが成立していく構造も世の中には必要なことだということ。ただそこには争いで失っていくものも確かにあって、私はできるなら、そういうところでは身を伏せておいて、争いが終る前に落ち穂を拾っておいて、戦いで荒れた土地にまたこっそりタネを蒔く農夫でありたいと思っています。いや以前は赤と白を和解させようとして、ドツボにはまり、たいてい何事も成せないどころか問題を更に複雑にかき回してきた自分の半生の後に、やっとこのこの頃落ち着いてきた境地がその辺、なのです。
ただ、昔も今も一貫して思うのは、世界は二項対立の力仕事だけでは豊かにはなっていかない、と。これだけは、多分、この優柔不断さの根深くに宿っている、私なりの「意志」であるかもしれません。何事も判断する前に、観察。いやいや、意志などとアウトプットな姿勢ではなくて、受動的に観察インプット状態。二項が争いそのどちらかを正義としたときには、世界というのは限定的なものになってしまう、というのは少し脇に避けてみてる人間からしてみたら、意志などという確固たるものではなくて、もっと平易に事実、でしかないものです。赤も白もあっていい、あっていいけれども、赤と白だけになるのは危険、赤だけ、白だけになるのはもっと危険。というか世界はそうはなりえない。ミミズや善玉菌悪玉菌が生態系をなして土壌が豊かになるように、赤も白もその生命の一つ。善が完全に淘汰されることがないように、悪もまた完璧に淘汰されることはなくて、実際世界の物事のバランスの糸はそんなVS綱引きみたいにはできていなくて、コトとコトはそれぞれにいろんな面を持ちながら、息づいているし、人の内面での解釈の限界を超えて響いているものだと思っています。
芸術はなくても生活はなりたつか
そうした世界はいわば、結論のない世界・・・世界には結果も結論もない、という領野が広陵とひろがっているものだとおもうのです。さらに芸術の意味は、その、結論のない世界にいかに深く潜っていけるかやってみるーというところなんだと思っています。音楽というミミズや雑草の根っこ。
地上で赤白が争うあいだも、地中を掘り進むそれ、音楽。(もちろん多様性だから西洋音楽以外のミミズもいることでしょう。私の穴が西洋音楽なのでこういう表現になってしまうだけで。更には音楽じゃないミミズもたくさんいる。)ほかの、世界を動かしていく政治や思想のような表舞台ではないから、不要不急と言われ、小中学校の教科でも隅っこにどんどん追いやられ、そのくせ、地上ではミミズにも花を咲かせとばかりに、「立派な演奏」だけにその価値をもとめられる音楽。
芸術の意味はいかに深くの土壌まで耕していけるか。
その意味は、すぐには理解されないし、その因果関係も明らかにはなりにくいけれど、地上で様々な出来事が起こるたび、人が求めていくものを、どのくらいの深さから掘り出してこられるのかは、その土がどのくらい潜れる柔らかさをもっているか、によるものではないでしょうか。それは人の感覚や意識に必要な余白や方向を嗅ぎ取る感覚や、理を読み解く力。個人というよりそれは、社会の下支えになる共同の感覚フィールドにおいて。
それは、何も難しい曲をこなす、ということではなくて、むしろそうした地上的な音楽の外皮を剥いだところにある音楽で、その性質上、目立ちもせず大切にもされずに放置されたままであるかもしれません。
そうした、芸術の戦いかたは、おそらく、赤VS白、というものではなくて、そこで耐えて変化していくもの
だから、赤白の争いからは逃れたい、私の居場所が音楽だった、ということなのかもしれないです。
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