街のおとや
八百屋や魚屋が シャッターを閉じて、閑散とした商店街と、郊外の巨大なスー パーマーケット。 少しづつ大切なものは消えていく、それまで無自覚だった、なにげに便利なスー パーにばかりいっていた。
それに似たことはヒタヒタと、身辺にも起こっている。
日常の中で、大切なもの、閉じていこうとするものを、開けておく。
徐々に失いつつあるものを、いや、そもそもが、そんなにたくさんはなかったものがさらに遠のいていく。
扉を開けて風が入りやすくする、そのくらいしか今の自分にはできない。
そういえば、きつつきの商売という話があったな。
学校の教科書にも載っていて、い つか生徒が教えてくれた。
きつつきが音を売る、という話。
私も似たようなものかなと思う、というか きつつきになりたい。
きつつきはこれで生計を立てていて、そして、こういう 職業はあったほうがいいと思う。 きつつきが音を売ることで森は豊かでいられる。そういうのは当たり前すぎて、気が つかない。
きつつきは森のお店やさん。
うちは街の小さなおとや。
ただの音じゃないか、それで腹が満ちるわけでもない、そんなものが商売になる ものか、とか、時には、大手スーパーのあれをください、とやってくる人もいる。
ついでに、素敵な靴も一緒に売ってはどうですか、と問屋がやってくる。
残念ながら、この店で売っているのは音だけでございまして。
と森の小鳥よろしく、私はつぶやいてみる。
お店を覗いてやってきた生徒さん達、いるかいらないかわからない音を、 あれこれとやっている。
そのうち、互いにわかってくる。
必要だったから、店を覗いたんだということを。
そして、まだであっていない、出会うことのない人の中にもたくさん、音を探し ている人がいる。
私の商売は、日常、というこのささやかさの中に響き渡る、この音を途絶えないようにすることだ。
世界にきつつきが一人になっても、きつつきは音を売る、小さなお店をやりくりしながら、ちょっとそんな心意気もあったりする。
きつつきも副業するとか、子育てするとか介護するとか、そうした日常を不器用に行き来しながらも、きつつきはきつつきでしかいられない。
そういう役目なんだとおもう。
*生徒に教えてもらったお話「きつつきの商売」は
林原 玉枝 作・はらだだけひで絵 の「森のお店やさん」(アリス館)
という絵本のなかのお話の一つです。きつつきは「自分が作った音」をお客さんにうっているのではなくて、お客さんに「音」を届ける、という仕事をしています。そのためにときには自分で音を作り出すこともありますが・・。そこが、私がきつつきになりない、と尊敬の念で思ったところ。森のお店やさんには、きつつきだけではなく、もののわかったおばあちゃんのようなハリネズミのぽけっと屋や、これから商売をはじめようとしていまひとつのたぬき、誰かのためではなかった蜘蛛の巣が伝言板になっていくぎんめっきごみぐも、などが登場します。音楽を教える仕事というのに私はずっと違和感があって、かといって、演奏家でもない。しごとってなんだろう?という問いがいつも自分を中途半端にしているのですが、どんな指南書よりも私には、この森のお店やさん、たちが自分がしたいとおもう商いの本質的なものを掴ませてくれたように思うのです。
もし、私のように、自分の仕事に迷っている人がいたら、ぜひ読んで見てほしい本です。