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音楽を描く(utena drawing)理論と方法10

udを通した体験の向かう先

複雑なものを複雑なままに

utena drawingは、わかりやすい、とよく言っていただきます。描いてみて、そういうことだったのか、と気づくこともよくあります。
でも、utena drawingは音楽を単純に線化して、わかりやすく伝えるものだ、と理解しているとしたらそれは違うのです。

むしろ、複雑なものは複雑なままに情報として浮かばせ、簡略化ではなく、それぞれのフェーズを紐解いて、それぞれの持っている素直な流れ・プロセスを体験として、始まりから追っていけるように工夫しています。結果、その一つ一つの流れが見通しよくなります。簡略化することと、見通しを良くすること・・・「わかりやすい」、ということには二つの方向性があり、utena drawingは後者を選択してきました。

実のところ、utena drawingはそのどちらにも対応できるものだと思います。そして、場所によっては、両方使い分けることもあります。でも、複雑なものを複雑なまま時間をかけてでもその方向へと舵を向けるのには、わけがあります。

utena music field は、以前、どうして音楽を教えるのかほとほと悩んだことがありました。私は、「音楽をやっているから素晴らしい」というような気持ちには到底思えないからです。でも、そのときに見つけた気づき。

「音楽が荒廃する時、人も荒廃しているだろう」

*このことについて記事にしています。

例えば、複数の人で音楽を揃える、という場合のことを考えてみましょう。
単純化し、わかりやすい図にし、みんなで一斉に時間ぴったりの演奏をする、ということ、そこには、それしか知らないから合わせる、という事情もあります。それと、時期が実れば同じ花が一斉に花を咲かせる、という揃い方、さらには、お互いの息をかんじながら、舞い降りるように「そこ」で一瞬を共有する。それらは、時間の捉え方の違い、感覚のキャッチする範囲の違い、などが関わってくるでしょう。何が正しいか、ではなく、フェーズの違いです。utena music field は音楽の多様性、個々人の体験への畏敬のもとに、問いが問いを生みながら、カツンと底に届いて終わりではない方向を選択したいと思っています。

理論と方法のマガジンで、ここまで、それぞれのフェーズを紐解いてきました。
絡んだ毛糸をほぐすようにして、実感としてブラッシュアップしてきたもの、これらは、さて、いつ、どうやって、ひとつにまた結ばれていくのでしょうか。
「実践→結果」というような図式ではない、ということをおつたえしてきましたが、じゃあ、どこまでも雲を掴むような話になってしまいます。
日々の中での実り、それは、演奏、という一つの芸術行為として。あるいは、そんな遠い話ではなくても、暮らしの中、自分のなかに自分の音楽が息づいていると感じられる、ということにおいて。自分と音楽はどんなふうに近づき合っていけるのでしょうか。

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愛媛の片田舎でがんばってます。いつかまた、東京やどこかの街でワークショップできる日のために、とっておきます。その日が楽しみです!