音楽を描く(utena drawing)理論と方法9
セッションと感覚の広がり
音楽する時いつもそこに誰かがいる
この記事は、utena drawingと「音楽プロセス体験」を理解してもらうための理論です。今回は、音楽の向こう側に必ず存在する、誰か、とその間に生まれる音楽について。
自分一人では音楽はできない
音楽と関わる以上、自分一人で成り立つものはなく、音楽の向こう側にはいつも誰かの存在があります。それはよく考えてみると思った以上に至る所で出会う「音楽にとって欠かせない」要素なのです。そして他者こそが、自分の狭い感覚を広いところへと連れ出してくれる存在です。
たとえ一人で黙々と音楽の練習をしていて、孤独な体験と感じていたとしても、その音楽を作った人がいて、その人はその人独特の音楽を醸していてその体験を追体験しようとしているのですし、そもそも音楽というのは歴史的な誰かの体験の積み重ねで現在の楽譜の理論ができているものだから、そこにもたくさんの誰かが存在していてその「体験」が生きているのを私たちは「音楽」と呼んでいるのです。
さらには、先生について楽器を教えてもらう、とか、逆に生徒に教える、という場、誰かと一緒に演奏をする、という場、そして演奏会で演奏する側と聴く側・・・いつも音楽はその間でやりとりされているものです。
では、いったい音楽にとって、あるいは自分にとって、誰か(他者)とはどんな存在で、どんな影響があるのか、それを音楽プロセス体験をベースにしたutena drawingではどのように展開していくのか、ということを見ていこうと思います。
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愛媛の片田舎でがんばってます。いつかまた、東京やどこかの街でワークショップできる日のために、とっておきます。その日が楽しみです!