音楽を描く’(utena drawing)理論と方法2
音楽フィールド
音楽が人の心になにかを呼び起こすのは、どうしてでしょう。
私は、音楽には、音から音への間に様々な表情が生まれて変化していくさまがあるから、そこに動きや生きた感じがあって、それが人を楽しませ、ときに慰めてくれるからだと思います。
あるとき、私は、その音楽の形にならないプロセスを動線としてクレヨンで描き出すことで、実感的なプロセスとして体験できる、ということに気が付きました。更に、それは内的な感覚のアウトプットとなり身体感覚や演奏にも変化が現れてくるのです。これはなんだろう、という不思議から、掘り下げ掘り下げするうちに形になってきたのが、この音楽を動線でやりとりするutena drawingです。
udに期待できること
今まで諦めていた細やかな部分、ダイナミックな部分も伝達できる。
音と音の間の経過をどのように感じているかがよく観察できる。
聞き方に由来する癖を引き出してきて、修正することができる。 またそれによって身体へのアプローチも細やかになり、本人が内側から働きかけることができるようになる。
自分以外の人の持っている動きの感覚と連動することによって、新しい動きの感覚を知ることができる。
動線を描くときの腕や手首の動きは、演奏のときのテクニックに通じるものがあるので、描きながら、細やかに音楽と連動した、テクニックの流れに気がつくことができる。
音楽と自分自身との距離を埋めることができ、自分にとっての音楽との心地よい関係を取り戻すことができる。
今までの音楽教育との違い
考えてみれば私たちはこれまで、どう演奏するか、と言う事はたくさん指導を受けることができますが、どのように聞くか、それをどのように体験しているか、という事はせいぜい音感教育ぐらいしかなかったように思います。音楽体験は本来深く広く、いくらでも掘り下げることができる領域であるにも関わらず、です。
ただ、そこには今までの音楽教育に限界があって、どんなふうに聞こえるか、それがどう変化していくか、というところは、感覚的、個人的な部分が大きすぎて扱いようがない、ということがあったと思います。
図式として、
器(音楽的能力・技術) / 体験の中に溜まっていく見えないもの
と言う分け方をしたとして、これまでの音楽レッスンの考え方は主に「器」のほうに重点が置かれてきたかもしれません。 体験の中に溜まっていくものは見えないからしかたない。 また、扱いも難しいと思います。これを能力やセンスの問題と片付けられておわり、だったりします。
でも、このutena drawing は、その1つの解放、になり得るのではないかと考えています。音楽体験のプロセスを展開していってみよう、そしてそれを共有してみよう、と いう方向を目指せる可能性があります。
udは自分の音楽イメージがどのようなものであるか、を指し示してくれます。ですから、utena drawingのワークは、その積み重ねによって「感じること」を主体とした組織的な音楽のイメージが、よりリアルに豊かになっていきます。これを
「音楽フィールドの育成」と呼んでいます。
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愛媛の片田舎でがんばってます。いつかまた、東京やどこかの街でワークショップできる日のために、とっておきます。その日が楽しみです!