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「ちゃんと練習しなさい」の”ちゃんと”って?

”音楽”を伝える音楽教室に

先生は「ちゃんと練習してきなさい」というけれど
(私もときどきは言います。ときどき、な。)
そもそも、「ちゃんと」のそのちゃんとの中身ってなんだ、という話。
音楽教室に限らず、家庭でも起こりがちなことじゃないかなと思います。

それ、まるなげ

ちゃんと、というのが、ちゃんと毎日ピアノの蓋を開けて30分練習するとか、いうのだと、中身があるとは言えない。
もしそこを生徒に丸投げしちゃっていたら、そりゃ、それに耐えられる子だけの音楽ってことになってしまわないか。

生徒にしてみたら、
先生にちゃんと練習してきなさい、と言われたけど、
やっていることの意味が見出せない。
先生に言われていることが飲み込めていない。
楽譜が読めないから、自分で再構成できない。
あるいは、何をすればいいか覚えていない。
宿題が何かわからない。
思うように指は動かない。
思考停止・・・・

さらには、先生にちゃんと練習させてください、と言われたお母さんが
ちゃんと練習させなきゃ、となって、
聞き耳たててたりしたら。
さらにさらに”ちゃんと”は実体がないのに威力だけある言葉になってきてしまわないか。


お家での練習は確かに効果ありだけど

理解できていることの反復練習と
自分で楽譜から起こせてくることを自分で音楽として構築する
という練習ならば、もちろん、家での練習は効果絶大です。

でも、わからないなりに目をつぶって崖から飛び降りるような練習は
かならず
音楽として大事な個々人の体験を奪っていると私は考えています。


また、自分でどうしようもできないこと(身体的な未熟さなど)を
一人で解決させようとしていないでしょうか。


生徒や家庭に丸投げしないためには、
講師の側が毎週のレッスンの中で
その生徒が何ができていて、何が理解できていないのか、を
一人一人把握できているかがまずは第一。
楽譜が理解できてない子なんかは、レッスン室から一歩でたら
もう、やったこと忘れてます。(笑)
その解決法はどうしたらいい?
とにかくレッスン室で音符を理解できるまでつきあうとか、
メロディ体験をしっかり記憶して帰ってもらうとか。
もちろんそれは、楽しい出来事として。

そして、次の一手はなになのか、
それをどう伝えるか。

こちらの側が「音楽を吸収しアウトプットする」というプロセスをどれだけリアルに具体的にイメージできているかが、先決問題なわけです。

演奏できるようになったうてまちゃん

自分で練習できる子は

誰かに言われなくても練習してくる子もたくさんいます。
そういう子は、「何をどうしたらいいかよくわかっている」子です。
そして、ピアノそれなり楽しい、と感じるところまでいってる子。

”ちゃんと”は中身の共有ができて初めて成立する言葉

低学年の間は、まずは理解、それから身体と聞こえてくるものを連動させること。
これは、楽器演奏を楽しいと思えるために欠かせない基礎。
これは、講師がつきっきりでやらないとできないことだと思っています。
音楽は人が生んだものだから、人が伝えていかなきゃいけない。

うちの音楽室では、(そう、音楽教室ではないので)
練習してごらんね、と言って送り出したり、
色々画策はするけれども、
したかどうか問い詰めることはしません。
むしろそこは自由な領域としています。

自分で音楽を構築できるようになって
やっと「ちゃんと」と言えるかなと思っています。
3年生くらいが目安だけれども、もちろん個人差があるから、よく観察しながら。
それが言えるのは、ちゃんとの中身が共有できてくるから。
自分で問題を解決できることを私も生徒もわかっているから。
「ちゃんとやってみてごらん。ちゃんとわかるから。ちゃんと身につくから。」
ほら、ちゃんと言葉がすとんと入るようになってくる。

そう言う一人前に近い相手には
そこにまだ向かえない時に、
あなたはわかっているのにやっていない。
自分でできることを私から聞こうとするな。
わからないなら、何がわからないかを見つけよう。
あなたが練習した先にしか私が教えることはない。
みたいな、放り投げ方もできるようになります。

そうなるまでは「ちゃんと」は使わない方が良いと思いますし、
もちろん、3年生以上でも中身のない「ちゃんと」は講師としてつかっちゃいけない。
そして「なにをどうしたらよいか」わかるように手渡せたら、
音楽を嫌いな子なんていない(大人がそうさせない限り)から、自分で漕ぎ始めます。
それは今じゃないかもしれない、10年先かもしれない。いいじゃない、それで。

(うてまちゃんは、娘が描いてくれた、うちの音楽室のキャラクターです。)


愛媛の片田舎でがんばってます。いつかまた、東京やどこかの街でワークショップできる日のために、とっておきます。その日が楽しみです!