YouTubeとワークブックによる勉強会のお知らせ
教室用に作った音楽ワークブックを公開します。
音楽のゼロ地点から、理解と体験を育む音楽ワークブックを、最初から順番に全部Hpで公開し、YouTubeで実際に練習できるように動画で音声なども公開していきながら、勉強会をします。
HPからのニュースレターで送った記事をこちらにも乗せておきますので、興味のある方はHP覗いてみてください。
まだ作ったばかりのワークブックなので、いいものなのか、そうでないのか、まだ私にも判断ができません。私自身の勉強会、と言っても良いかも。ただ、本番にはからきし弱いが、観察力には自信のある私の30年分の経験と「音楽を描く」から学んだことがこの中には凝縮してはいっているので、なんか、できるはず、と思ってはいます。うまくオンラインでつたえられれば、ですが・・問題はそこで。
それでも、音楽のごくごく基本的なところを体感として身につけたい、とか、音程感・リズム感に不安を感じている、とか、音楽と距離をかんじている、という方、音楽教室の先生などで、このワークブックに興味のある方、引きこもってるけど、音楽を学びたい、安価で音楽の基礎を学びたい、という人にはチャレンジしていただきたい勉強会です。
基本的には内容はすべてHPで無料公開していきますが、紙のワークブックが手元にあるほうが良いので、購入もできるようにしました。
音楽の記述化は音楽を豊かにするか、まずしくするか
さて、その「ミュージックリテラシーワークブック1」を使いながらのオンライン音楽ワークブック勉強会を開始するまえに一つお話を。
楽譜のはじまりがどんなだったかというお話です。
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ドレミファ・・・という音名を確定し、今の五線に近い形で表した人物がいます。
名前をグィードダレッゾといいます。その人は、若い修道士を教育する年長の修道士でした。
そして、若い人たちに聖歌をどのように教えたらよいか、と思案したのでした。そういう場で、見えない触れない音楽を見えるかのようにして共有できる、音名と楽譜というツールを発明したわけです。
それによって今まで諦めていたような生徒もどんどん歌えるようになることを、かのひと、グィード・ダレッゾは喜びをもって書いています。ドレミ・・ってそんな素朴で実用的なところから生まれたのですね。
ところが、彼のその方法は、同じ立場の人達からは反感を持たれていたようです。
かくして、グィードは音楽教育ができない田舎に左遷されてしまう・・(なんて、今と変わらない人の営み)
・・というふうに書くと、反感を持った人たちが悪者のように思えてしまいますが、私は、音階が生まれたプロセスや、グレゴリオ聖歌の指揮法であった「キロノミー」を知ったとき(キロノミーの話はまたいつか・・音楽を描く’にとても近い線で表す指揮法です。)、その自然との関わりや、繊細さが垣間見えたとき、物理的な面から音楽を記述する、ということに危機感を持った人がいたとしたら、それはそれでもっともなことのように思えました。
今、私達は、グィードの作った記述法の基盤の上に体系化された音楽理論とそれの写しとしての楽譜があることによって、音楽を共有し楽しんでいます。
クラシックもロックもジャズも。
もし彼が、音楽のリテラシーが共有できるようにするために、音楽の記述化をしなかったとしたら、今のような音楽体系は生まれていなかったかもしれません。それか、彼がしなくても他の誰かが必要に迫られ作ったかもしれませんね。
お話はここまでです。
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さて、音楽の記述は音楽を豊かにするか、貧しくするか。
この問いの続きは、それぞれ皆さんに委ねるとして、utena music field は無謀にも楽譜に書けるものと書けないものを一緒に学んでいこう、としております。その車輪の一つが「音楽を描く」そしてもう一つの車輪として「音楽リテラシー」ワーク。実際にはどちらも同じで、感覚に働きかけるか、理解を糸口とするか、ということろなのですが、私は音楽と仲良くなっていくためにはどちらも必要だという結論にいたり、「音楽を描く(utena drawing )」だけをおすすめするのは、責任を果たしきれないと考えています。
HP記事より
・・・ということで、もし興味が湧いた、という方がいらっしゃるならば、こちらに詳しく書いています。来週あたりから、ぼちぼちはじめてみようと思っています。動画はnoteにもあげられるといいなと思っています。
なにゆえ、これをするのか、というと、せっかくつくったから、としか言えない感じですが。「音楽リテラシー」は東京で講座としてやってきていたのですが、今はなかなか東京へも行けず、中途半端になっているので、これをキチンと継続させて責任を果たしたいという思いもどこかにあるかな。
気負わず、気楽にやっていこうと思っています。