確固たる自分ではなくて揺れながらちゃんと戻れる自分ならいい。
心の強度
人の心の強度って、
確固たる信念とか、揺るぎない意志とか、
そういうのをついイメージするのですが、
柔軟さ、というのもいいかもしれないとお風呂でかんがえました。
揺れないぶれない強さなんかないけど
揺れながら、でも自分の
あ、なんだ、ここ。
というとこにふっと戻れる。
我に返るみたいな。
ショパンのメロディって軟弱そうで折れない。
あれって、誰にもはできないメロディの降ろしてきかただとおもうんですよね。
ショパンはショパンの強度。
ならば、それなりに私なりに、私的に、
私もましになってきたのかもしれないです。
いつまでも先生になれない私ですが、
受講してこられた方の笑顔を信じられるから、続けてみようと思います。
この自意識の弱さが弱点でもあるけど、これは強度なんかも。
自分が未熟なのも、不完全なのも自分がよく知ってる、とは思っています。
私の仕事
(ここで宣伝、"音楽”を”描く”ことで音楽感覚を養う方法というのをやっています。)
これを始めて、というより、なんだか確固たる自信もないまま始まってしまって、そうやって5年。
でも、私はわたしで一向に確固たる人間にはなれそうもありません。
自分の仕事に自身が持てるときなんていつ来るんでしょうか。
てなことで、いつも悶々としています。心のどこかで。
私自身がすごくやりたいこと、というよりは、求めてもらえると嬉しい。
そこで、うん?これは違うかもというのも伝えながら。
私もその人が、何をどう感じているのか、utena drawingを通じて追体験してみながら。
それは時には互いにしんどかったりすることもあるのですが、
そうしながら、この方法で人と人として、音楽というフィールドで、言葉ではないところで出会っていってる感じがたまらない。(そこは人様になぜか熱血と呼ばれているのですが、自覚はありません。)
コミュニケーションツールでもあるわけです、utena drawingは。
そうして数は少ないけれども、いつも誰か必要としてくださる人がいることでこれまで継続してきました。
そして、人は耕されて演奏も変わっていかれます。
楽器の響きや、リズム感覚、音高感覚、全体性への眼差し。
それ以上に受講される方本人が、時を追うごとになんだか変化されていきます。
人としての強度がなにか、違ってくる感じ、それは、そう私自身もそういうことなのかもしれません。
もちろん、それは、私の力ではないし、utena drawingがなにか特別な魔法を使ってるんでもないです。
音楽と出会う、って根源的にそういうこと、だと思います。
音楽と出会うって自分の発見でもあるから。
それは、すごい高次元のはなしじゃなくて、むしろもっと素朴で実在的な。
そこをさえ共有できたら、あとは、自然、その人の感覚が次の扉に届いてくみたいな。
ああ、そこはもともと全く疑いはなかったな。
理論がしっかりしていて、地道で、的がずれていなければ、自ずとそれは伝わるはず。そこを見出していくのは各々自分の力だし、音楽の力。
なのに、うまく行かないのはただ私の伝え方がよくないからだと思っています。
それで、私なりに努力はしてきたつもりではあります。
だからといって、成熟したってときはいつまでも訪れず、ですが。
いまだ未熟者です。
これから
以前は、講座日記を少しnoteに書いてみたりしていたのですが、
個人の体験を扱うからデリケートだし、でも、そこがぼけると、わけがわからないし、ということで、書けなくなってしまいました。
講座も個人レッスンも続けています。むしろ安定してきました。
なので、ネットでこのutena drawingに出会った人と一緒にどうやったら学習できるか、それを、本格的に考え始めようと思っています。
一つの目標として、一般に手に入るテキストを作ることと、
noteで有料の記事も書いてみようと思っています。動画などいれながら。
音楽体験を深めたいと感じている人に、
感覚を通してもっと音楽と仲良くなりたい人に
絵を描く人に、さらには音楽も絵も苦手な人にも
お役に立てると思います。
愛媛の片田舎でがんばってます。いつかまた、東京やどこかの街でワークショップできる日のために、とっておきます。その日が楽しみです!