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【譜読みの仕方】4

結果主義に陥らないピアノ時間を求めて


はっきりとは意識されないけれども、間違ってはいけない、とか、自分ではない誰かのように演奏しなければ、という、いわば、「結果主義」…自分と音楽の間を埋めないまま、結論だけが先にあって、そこに照準を合わせてひたすら練習する、という方法に、いまだ縛られていた自分に気付かされます。

結果主義、という言葉は、アレキサンダーテクニークの本で出会った言葉で”エンドゲイ二ング”ともいうそうです。身体においても、思考方法においても、なにか大事なことを素通りしていきすぎてしまって引き返す時には倍の苦労がかかる、ということがよくあります。

そういった習慣化した意識を、
練習の最中に出会うたびに手放して、解放すること。

そのためにとった方法が、模範演奏を聞かないことと(これは普段からやっている)、楽譜を譜面づらだけさらわないで、すこしづつでも「記憶し、理解して、身体化」することを最初の段階から始める、つまり、楽譜を読み始めた時から暗譜していく、ということでした。譜読みの段階から、「直接音楽と向き合う」と言えば良いのかな。

楽譜を見て演奏することのメリットデメリット

楽譜を見ながらの演奏は、それと意識しなくても音楽を俯瞰することができて、安心感はあります。

でもそのかわり、意識のかなりの部分が「見る」ことに持って行かれていて、どこかどうしても他人事のようになってしまう。

自分の何かがきちんと発動できないまま、まだらに音楽と出会っている感じ。

また、そのままで練習を続けて、それを身体にすりこんでいくときに「楽譜を見て」という項目が自然に組み込まれてしまうので、暗譜しようとすると、一回構築したその状態を別の場所に置き換えていかなければならなくなります。

そして、その時にはもうその楽曲と白紙で出会うことはできない状態です。
なにかが足りない。

音楽の生成と私の音楽の生成のプロセスを重ねる


音楽と音楽する自分との間のリアリティを模索して、私は「音楽プロセス体験」という方法に辿り着きました。
音楽が生まれてくる場は自分の中に音楽を生成する場でもあり、いわばゼロ地点。そこからから音楽と二人三脚ですすむ「音楽プロセス体験」は、もっと自分を大切にしながら音楽を楽しめるのではないか、そうすることでもっと深められるのではないかという提案でもあります。

今回、一度もなぜか聞いたことがなかったベートーヴェンのソナタ7番を素材にしてやっているのは、自分の体験の中に積み重なってきている「音楽プロセス体験」の感じ方、理解の方法を今までよりも大きな曲でどう生きてくるのかという実験です。utena drawing でやってきて積み上がった音楽への理解や体感を、一切描かないでこの曲とであって再現していこう、ということです。

私自身の中にもあるエンドゲイニングに出会う出会う。
今まで、これを棚上げしてたのかー。

そこを抜けた先にベートーヴェンが残した足跡があり、生に蘇生する音楽があります。それに触れた気がする部分部分があって、たのしさと気づきと、なかなか抜け出せない焦燥と。

..ということで、暗譜まで漕ぎ着けたのでいちど録画して聞いてみた(演奏あり)


10月のはじめごろから譜読み始めたので、一月半、練習は日に40分できればよいほう。というところ。

できるだけ素直に楽譜を読んできたつもり。フレーズのまとまりやつながり、構成ハーモニー。ベートーヴェンは、大きい仕掛けや細かい仕掛けがあるので、謎解きの、まださなか。

これからブラッシュアップしていきたい、二楽章もなんとなく暗譜で最後まで弾ける感じにはなってきた。三楽章は手付かずのまま。

愛媛の片田舎でがんばってます。いつかまた、東京やどこかの街でワークショップできる日のために、とっておきます。その日が楽しみです!