あなたの生活はバラで飾られていますか
突然ですが、あなたが最後に「暇だな、退屈だな」と感じたのはいつですか?おそらく日常的に学校の授業、塾の課題、部活動など、様々なことに取り組まなくてはならない高校生の皆さんは久しくこのような状態に陥ったことがないと思います。「暇つぶしに」「隙間時間に」などの文言で、現代社会はあらゆる手段を使って我々から「暇」や「退屈」を根こそぎ奪おうとしていると言えるように思います。
なぜこのようなことが起こるのでしょう?今日紹介する本は高校の教科書にも掲載されている『暇と退屈の倫理学』(國分功一郎著)です。本書は「暇の中でいかに生きるべきか、退屈とどう向き合うべきか」という問いを検証しています。
この本を高校生の皆さんに紹介したいのは、この本が「自分にとって本当に楽しいものは何か」を見つめ直すきっかけを私にくれたからです。燃え尽き症候群になりやすい、暇つぶしをしても何だか退屈、そんな皆さんの経験を手がかりに、「暇と退屈」について一緒に考えてみませんか?
なぜ燃え尽き症候群になるのか?
目標達成のためにものすごく頑張ってきたけど、いざ達成されたら虚しくなったりやる気がなくなったりする現象のことを俗に「燃え尽き症候群」と言います。具体例と共に考えてみましょう。
例えば皆さんが大学受験に向けて頑張って勉強しているとしましょう。終わった後何がしたいですか?話題になっているドラマを観たい、友達とカラオケに行きたい、旅行がしたい、好きな漫画の最新刊を買いたい、など我慢していた好きなことが浮かぶはずです。では今度はそれを毎日していると想像してみてください。入学式までの3週間ほど。途中で飽きると思いませんか?もしくは「自分は一体何をしているんだろう」という気になる気がしませんか?
ここで生まれるのが目標を達成した先にある「豊かさ」を実現するために走っている間は充実感があるのに、なぜ「豊かさ」が実現された先で「豊かさ」を感じることができないという逆説が生じるのか、という疑問です。本書はこの原因は目標達成後に生まれる余裕のある過ごし方にあると述べています。先ほどの例でいうと受験後の過ごし方にあたります。
「自分は一体何をしているんだろう」と感じる根底にある問題は、実は暇な時間で私たちが行っている「好きなこと」が「願いつつも叶わなかった」ことではないからだと筆者は分析します。つまり私たちが選んでいる「好きなこと」は消費社会が提供する「カタログ化」された快楽の中から自分が退屈しないように選んだものであり、「豊か」になった先で何を本当に自分は実現したいかが見えていないために燃え尽き症候群は生じると言えるのです。
こうした議論を踏まえて筆者は聖書のイエスの言葉を引用し、人は「パンだけで生きるべきでもない。(中略)生きることはバラで飾られねばならない。」とまとめています。人によって解釈は分かれるとは思いますが、私はパンを仕事や勉強など生活のために必要な活動、バラを自分に本当の楽しさを与えるものだと読みました。さてここでタイトルに直結する問いを投げかけたいと思います。皆さんのバラは何ですか?カラオケでしょうか、ドラマでしょうか、旅行でしょうか、漫画でしょうか。それは本当にバラなのでしょうか。
暇つぶしをしても退屈なのはなぜか
カタログ化された「好きなこと」を初め、現代社会を生きる人々は色々なものを消費しています。日本で2020年に公開された映画の本数は1000を超え、同年に6万冊を超える新しい本が発行され、音楽配信サービスのSpotifyには1.4秒に1曲のペースで曲が追加されています。しかもこれは一過性の現象ではなく毎年起こっています。
これだけ大量の暇つぶしを消費しても我々がまだ暇つぶしを求める理由は、これらの行為が「浪費」ではないからだと筆者は分析しています。言い換えると、ものそのものを楽しめる「浪費」に対して、「消費」はものに付随された価値や意味を吸収することと言えます。
本書に登場するグルメを例に考えてみましょう。高級料理をお腹いっぱい食べて満足感を感じる、というのは「浪費」の一種です。ですが高級料理店に行き、写真を撮ってSNSに投稿したり知人に紹介したりする行為は「消費」の一種です。なぜならそこで消費しているのは料理ではなく「自慢できるような高級料理を食べに行った」という価値だからです。この価値はたくさん料理を食べたとしても満たされる事はなく、次の料理店を求めていつまでも「消費」し続けられるのです。
人間が一度に吸収できるものは限られているため、いつかは満足し「浪費」に限界が来ます。しかしものに付随された価値や意味の吸収には限界が来ないため、満足感がいつまでも得られないのです。これが暇つぶしをいくら行っても退屈が消えない理由なのだそうです。
自分のバラの見つけ方
では浪費すべきもの、つまり自分を本当に楽しませてくれるバラは何であるかを見つけることは可能なのでしょうか?筆者は可能だと言います。もちろんその対象はすぐに分かるものではありません。しかし2つのステップを踏むことでそれを見つけることができるそうです。1つ目は思考すること、2つ目は日常生活とは別の世界にどっぷり浸ることだそうです。
例えば料理が本当に自分の楽しみである人はまず「何がこの美味しい料理を作っているのか」「どうすれば美味しい料理が作れるようになるのか」など思考を始めます。次第にこのように考えながら料理をしていると時間が経つのを忘れ、いつまでも没頭できるようになるという状態になるということです。
特にこの無意識のうちに考えることを強制してくるという要素を持つか否かが鍵だと言えます。皆さんの「好きなこと」は無意識のうちに「なぜ、どうして」と考えさせるものになっていますか?もしまだなのであれば、まずとにかく目の前のことを楽しみ、意識して思考する訓練から始めることを本書は進めています。バラを見つけられていないな、と感じた方はこれを期に新しいことに挑戦し、自分が熱中できるものを探しに出てみてはいかがでしょうか?
学びに繋げる
実は暇や退屈という概念は学びや労働という概念と真逆に位置付けられるようでいて、実は密接に結びついています!なぜなら暇や退屈をやり過ごす行為にも学び同様思考し、没頭することが求められるからです。最後に学問分野や東京大学で行える課外活動を通しての学びに、暇や退屈がどう結びついているかを紹介したいと思います。
◯人類史
本書の中では人類がいつから退屈するようになったか、という考察を「定住革命」という生活スタイルの変化を中心に行っています。退屈からいかに文明が発展してきたか、という話にも触れており新たな視点で人類史を考えるきっかけになります。
◯政治
なぜ人はテロリズムに走るのか、という問いを退屈が生む「何か違う、これじゃない気がする」という感情といかに結びついているかが書かれています。一般的には社会構造、政治システム、格差やグローバリズムの観点から分析されるテロリズムに新たな切り口を示していてすごく興味深いです!
◯生物
本書の6章では「動物は退屈しないのか」という問いを環世界の概念を用いて考えています。哲学的な話に終始せずダニやカタツムリなどの動物の生物学的特性にも触れながら解説しているため、文理問わず楽しめると思います!
◯東京大学での学び
東京大学後期教養学部教養学科超域文化学科現代思想コースでは、本書の著者である國分功一郎教授から直接ご教示いただくことができます!また前期教養課程でも國分先生の授業は受けることができ、とても人気のある授業を開講されています。
◯東京大学での課外活動
UTBASEは自分が新たに挑戦し、熱中し、学びたいと思えるような団体をたくさん紹介しています!大学に入った後に皆さんのバラを、趣味の範囲を超えて見つけに行ってみてはいかがでしょうか?
終わりの挨拶
ここまで読んでいただきありがとうございました!
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