小柳枝師匠、ありがとうございました。

小柳枝師匠に教わったネタ、
今ざっと思い返せば、
「二番煎じ」
「狸札」「狸賽」
「浮世床」
「蝦蟇の油」
まだまだあったような。

粋で流麗、美しい調べ、
さながら謡のごとく、
まさに立て板に水、といった口跡で
若手にとっては憧れといえる芸風を
もつ師匠だった。

皆がこぞって師匠のもとに
ネタを教わりに伺ったが、
誰もあの間と口跡と
師匠が醸し出す佇まいを
モノにできない。

私の回りのいる
落語通の方々は皆、
「芸協にもあんな名人がいるんだね」
そう小柳枝師匠を評した。

芸協に所属する身としては、
そう言われることが自慢でもあり、
歯痒く思えたような。
若手の頃はそんな感情を抱きつつ、
歌丸一門で育まれていった。

二つ目の頃、
小柳枝師匠と約1週間、
北海道を学校寄席で回ったこともあった。
今思い返しても楽しい心持ちになれる。
あの頃は酒も飲んでいたので、
毎晩、師匠と打ち上げで、
居酒屋、移動の電車内、
ホテルの部屋で、と、
芸論、落語論、
噺家としての心構えなども
教わった。
詳しい内容は、
いずれまたの機会に。

そうそう、
小柳枝師匠といえば、
芸協アロママンダラーズの
ウクレレ担当。
フルートは三笑亭可楽師匠。
バンマスは三遊亭右紋師匠。

実は私も結成から2年ほど、
メンバーとして在籍していた。
しかもリードギターで(笑)

が、ハワイアンバンドという
コンセプトなのに
なぜか曲はマヒナスターズの
「泣かないで」とか
ビリーバンバンの
「若者たちよ」等々。
コンセプトがめちゃくちゃ。
もう演奏するのが
嫌で嫌で(苦笑)

その上、バンマスの右紋師匠が
口やかましく横暴で(笑)
いつも逆らってた。
ギターソロを譜面通りに
弾かないと特にうるさかった。
「他の楽器も、
いい加減じゃないですか」
そう歯向かうと
「悪かったな、
おれは譜面読めなくて」
いじけたように
そういうのは可楽師匠。

あげくに雰囲気出すために
スティールギターを
自腹で買えと(笑)
右紋師匠の横暴、極まれり。

「勘弁して下さいよ、
小遊三師匠んとこは
山陽兄さん、ドラムセット
買ってもらったらしいですよ」
練習後の打ち上げで
酒飲んだいきおいで
こうまくしたてると、
「悪かったな、小遊三と
違っておれは稼ぎがなくて」
いじけた口調でそういいながら
ちびりと酒を飲む
可楽師匠。
ああ、あの光景が今でも
目に浮かぶ。

結局、堪え性がなく
右紋師匠にけつまくって
2年でやめてしまった。

可楽師匠は最後の
引き留め工作で
三笑亭のお家芸の
「らくだ」を教えてくれたし、
小柳枝師匠は、まあまあ、と
とりなして
何度も酒を飲みに
連れて行ってくれた。
それでも、最後に
もうやめますと
小柳枝師匠に伝えに行ったら
「そうか」といって
寂しそうな顔をしてたっけ。
(そう見えた)

今、思い返せば、
右紋師匠のパワハラまがいの
締め付けも
ある意味、心地よく感じるから
不思議だ。
音楽に対し、それだけ
純粋だったんだろうなって。

そうだ、右紋師匠も
ライブのお客さんで
ちばてつや先生を呼んでくれた事があった。
なんと終了後、「あしたのジョー」の
サイン色紙を書いてもらったんだ。
今でも家宝だよ。
可楽師匠の「らくだ」同様。

小柳枝師匠、
向こうに行ったら、
右紋師匠と再会し、
ご機嫌な演奏を
奏でてください。

悔い改めた歌蔵も
いずれそっちへ行きますから。
右紋師匠に詫び入れて、
また1~2曲くらいなら
参加させてください。
まだまだ先ですが。
可楽師匠も元気ですよ。
最近寄席で会ってませんが。

それから
また噺の稽古も
付けてください。
もう少し上手くなって
おきますから。
精進しますから。
師匠に一歩でも
近づけるように。

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