自分を伝える方法
私は子供のころよく病気のふりをしていた。
咳をずっとしたり、しんどそうにしたり。
もともと喘息は酷かったので、入院することも多かったため、その流れもあるかもしれない。
それで百日咳と診断されて何ヶ月か入院しながら病院から学校に通ったりして、入院しながら過ごすことが中学までよくあった。
その頃は無意識にやっていて、今は大人になればなぜそうしたのかよくわかるけど、その時はただただふりをしていた。
とてもシンプルな話で、寂しかったからだ。
子供の頃から母は自分で飲み屋さんを経営していて、5時を過ぎると綺麗に変身して仕事へ行き、夜中に帰る毎日で、父も自営をしていて、夕方帰ってくるけどよく飲みにいって家を空けることも多く、家にいたからと言って全く喋らないので近寄りがたく、怖い存在だった。
話しかけることもなく、同じ家には耳の聞こえない寝たきりのおばあちゃんがいた。
おばあちゃんはご飯を食べたり、トイレに行ったりはできたので、あまりたくさん話に行くこともなく1人で過ごすことが多かった。
おばあちゃんも話すと文句しか言わない人だったので苦手だった。
姉がいたけど、年も五つも離れているし、中学を卒業してからすっかりグレてしまい、高校にも行かず遊び回っていたので家にいることはあまりなかった。
唯一母がずっといるのは、私が病気をした時。
そんな捻じ曲がった方法でしかさみしさを訴えることしかできなかった私は、いまだにその真実を伝えられていない。
入院すると同じ部屋に誰かがいる。いろんな年齢の子供たち。
同じ病気の子供たちと一緒に遊んだり、そこにいる小さな子供のお世話をしたりすることで満たされていたのかもしれない。
小学校高学年にもなると、母が泊まり込むことはなかったので、夕方までいて、そのあと夜仕事に出かけていた。休むことはできなかったと思う。
今思うと、義理母の介護と、無口で会える時間のない父、グレた娘と病気がちな子供をかかえて、家事を完璧にこなし、美味しい食事をきっちり作って、お店の付き出しや管理もして、すごく大変な毎日を過ごしたことを今となって知る。
子供の私にはそれがわからなかったし、なんならいないことに腹立たしくもあったりしたこともある。
小さい時はよく友達にもいじめられていた。
仲間外れにされたり無視をされたりは毎年誰かにされていた。
それは高校生になってもずっとあった。
だけどその時は大切な友達がちゃんといたので、なんとかのりこえてこれたのだけど。
とても辛かったのはやはり心に残っている。
私は病気になることでみんなに心配してかまって欲しかったのだとおもう。
いつも孤独でいた自分を、うまく伝える方法が分からなかったのだと思う。
それは今も変わっていないかもしれないけど、病気のふりは流石に母親なのでしない。
病気になったところで、自分の負担が増えるだけだから。
きっと今も寂しい時、悲しい時表現の仕方や伝え方が捻じ曲がってしまっているのかもしれない。
それで人に嫌な思いや悲しい思いをさせているかもしれない。
そう思うと人から離ていく癖もある。
大好きだからこそ
人に嫌な思いをさせたくない、嫌われたくないから。
怖いからだ。
誰かのたった1人になれたらと思いながら。
本当は愛されたいというだけなのに。
寂しいや、悲しいと素直に言えず、悪い表現の仕方しかできない自分をよく知っている。
母は母なりにとても頑張ってくれていた。
なんでも話したし、なんでも聞いてくれた。
素直に寂しいと言えたなら、母も病院に通ったり苦労をしなくて済んだのにと思うと、とても申し訳なくなる。
愛されていないと思っていたわけではない、愛情はちゃんと伝わっていた。
母とは今でも仲良くしているし、お世話になっている。
私は自分の思いを伝えるのがとても苦手だ。
だから歌を歌う、だから文字を書く。