20230703 変化
今日は満月。
いろいろ溢れ出て、デトックス、浄化されてる感じを強く感じた。
やっぱり、身体がすべて教えてくれるのだなぁということ。
先週から風邪をひいていた。数日仕事やコーヒーをお休みさせてもらったけど、なかなか手強い風邪だった。熱も久々に数日間続いたし、味覚嗅覚がいなくなってしまった。特に嗅覚。(一応コロナは陰性だけど・・・)
ものすごくしんどいという感覚はなくて、体はだるいけど、頭はそれなりに動くという感じ。(いつもよりは鈍いけど)なので、ひたすら本を読んだ。
昨日まで寝込んでいたけれど、やっと治って、今日は朝から家じゅう掃除をしたり、スーパーに行ったりとだいぶ動けた。
その中で考えたり、思い出したりしたこといろいろあったので記録。
hamon coffeeをここ数ヶ月やって、気持ちのいい人との交流がたくさんあった。初めましてのお客さんも結構多かったのだけど、わたしって人が好きだったんだなと思い出すような時間だった。すこしプライベートでは人との交流を避けてしまってたここ半年間くらいだけれども、やっぱり人と関わることでしか味わえないこともあって楽しいなあと思った。はじめましての人が多いのも嬉しかった。また、使わせてもらう器やコースター、シロップも函館近郊の作家さんのものを使わせていただけるようになったり、なんだか憧れていたことができている。気のいい人が集まるのもあると思うのだけど、とても心地の良い時間を過ごさせてもらっている。
その反面、人が好きだからこそやっぱりお客さんが増えればキャパオーバーでしんどいなぁという思い。忙しくなると、その分いろいろ感じること、気になること、気にかけたいことがたくさん出てくるけど、それをほとんど消化しきれずにただただ時間が過ぎて終わってしまう。それが苦しい。
これは学童の仕事でも言える。ゆったり子どもたちと遊べる時間がある時は楽しいけれど、事務の仕事のほうが忙しくて子どもと遊ぶ時間が持てなかったり、夏休みや冬休みのように時間が増えてさらに子どもも増えて全ての子どもを等しく目を配る余裕なく、まず1日無事に過ごせるようにと必死になるのもしんどい。
わたしはキャパは広くないのだ、、、と再度気がつかされる。(何度も感じてきたはずなのになぁ)
そんなこんなで読んだ、
神谷美恵子さんの”生きがいについて”
庭文庫といういつか行ってみたい岐阜県の本屋さんが紹介しているのを見て、気になって買ってあった本だった。
1980年出版のすこし古い本なのだけど、するりするりと入ってくる。今、これが読みたかったんです、という気持ち、消えそうになっていたものを思い出した。
コーヒーの仕事も楽しい。学童の仕事も楽しい。生きがいに近い喜びを感じる瞬間もたくさんある。だけど、どちらもお客さんや子どもたちのような対象があって、自分が動いたことに対してそれなりの反応が返ってくるから嬉しいしやりがいもあるのだと思う。
だけど、うたうことはすこし違う。聞いてくれるお客さんがいても嬉しいけど、ただ自分で歌っている時、曲を作っているだけでもいい。ただただ生きているという感じがして気持ちいい、なんだかお腹の底からパワーが湧いてくるなという感覚。欲からではなく、情熱で動く感覚。うたはわたしにとって生きがいだったのだな、とこの本を読んで再確認するようだった。
ただ、最近は学童の仕事もコーヒーの仕事もあって日常はぎゅうぎゅう。空に心を泳がせて歌を歌ったりするような時間が限られてしまっている。本当に歌を歌うためには一旦考え事は全部やめて、クリアな自分の状態になってじゃないと歌えないので、意識して時間を作らないと難しい。
学童の仕事以外の空いている時間で歌を歌っていたけど、最近はコーヒー屋のための焙煎や仕込みに時間を使うようになって歌う時間が減っていった。
コーヒーの方がいいかんじになってきて、何度か来てくれる方がいたり、コーヒーを美味しいと褒められたりすると、もしかしたら歌うことよりも、こっちの道の方が向いていたりするんかなぁとうっかり思ってしまいそうになったりね。
確かに、向き不向きと言えば、わからないけどコーヒーの仕事もそれなりに向いているのだと思う。淡々と準備をして淡々と提供する。やりたいことをただやっていて自分の中に不自然がない。情緒も安定して平常心で取り組める。
だけどなんだか、コーヒー屋がいい感じになっていくにつれて、このままでいいのかなぁという気持ちはあった。今、わたしはこれでいいのかなぁと。作っているアルバムもなかなか進まず、じっくり向き合う時間を持てないままだった。
今回、風邪をひいて、嗅覚と味覚がなくなってコーヒーの味も分からなくなってしまって、本を読んで、あぁ 、そういうことかと思った。
歌を歌いなさいな、と身体がきっと教えてくれたんだ。
正直なことを言ってしまえば、もしかしたら言葉にしなくたっていいんじゃないか、言葉やうたじゃなくても、この瞬間、コーヒー、微笑み、それだけでなんだかいい感じが広がっていくような感覚もあるのに、押し付けがましく言葉にして歌う必要があるのだろうか、と最近結構葛藤していた。
だけど、思い出した。ただいい感じ、心地いい感じを伝えたくて、歌っているんじゃない。もっと、深いところにある、なかなかさわれないようなもの。痛みとか、悲しみとか、怒りとか、言葉にできないような喜びとか、あったかい気持ちとか、そういうのを表現したかったんだった、と思い出した。
あのしんどかった時の自分に、渡しにいくための歌を歌いたい。
一杯のコーヒーだけではなかなか触れられない部分まで、歌は響く。
根本的に全然違うことも目的が違うことも明らかなのに、だんだん慣れてしまって重きが傾いてしまうと、忘れてしまいそうになるもんだなぁ危ないと思った。
そう気がついてしまって、昔のわたしだったら、コーヒーやめなきゃ、と思っていたと思うのだけど、それもなんか違うなと思う。せっかく心地よい感じ出できているのだから、hamon coffeeは回数を減らして、もう少し続けてみようかなと思う。
自分が自分のためにコーヒーを淹れる、友達や家族のためにコーヒーを淹れるような、その延長で。
歌いたいからと他のことを制限するんじゃなくって、もう少ししなやかに自由にゆとりを持って、目的が明確で忘れていないのであればわたしは何をやってもいいのだという気持ちでいたい。自分で自分を縛って、自分のやることを制限していたあの頃のわたしはもうさよならしたので。
hamon coffeeをやっている晴耕雨読・庶暮書房では、ものづくりをしている心地の良い人や、気持ちの良いお客さんにもたくさん出会わせてもらっている。
歌だけになると、つい視野が狭くなってしまうので、たまには外に出て人に会い、コーヒーを淹れて、ゆるっとお話しするというのも今の自分にとっては大事にしたい。
満月、やっとスイッチが入った、という気持ち。
自分の中でうまく片付いてなかったことも言葉にできたり。
心身ともに毒が抜けて、軽やかで気持ちいい。
さっき、本を読んでたら涙と思いが溢れ出てきて(満月感すごい)慌ててノートを開きボロボロ泣きながらノートを書いていたら、猫のてんさんがそーっと見ないふりをして違う部屋に行った。いつもなら、にゃーと足元にすりすりしてくるのに、静かにそっとしておいてくれたような気がした。気迫というか、気配をやっぱり感じているんだなぁ、言葉は分からないけどなんとなく共存できるってすごいな。
熱で3日くらい寝込んでたけど、今までほとんどわたしの寝てるベッドに上がってこなかったのに、足元にゴロンと寝そべって足をあっためてくれてた。一人暮らしで風邪を引くと本当にしんどかったけど、猫がいるだけでなんだか心強い気持ちだったな。
てんさんにも感謝。
いろいろ伝えてくれたわたしの身体にも感謝。
体調崩して休んでしまっても優しい声掛けをしてくれた周りの皆様にも感謝。
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