ドイツ歌曲の楽しみ Freude am Lied⑤
生のコンサートでは“今まさにここで生まれる音楽”を共有していただける喜びがあります。その時間を1曲1曲切り取って“今まさに”のひとかけらでもお届けできたら!とお送りするドイツ歌曲の楽しみ Freude am Lied…
5曲目はシューベルト! …ひとかけら、届くかな?
シューベルトSchubert:漁師の歌 Fischerweise D.881
ソプラノ 川田亜希子 ピアノ 松井 理恵
漁師には心配事も、嘆きも苦悩も縁のないこと
朝早くに軽やかな気持ちで船を出す
森や野原、小川はまだ 安らぎの中横たわっているが
金色の太陽は彼の歌声で目を覚ます
仕事をしながら 爽やかさ一杯の胸で彼は歌う
仕事は彼に力を与え、力は生きる喜びをもたらす
やがて色とりどりの魚の群れが水底から現れて
水面に映っている空から水音をたてる
もちろん網を打とうとするものは目がよくなければならない
そして波のように朗らかで、流れのように自由でなければならない
あそこの橋の上で釣りをしているのは羊飼いの娘さん
ずるい娘さん!そんな企みはおやめなさい、魚は騙されないよ
詩はシューベルトの幼な友だち、シュレヒタ(Franz Xaver Freiherr von Schlechta1796-1875)による。シュレヒタはシューベルティアーデの一員。シューベルティアーデとは、シューベルトの仲間たちの部屋で彼の音楽を中心に芸術に関して語り合うサークルのこと。シューベルトがピアノを弾き、友人の宮廷歌劇場の歌手フォーグルが歌い、時には友人たちが合唱に参加するなどの催しものが行われていた。
澄み切った快活さを映しだしたシュレヒタの詩に、シューベルトもまた一点の曇りもない明るい音楽を付けました。なんの心配ごともない漁師の、気持ちのよい正直さが歌われます。ピアノパートの陽気なリズムには耳にした人 全てを魅了する魔法が宿っています。1番、2番と同じメロディが続き、3番のメロディで、それこそ魔法のように場面が転換します。目の前に橋が見えてきて、釣りをする羊飼いの娘を見つける漁師。彼女を指さす様がありありと浮かんできます。聴いていると羊飼いの娘と目が合うような…そんな気持ちになりませんか?
シューベルトの魅力を一言で表すと、その驚異的な浸透力に尽きるのではないでしょうか?心地よい振動のように肌に訴える響きは、耳を傾ける人の内側に浸透し、その現象に身をまかせないではいられなくなります。浸透力… 上質な化粧水のような、そんな音楽です。
以下に以前シューベルトの夕べを歌った際書いた解説の一部を張り付けてみます。作曲家について知ることは、曲の“生まれ”を知る一つの手段。“生まれ”を知ると、その曲との距離がぐんっと縮まって仲良くなれるのです。
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フランツ・シューベルトFranz Schubert (1797年1月31日生-1828年11月19日没)
オーストリアの作曲家。音楽愛好家で教師の父を持ち、父や兄から音楽を学ぶ。1808年11歳の時、王室礼拝堂の少年聖歌隊員に採用され、国立神学校で音楽教育を受ける。この時期にアントニオ・サリエリに才能を認められ指導を受ける。16歳で変声期をむかえて聖歌隊をやめた後、父の学校の助手として働きながら作曲の勉強をする。1814年17歳のときの「糸を紡ぐグレートヒェン」は芸術歌曲としてのリート史の始まりを告げるものとなった。また翌1815年には「魔王」「野ばら」などの名作を残している。1816年には詩人マイヤーホーファーの紹介でバリトン歌手フォーグルと知り合い、彼を通してシューベルトの歌曲は次第に世に知られるようになった。1820年にはシューベルトを中心とする集まり「シューベルティアーデ」も生まれ、多くの芸術家や音楽愛好家との交流が行われていた。1826~27年には順調に新作の発表がつづき、1827年に「菩提樹」をふくむ歌曲集『冬の旅』を世におくりだす。しかし1828年突然腸チフスにかかり31歳の若さでなくなった。
シューベルトはそれまで家庭音楽の領域にあった‘歌曲’という分野をオペラや交響曲と同じ芸術作品へと導いた。当時職業音楽家として生活するには、亡くなって間もなかったモーツァルトや、ウィーンの街でまさに活躍していたベートーヴェンのようにオペラや交響曲を世に出すことが必須であった。彼ら職業音楽家にとって‘歌曲’は私的なもので、本来の活動の周縁のものだった。しかしシューベルトの場合、創作の中心は‘歌曲’で、言葉と音楽が交わる世界から生み出された作法が、彼の他の器楽曲などの分野に活かされていった。シューベルトの音楽の特性は長調と短調の対極性にある。その関係の音楽的緊張にこそ彼の芸術の本質が存在し、その移行の瞬間に凝縮されたドラマ性が内在しているのである。フォーグルはシューベルトの歌曲を「言葉(ドイツ語)の中の詩、音の中の詩、和声の中の言葉、音楽を着せられた思考」という表現と、「詩が音楽言語に翻訳され、そして凌駕されたもの」という表現で称賛している。
https://youtu.be/gmWCg4NSBOs
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