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コチ 2–10


 それから、コチは青空の下を飛ぶことはなかった。
 いつもの朝に、ホリデイがやってきても、ジイさんの木の上で、ふざける事はあっても、何度もしつこいホリデイの誘いがあっても、一緒に飛ぶことはなく、ホリデイは結局ひとりで、しぶしぶ青空の下を飛んだ。
 太陽が昇り、降りるまで、コチは、ジイさんの木の上で、なるべく太陽の移動に合わせて、日の当たらない影に移動した。
 小鳥の歌に耳を澄ませた。
 まるで遠い世界だった。
 コチと太陽の世界をつなぐのはホリデイとジイさんの優しい声だけ。
 ただ、ひたすら太陽が消える時間を待った。
 でも、なぜだろう。
 沈む真っ赤な太陽を見ても、世界の始まりはやってこなかった。
 ただ、暗い夜が来るだけだ。


 いつもの夜だ。
 いつの間にか、月が夜空に浮かんでいた。
 いつも気づかないうちに、月がいる。
 夜には、月以外の光が溢れ返っているから、昼も夜も結局、月は、目立たない。
 そんな月を冷やかすように見上げると、見上げた夜空に一匹の蝶が飛んでいた。

 「よお、コチ。そろそろコチの大好きな月の世界とやらに案内しろよ。まあ、期待はしてないけどな。」

 ホリデイは、太陽の光のような笑顔を、夜に浮かべた。

 ホリデイが初めて夜に現れた。
 月明かりに浮かぶホリデイの羽はやっぱり綺麗だった。
 なんだか、月がさっきよりも輝いて見える。

 「なんだよ、ホリデイ。いきなりやって来るなよ。まったくいい迷惑だ。そんな間抜け面が、急に現れたら月がびっくりするだろ。」

 コチはいつものように、心の中に生まれた感情をひっくり返して、ホリデイに言葉をぶつける。

 「おいおい。ここでも僕を追い出す気かい?お月さん、間抜け面も慣れたら良いもんだぞ。太陽が言ってた。最近見ない間抜け面のせいで日々の笑いが少なくて物足りないってさ。どうやら間抜け面には依存性があるようだな。」

 笑う2匹の間に風が通る。
 心地よい風だ。
 コチは、こんな優しい風を感じた事はない。
 それは、月の世界の仕業?いや違う。
 それは、結局、後になって気づく。
 大事な事はいつも後になってやってくる。

 「月の世界のおすすめスポット紹介してよ。」 
 ホリデイはコチに言った。
 コチは、困ってしまった。
 いつも太陽の世界の悪口をホリデイに言う癖に、コチは、月の世界でホリデイに自慢できるような場所が全く浮かんでこなかった。
 不味い事になった。
 これじゃ月の世界の惨敗だ。
 青白い顔をしたコチは、あてもなくホリデイを背に夜空に飛び出した。

 「まだ着かないのかよ。」
 ホリデイの言葉により、ますますコチは焦る。
 どうしよう。

 「もうすぐさ。慌てるなって・・」

 考えれば考えるほど、渦のようにくるくる回って落ちていく。
 そして、次第に頭が真っ白になる。

 「おーい。」

 遠くから、声がした。
 焦ったコチには聞こえなかったが、それをホリデイは聞いていた。

 「なあ。コチ。誰か、呼んでるぞ。」

 えっ?と、コチは辺りを見回した。
 闇にぼんやり光る自動販売機があった。
 不味い。
 いつの間にか、ここに来ていた。

 「おーい。こっちに来いよ。」

 古い自動販売機には、存知あげないパッケージの飲み物が光に浮かび、その光に無数の小さな影が集まっている。

 ダメだ。
 ここにホリデイを連れて行ってはいけない。
 こんな所をホリデイに見られてはいけない。
 コチは、何も聞いていないとばかりに、羽を動かす。
 気付かれない程度に飛ぶ速度を上げた。

 返事をしないコチに自動販売機から次々と声が聞こえて来る。

 「おーい。寄っていかないのかよ。」

 無言で飛ぶコチに対して、ホリデイが話しかける。

 「おい。コチ。あそこで誰かが呼んでいるぞ。」

 すると、突然にホリデイが自動販売機の方に向かって飛んでいく。

 「おーい。呼んだか?」

 ホリデイがコチの代わりに答える。
 呼ばれたのはお前じゃないだろ。
 と、小さく舌打ちをしたコチは、しぶしぶホリデイの後を追いかけた。

 

 「お前、見ない顔だな。それに気取った蝶のようにヒラヒラ飛びやがる。気に入らないね。」

 たくさんの虫の群れから、誰かがホリデイに話かけた。
 ホリデイは、キョロキョロと見回し、どこを向いて答えればいいかを眩しい光の中で探していた。
 ここに降りると眩しい光によって視界が奪われる。

 「誰だい?俺に話かけたのは?」

 ホリデイの問いに、誰も反応しない。
 無数の黒い影は光で誰が誰だが分かりやしない。
 ここでは誰も名乗らないし、ここで話したものの素性を明かさない。
 こんなルール、ホリデイに理解できるかな?

 ここでは、真実かどうか知らないが、たくさんの話題が上がる。
 面白い話題や、危険な話題。
 それぞれが持ち集めた話題で、素性を明かさないものたちが、あーだの、こーだの、つぶやくのだ。
 今、話題を集めているのは、蜘蛛の巣に捕まった蛾を蝶が助けた話だった。

 「勇気ある行動だ。」

 「嘘くさい。気取り屋の蝶がそんな事するわけがない。」

 「そもそも鳥が、突っ込んでうまい事蜘蛛の巣を破壊して、逃げる事ができるなんて、そんな話はきっと作り話さ。」

 「子供が真似をしたらどうするの?」

 「羽根が生えた幼虫がどこにいるのですか?どうやって真似をするのですか?簡潔にお答えてください。」 

 ホリデイは、隣のコチの耳元で囁いた。

 「なあ、これ。僕たちの話じゃないか?なあ、コチ?お前コチだよな?」

 コチは、聞こえてないふりをした。
 もちろんこの話をここで最初に披露したのはコチであった。
 でも今では、この話が自分のものであったかさえ分からなくなってきていた。
 自分たちの話を見てもいないものたちがあれやこれや評価し勝手に話を壊して作り変える。
 なんのために?暇つぶし?コチはここで話した事を後悔していた。
 大事な宝物を叩いたりつねったり伸ばしたりと形を変えられその上に汚い液体で色を塗りつぶされているような、そんな気分だ。

 ホリデイはこの場所が嫌いだろうな。
 こんな所で時間を潰していたなんて知られたくはない事だった。
 このまま、不愉快に時間が過ぎる様子をホリデイはどう思っているのだろう。
 「さあ、もう行こうぜ」というべきか?
 いやどこに行く?
 「もっと楽しい所があるんだよ。」
 あれ、どこかある?
 異様な時間はゆっくりと過ぎていく。
 この不毛な時間を壊したのは、一匹のカエルの出現だった。


 「はいよ〜。待ったかい?」

 カエルは、軽快なジャンプで自動販売機をよじ登る。
 カエルの出現により、自動販売機の上はもの凄い騒ぎとなった。
 さっきまであれやこれやと正義を論じていた者が我先にとそこにいる者をはね退け真っ先に逃げていく。
 騒々しい現場で、カエルは呑気に月を見上げて喉を膨らます。

 「喉も月もいい調子だ。」

 カエルはペロっと舌を出し、目の前で横切ろうとした逃げ惑う小さな虫を反射的に捕まえ口に運ぶ。
 そして、口に入った小さな虫を自分の目の前にぺっと吐き出した。

 「君には特等席をプレゼントだ。」

 吐き出された虫は唾液でベトベトになった体で放心状態のまま目の前のカエルを見上げていた。

 「おい、早く逃げようぜ。」

 そんな光景を見て、慌てるホリデイをよそにコチは、落ち着いていた。

 「大丈夫。あのカエルは俺たちを食べたりしないよ。」

 ホリデイは、困惑した様子だ。

 「食べないって、じゃあ、あのカエルは一体何しに来たんだよ。」

 コチは、いつもひょうひょうとしているホリデイの少し不安な顔を見て、ちょっと嬉しくなった。

 「歌うのさ。」

 ホリデイの困惑は続く。

 「はい?」

 コチは嬉しそうに困惑するホリデイに言った。

 「まあ聞いてみろって。でも、あんまり近づいちゃダメだぞ。カエルのお口の中に入ってずぶ濡れにされちまうからな。」

 陽気に話すコチを横目に、ホリデイは不安そうにカエルを見つめた。

 コチの言う通り、カエルは歌い出した。
 逃げ惑う虫の混乱した自動販売機のステージでカエルは気持ちよく歌っていた。
 この歌をバカにする奴は多いがコチは、カエルの歌う歌が好きだった。
 コチはチラチラとホリデイの横顔を伺ったけど眩しい光が邪魔をした。

 あれだけ多くいた虫たちは、カエルの歌が終わる頃には数匹になっていた。

 「いい歌だったな?」

 ホリデイが静かに口を開いた。

 「なかなかいいだろ?」

 コチは平然と答えたが嬉しくたまらなかった。自分が好きなものを褒められるというのは気分が良い。
 それが、ホリデイなら尚更だった。

 カエルが去った後、これ以上自動販売機の上にいる理由はなくなった。
 コチは、カエルの歌を聴いていて思い出した。
 カエルが来てくれて、歌ってくれてよかった。
 コチは思った。
 自分が好きなあの夜にホリデイを連れて行こう。
 月がはしゃいで、草むらで下手くそな虫の奏でる音楽が聞こえて、
 あの蕾がいるあの場所に
 ホリデイを連れて行こう。


 「なあ、一体どれが月なんだよ?」

 ホリデイは、四方八方に点々と輝く街灯を見ながらコチに聞いた。

 「ほら、あそこだよ。自信無さげに空にぽつんと浮かんでいるだろ?」

 ホリデイは首を傾げながら「夜には、月よりも輝いているものがいっぱいあるんだな?」

と、馬鹿にするようにコチに言った。
 コチは、チラっと月を見上げて、「チェッ」と舌打ちをする。

 「いいから、黙ってついてこいよ。」

 

 コチは、ようやくうるさいホリデイと目的地に辿り着いた。
 そこは、人間がいない空き地。
 動かない時計がかけられた高い建物が見下ろす広大な敷地一面に鬱蒼した草が生えている。
 その草むらで姿が見えないが多くの虫が賑やかに歌っていた。

 「ここさ。どうだ。ここなら月が一番、輝いて見えるだろ?」

 ホリデイは、わざとらしく空を見上げて、初めて月を見たという表情をした。

 「へー。あれが月ですか。どうも初めまして。」

 ホリデイがわざっとらしく深々とお辞儀している所をコチは静かに微笑んでいた。
 ここに、ホリデイがいるなんてとても不思議な気分だった。

 「これからは、いつだってあんたを感じる事が出来そうだ。」

 コチは月に話しかけるホリデイを見ていた。

 「前から知ってるだろ?」

 コチは、優しく笑った。夜にはやたらと優しい風が吹く。

 ホリデイはここを「月のすみか」と呼んだ。
 「そんな名前なんか付けてこの場所に愛着が湧いたらどうするんだ?」
 「会いたくなったら、また、この場所に来ればいい。僕達には自由な羽があるだろ?」
 ホリデイは言った。
 コチはいつもの顔で笑っているホリデイを見ていた。
 ホリデイは、この世界を気に入ってくれたのかな?
 なんてコチは考えていた。

 「それにしても、ジージージーって下手くそな歌だな。」

 ホリデイは、月のよく見える一番高い葉っぱの上で隣に座るコチに笑いながら言った。

 「そうだろ。こいつら下手くそなんだよ。」
 

 月を見上げるホリデイの羽が揺れる。
 同じ風がコチの小さな羽を揺らす。
 穏やかなホリデイの横顔が見える。
 ジージーと下手くそな歌も慣れれば心地が良いとホリデイは微笑んだ。

 「コチ。こいつ特にひどいな。」

 ホリデイは、突然歌い出したとびっきり下手くそな一匹の虫の歌を聞いて笑い出した。

 「本当だな。」
 コチは笑うホリデイの横顔を見ながら、諦める決心した。
 「なあ。ホリデイ。そいつどんな顔で歌っているか見に行かないか?」

 「おっ。いいね。爆笑コースだな。」

 いたずらなホリデイの顔が、月明かりで輝く。
 2匹は、月明かりの下をふらりと移動する。
 ホリデイが、下手くそな歌に耳を澄ませそれに向かって飛んでいる中、コチは違う方向に飛んだ。
 「え、そっちか?」
 ホリデイは自分の耳を疑いながらコチを目で追う。

 「おーい。見つけたぞ。」

 コチがホリデイを呼ぶ。

 「ん?そっちじゃないだろ?こいつだろ。」
 
 音痴な虫はホリデイをジッと睨んでいた。

 ホリデイは、音痴な虫から離れコチの方に向かう。

 「えー、どこだよ?」

 「あっちだ。あっち。」

 「どこ?」

 「ほら、あそこだよ。」

 コチが首を振って指し示す方向に、ホリデイはゆっくり進んで行く。
 ふわふわと月明かりの下を飛ぶホリデイが何かを見つけた。
 それは、音痴な虫ではなく葉が幾重にも重なる下でうずくまる小さな蕾だった。
 ホリデイは見つけた蕾に声をかけた。

 「やあ。どうも。月がやけに明るいと思ったら君を照らしていたんだね。」

 ホリデイの優しい声を聞いてコチはホッとした。
 やっぱりホリデイは見つけてくれた。
 コチはふたりの声が聞こえなくなる場所まで飛び去った。

 「良かったな。」

 コチは月にだけ聞こえる声でそっと呟いた。

 月はいつもと同じ。
 返事をしなかった。



 「なんだよ。そこに居たのか?」

 しばらくするとホリデイが戻ってきた。
 月明かりでもホリデイの羽は十分に輝いて見えた。 
 そばにやってきたホリデイは何やらニヤニヤとしていた。

 「コチ。どこに歌下手な虫がいたんだよ?」

 「あれ?いなかったか?」

 「それよりもさ。あの草むらの奥に、蕾が顔を覗かせていたよ。」

 「俺は花なんか、興味ないよ。」

 コチはいつもの調子でホリデイに言った。

 「もうすぐ、あの蕾も花を咲かせるな?」

 「知らないって。でも、その蕾も良かったな。ホリデイに見つけてもらってさ。きっとあの蕾にも春が来る。」

 「それがさ。「また来てくれたのね。」って僕に言うんだよ。僕は、あの蕾を見たのは今日が初めてだ。僕が忘れるはずがない。一体誰と勘違いしているんだか、失礼しちゃうぜ。」

 「へー…。じゃあ、ホリデイ以外に誰かがその蕾を見つけたって事か。まあ、間違っても仕方ない。情けない月明かりだし、あそこじゃ、草が覆っているから相手がよく見えないのさ。」

 ゆがんだ顔のコチは平然とした声で言葉を並べた。

 「ふーん。」

 コチは黙ったまま、俯いていた。
 静まる空気は、ホリデイの言葉を一つ一つ丁寧に並べた。

 「そいつが誰だか知らないけど、蕾は嬉しそうにそいつの話をしていたよ。僕がいるのにさ。」

 コチは、俯いたまま、顔を上げない。
 ホリデイは月を見上げた。
 沈黙が「呼んだ?」と現れる

 「なぁコチ。」

 コチは黙ってホリデイを見つめた。

 「僕って、実はカッコ悪いって知ってるか?」

 「なんだよ、突然。俺はホリデイをカッコいいなんて思った事なんてないよ。」

 「そんなら、話は早い。僕はカッコ悪いんだ。」

 「だからなんだよ。カッコ悪いを通り越して、気持ち悪いぞ」

 「言い過ぎだろ。」

 「悪い。」

 「どうせコチは、花屋での悲鳴を自分のせいだと思っているんだろ?」

 「…」

 「僕は悲鳴を何度も浴びてきた。僕は意外に評判が悪いんだ。なんせ、ホラ吹き野郎だからね。」

 ホリデイはコチを見ずに空を見上げて話し続けた。

 「僕は知らないのに、花が急に悲鳴を上げるんだ。会った事もない花が突然僕を見るなり急に叫び出すんだからびっくりするよ。」

 「飛ぶ事が怖くなるよな。本当に。」

 コチは黙って、話すホリデイの横顔を見つめていた。
 
 「そんな時にコチに会って、僕は自由の羽を手に入れたんだ。だから、もう怖くない。」

 「コチは言わないけど、言うんだよ。僕は僕で、それだけでいいんだよって」

 「だから、僕もコチには言わないけど言ってるぞ」

 「でもさ、間違ったんだ。僕はよく間違える。」

 「鳥が夢と時間を運ぶ話をしただろ?その時、コチの目が輝いたんだ。僕は嬉しかった。一緒だって思ったんだ。それで、コチを花屋に誘った。花に人気な僕を見せたら、コチも僕の世界に来てくれるって思ったんだ。」

 「カッコ悪いだろ?全部間違っていた。誰かを自分の世界に引きずり込もうなんて、蜘蛛のジジイと同じだ。花の悲鳴を聞いて助かったよ。もうすぐ僕の自由の羽がもげる所だった。」

 「僕に少し蜘蛛のジジイの糸が残っていたのかもしれない。きっとあの花屋にも、あの3匹の蝶にも見えない糸があったんだな」

 ホリデイは静かにコチを見た。

 「コチ、大変だ。しゃべり過ぎた。月夜は何かやばいものが漂っているのか?」

 「でも良かった。月の弱い光で、僕の赤面した顔が隠せている。月は優しいやつだぜ。」

 「ホリデイ。お前の恥ずかしそうな顔がよく見えるよ。」

 「コチ。やっぱり性格悪いな。」

 ふふっとふたりは笑った。

 「じゃ、あの蕾もきっと最初にきた奴の顔を覚えているな。なぁ、コチ。」

 「なんだよ」

 「あの蕾には、蜘蛛の糸はない。真っ直ぐコチを見てくれる。きっと僕らと同じ。この月の光の美しさを知っているよ。」

 夜風が優しくふたりを揺らす。

 「なあ。ホリデイ。俺の太陽の世界でのあだ名を知っているか?」

 ホリデイは、笑って言った。

 「知ってるだろ?コチに興味ないよ。」

 コチも一緒になって笑った。

 「木枯らしって、言うらしい。」

 「ふっ。なんだよそれ?お前にはジイさんがつけてくれた名があるだろ?誰がなんと言おうとお前はコチさ。それよりも、コチ。虹の居場所を知っているか?」

 「虹?なんだよ、急に。」

 「悔しいから、あの蕾と僕も約束しちまったんだよ。花が咲いたら、お祝いにこの空に虹を連れてきてあげるってさ。」

 コチは目を丸くしてホリデイを見た。

 「バカだろ。なんで、そんな無理な約束しちゃったんだよ。」

 コチは呆れた様子でホリデイに言った。

 「バカって言うなよ。コチもあの蕾も虹が空に駆けるのを見た事ないだろ。木枯らしなんか信じるくらいなら、空に虹がかかる世界を信じる方がよっぽど趣味がいい。」

 ホリデイが笑って言うものだから、それが簡単なように聞こえてしまう。

 世界が灰色だって言ってれば、きっと誰も君を責めたりしないだろう。

 世界が灰色だって言う方が簡単でいいに決まっている。

 「おいおい。どうするんだよ。俺は、虹の居場所なんて知らないぞ。」

 「じゃあ、願うしかないな。」

 「また、勝手な事を言いやがって。願いなんてこんなちっぽけな俺たちに届くはずないだろ。」

 ホリデイは笑って答えた。

 「僕は信じないさ。」


 

 ホリデイが月の世界に来たのは、これが最初で最期だった。


 太陽の世界で、ホリデイは慌てて、コチの元にやってきた。

 「コチ。大変だ。月のすみかに、人間がやってきたぞ。早く起きろ。」

 コチは、ホリデイのあんな必死な顔を初めて見た。

 コチは、世界があまりにも簡単に壊れてしまうなんて知らなかったから、いつものように、言ってしまった。

 「俺は、今から、寝るところだ。月のすみかは夜の世界にあるんだ。太陽の世界のことなんて知らないよ。嫌いだって言っているだろ。」

 もうホリデイは無理やりコチを太陽の下に連れ出してはくれなかった。
 あの通行手形は出してはくれなかった。
 そして、コチは、初めてホリデイの悲しげな顔を見た。

 「知っているだろ?世界は一つしかないんだ。僕の世界にコチがいて。コチの世界に僕がいる。あの蕾は、今この時も太陽の下で春が来るのを待っているんだよ。」

 コチは、ホリデイの悲しげな顔を見て、胸がキリキリと切られるようだった。

 「仕方ないだろ。俺は木枯らしだ。」

 「お前が信じたものは結局それかよ。」

 ホリデイは出て行った。 
 そして、二度とコチの前に姿を現さなかった。

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