コチ 2–9
それを話すホリデイは少し舞い上がっていた。
ホリデイとコチはいつもように青空の下を飛んでいた。
ホリデイが浮かれた様子でコチに話しかけた。
「コチ。僕ってさ。ものすごい人気なんだよ。知ってた?」
「俺はその事にものすごく興味がないよ。」
「きっとコチは僕の人気を知ってびっくりするさ。」
コチはいつものように、太陽の世界を拒む通行手形とホリデイの人気なんか興味ないという通行手形を新しく手に入れて、ホリデイと共に、その場所に向かった。
そこは、お花屋さん。
お花屋さんには、色とりどりの花達が、色別に分けられ、綺麗に並んでいる。
「ほら。笑って。」
綺麗に並べられた花は、合図に合わせて笑顔を作る。
ここの花はみんなが笑っている。
みんなが同じ顔で、にっこりと決まった笑顔を振りまく。
怒った顔した花なんてここにはいない。
笑っていない花を見て、ご機嫌になる人間なんていないからだ。
離れた場所からでも花の蜜の匂いが溢れかえっていた。
沈むコチとは裏腹にホリデイのテンションはみるみる上がっていく。
「さあ。見ていろよ。コチ。僕の勇姿を。」
コチは、おう、と気の抜けた返事をして、仕方なくその様子を電信柱の陰から見守った。
ホリデイが言っていた通り、確かにホリデイは、花屋の花たちからすごい人気だった。
でも、コチはそんなに見せびらかさなくてもホリデイに対する花の喜びは知っていた。
いつもジイさんの庭で見ていたからだ。
いつもと違うホリデイは明らかにコチを意識して飛んでいた。
「ホリデイもやっぱり蝶だな。」
コチは、そんなカッコ悪いホリデイを小馬鹿に笑う。
まんざらでもない表情で、コチの視線を探しているホリデイ。
自分の為に飛んでいるホリデイはいつもと違って窮屈そうだ
コチは、まゆをひそめて、間抜けなホリデイに視線を送る。
別のところでも花の歓声が聞こえた。
花屋に別の蝶が3匹やってきた。
こちらの3匹の蝶も、花の歓声を聞き、まんざらでもない表情だ。
「やっぱりどこの蝶も間抜けなものだ。」
コチは電信柱の影でそう思った。
電信柱は意外にコチの体の色と馴染み、この世界からコチを程度よく消してくれた。
間抜けな蝶の行動に飽きて空を見上げていたコチであったが、声が聞こえた。
「こいつだよ。蕾に変な事を吹き込んでいる奴だよ。」
何やらホリデイが3匹の蝶に絡まれているようだ。
「変な事?おいおい。君、僕を変態扱いするなよ。」
ホリデイが笑いながら、そう言うと他の蝶が話に入ってきた。
「お前さ。勝手な事を言ってくれたら困るんだよ。蝶は花の夢の運び屋なんかじゃない。お前、まだ幼虫なのか?」
3匹は、合わせるように笑った。
「君のおかげで蜜を頂くのに、いちいち期待されてちゃ面倒なんだよ。」
「そうだ。」
「そうだ。」
取り巻きが騒ぎ立てる。羽の大きさはホリデイには及ばないが、声だけは大きい。
「必死に俺たちは飛んでいるんだ。ただ待っているだけの花に夢やおとぎ話を言ってくれるな。約束を破らない蝶の中に、こんなホラ吹きがいたら蝶の評判が下がってしまうだろ?分かってくれるか?モドキ野郎」
3匹は、合わせるように笑っていた。
「また、ホリデイが面倒くさい事になっているな」
と面倒臭そうにその光景を見ていたコチだったが、コチは、その3匹の蝶の嘲笑う笑い声を聞いて、ふと、思い出した。
木枯らしだー。
遠くの空から聞こえてきた笑い声。
ホリデイと一緒にいて、つい忘れていたあの感じが蘇る。
青空がどんどん遠ざかっていくあの感じだ。
そうだった。僕の居場所はここじゃない。
このまま、見つからないように、そっと、この場から離れよう。
ホリデイには、つまらないから先に帰ったと後で伝えればいい。
コチは誰にも見つからないように電信柱の背後に移動していると声がした。
「なんで、僕がここから離れないといけない?」
ホリデイの声が聞こえた。
コチは振り向いた。
3対1。
ホリデイが小突かれる。
「ここは、別にお前らだけの世界じゃない。ここは僕の場所だ。」
見上げたら、そう。
青空があった。
「また、言ってるよ。」
そして、息を吐いて、コチは3匹の蝶に目掛けて飛び出した。
「どけ、どけえ。」
一匹の蝶がコチの体当たりによって、宙を回る。
他の2匹の蝶は何事かと、飛んできたコチを見る。
ホリデイがコチに駆け寄ってくる。
「コチ。いいタックルじゃねえかよ。」
ホリデイは嬉しそうにコチを小突いた。
蝶たちは突然現れたそいつを見て、何かを思い出したかのように突然、騒ぎ出した。
「大変だ。エライ事だ。春に木枯らしがやってきた。」
宙を回っていた蝶も、一緒になって騒ぐ。
「木枯らしだ。みんな逃げろ。」
花屋は、異様な雰囲気に包まれた。
「みんな気をつけろ。こいつに近づいたら枯れてしまうぞ。」
3匹の蝶は、「木枯らしだ。皆んな近づくな。逃げろー」と方々に叫びながら去っていく。
叫びは笑い声となって徐々に小さく消えていった。
「木枯らし?なんだ。あいつら?」
ホリデイは、3匹の蝶が何を言っているのかが分からなかった。
首をかしげるホリデイに対して、コチは黙ったままだった。
「これで、邪魔がいなくなったな。やっぱり僕は邪魔な奴を追い出す才能があるみたいだ。」
ホリデイはいつもの調子で笑う。
コチは黙ったままだった。
花屋の花の様子がおかしい事はコチはすぐに気がついた。
花は恐ろしいものを見るようにコチを見ていた。
それだけじゃないホリデイに対してもそうだった。
様子のおかしい花に、ホリデイが近づくと、悲鳴が生まれた。
拒絶するような叫びだ。
「嫌。来ないでー。」
飛ぶホリデイが、その上を通るたび悲鳴が続く。
その時のホリデイの表情が、コチの目に焼きついた。
ホリデイは、すぐにいつものふざけた表情に戻り、コチの方を向いた。
「おいおい。僕の人気はいったいどこにいっちまった?」
すると、ホリデイは、花の上ギリギリに飛んで、次々と聞こえる花の悲鳴の波を作った。
「なんだよ。皆んなどうしちまったんだよ。僕が恐怖の大魔王にでも見えるのか?」
ホリデイはいつかコチがやっていた「ハッハハハ」と空から大魔王が降りてきたような笑い方をしながら飛び回った。
コチと同じ、下手くそな演技だったが悲鳴を次々と生んだ。
「コチ。なあ。コチ?」
黙ったままのコチをホリデイは呼んだ。
「一緒に飛ぼうコチ。一緒に笑ってくれよ。」
悲鳴をまとったホリデイが笑っていた。
めちゃくちゃだ。
「下手くそだな。」
コチも飛び上がって大魔王の笑い声をホリデイと一緒になってやった。
2匹は、ちゃんと腹を抱えて笑って空を転げたよ。
「せっかく僕の人気ぶりをコチに見せてやろうと思ったのに、カッコ悪いところ見せちまったな。」
2匹は、花屋を離れ、オレンジ色の光が伸びる空の下を飛んでいた。
「だから、最初から言ってるだろ。そんな所、俺は見たくないんだよ。」
コチはホリデイの本当の顔を知っている。
毎朝、ジイさんの庭に咲く花の顔を見ていれば誰だって分かる。
ホリデイを見た時の花の顔。
春の訪れを喜ぶ顔を見れば誰だって。そして、太陽の下、嬉しそうに花を覗くホリデイの顔を見れば、ホリデイの生きる喜びに気がつくだろう。
それが、コチの大好きなホリデイだ。
悲鳴はホリデイのものなんかじゃない。
コチは、自分のせいで本当のホリデイの喜びの顔が消えてしまうのではないかと怖かった。
「ホリデイは、あんな悲鳴を聞いたのは初めてだろ?」
ホリデイは、いつもと違うコチの沈む声にぽりぽりと顔を掻きながら首をかしげた。
「まあ。あれだ。あの悲鳴は、俺のせいだ。ホリデイには関係ない。」
コチは、ホリデイから目を逸らしながらそう言った。
ホリデイは、何かを探すようにじっと下手に笑うコチの横顔を見る。
「何言ってる?あいつらは僕に向かって叫んでいたぞ。ひとり占めするなよ。どんだけコチは僕を追い出したいんだ?」
ホリデイはケラケラと笑った。
コチは、ホリデイのこの作り上げた笑いが嫌だった。
ホリデイが急に大人になってしまったかのような気がした。
そして、コチは、ホリデイを見ずに飛び立った。
「じゃあな。そろそろ行くよ。俺には月の世界が待っているからな。」
ホリデイが呼び止める声を何度も無視して、コチは、終わりゆくオレンジ色の世界を飛んで行った。