コチ 2−7
それから、毎朝、ホリデイは、ジイさんの所にやってきた。
眠ろうとしているコチはいつもホリデイの声で起こされた。
ホリデイは朝の光とともにやってきて、コチを太陽のいる世界に誘う。
「僕たちは、自由の羽を持っているんだぞ。」
そう言って、ホリデイは嫌がるコチを無理やり連れ出した。
「俺の自由はどこにあるんだよ?」
そう言って、コチは、しぶしぶ太陽の下をホリデイと一緒に飛んでいく。
ホリデイは陽だまりを飛び。
コチは日陰を飛んだ。
ある日の公園には、ずいぶんと人間がうじゃうじゃといた。
小さい人間が公園を走り回り、それを大きい人間が見守った。
コチとホリデイが、2匹で公園を飛んでいると、突如、網を持った小さな人間がホリデイを捕まえようとホリデイを追いかけ回した。
「人気者は大変だな。」
それを見てコチが笑っていると、ホリデイに逃げられた小さい人間が向きを変え、次にコチを追いかけ回す。
「チョウチョ。チョウチョ。」
無邪気に追いかける子供は、虫取り網を投げつけるように何度も振りかざした。
必死に逃げるコチを見て今度は、ホリデイが笑っていた。
「おい。バカ。やめろ。俺は、蝶じゃない。」
子供がめちゃくちゃに振り回す網がバタバタと必死に逃げるコチを捕らえた。
「えっ。まずいじゃん。」
嬉しそうに、網をそーっと覗き込む子供の背後でホリデイは慌ててそれを覗いていた。
子供は、誇らしげに大人を呼ぶ。
網の中で必死にもがくコチ。
「お前。よく捕まるな。」
コチと目があったホリデイは戯けた顔で言った。
「そんな事言ってないで早く助けろよ。」
コチは懇願するようにホリデイに言った。
「待ってろよ。今、考えてる。」
すると、子供が呼んでいた大人がやってきた。
子供は急かすように大人に網の中を見せつけた。
そして、子供が網の中に手を突っ込みコチに触れようとする。
悲鳴がした。
出したのは大人だ。
大人は、必死にそれを阻止した。
そして、大人は、網を子供から取り上げ、それを振り回し、コチを自由の空に解放した。
外に放り出されたコチ。
生きているかと恐る恐る開けた目の前には、驚いた顔のホリデイがいた。
「コチ、どうやったんだよ?」
「何が何だか。」
小さな人は泣いていた。
「チョウチョ。」
子供を嗜めるように、膝を曲げた大人は何かを伝えた。
子供は泣き止まない。
コチには、人間の言葉がわからないが、泣いている理由は分かる気がした。
コチにだって小さな幼虫の時代があった。
きっと、あの子は、区別のつかない小さな幼虫なんだ。
小さい頃には分からない事がいっぱいある。
「コチ。君はもの凄い力を持っているんじゃないか?」
ホリデイが、真面目な顔をしてコチに聞いた。
「なんだよ。それ?」
「だって、あんなに大きな人間がコチにビビっていたぞ。僕に隠している力があるんじゃないか?見えない力だよ。」
コチは、ホリデイの真面目な顔がなんだか可笑しかった。
「そうさ。黙っていたけどな。」
はっははは、とコチは、大魔王が降臨したかのような笑い声で演技してみせた。
「震えるな。コチ演技下手すぎ。」
ホリデイは、冷めきった顔でコチを見て、それからいつものように吹き出し笑った。
きっとホリデイは、小さい頃から、何も変わっていないのかもしれない。
ホリデイは見えていないものがたくさんあるの?
いや、違う。
幼虫の頃見えていたものがまだ見えているのかもしれない。
「あれ、なんだ?」
太陽の下、公園には、不思議なモノが飛んでいた。まんまるで透明で、キラリキラリと風に流され、ふわふわと飛んでいる。
「見ろよ。コチ。小さい虹が閉じ込められている。」
ホリデイは、小さな人間の作ったシャボン玉を見て興奮しながらコチに言った。
「虹?どこ??」
ホリデイは、無数に空をのぼっていくシャボン玉を追いかけた。
そして、ホリデイがシャボン玉に触れた瞬間、シャボン玉はパシャンと泡となって弾けた。
気づけばホリデイとコチは一面のシャボン玉に囲まれた。
キラキラと浮かぶシャボン玉、空の青も漂う白も公園の緑もはしゃぐ子供たちもキラキラと映し煌めいている。
コチの知らない不思議な光景。
楽しげに笑うホリデイの声。
美しい太陽の世界だ。
ホリデイは、まだ、懲りずにシャボン玉を笑いながら追いかける。
追いかけているのか、遊んでいるのか、シャボン玉を割る度、水しぶきを浴びながら「ひょー」っと奇声をあげた。
「コチもやってみろよ。」
風に漂うシャボン玉がコチに当たる。
パシャン。
「ひょー!」
結局、2匹は笑いながらシャボン玉を夢中で追いかけた。
シャボン臭い2匹は、公園のベンチに座る年老いた人間の帽子の上で、濡れた体を乾かしながら、空に浮かんでいくシャボン玉を眺めていた。
「コチ。虹見えたか?」
ホリデイは空を見ながら隣にいるコチに聞いた。
「その前に全部弾けたよ。」
コチも空を見ながら隣にホリデイを感じていた。
「コチは虹を見たことがあるか?」
コチは少し考えて答えた。
「あるよ。水たまりの中でゆらゆら揺れていたよ。」
「空を駆ける大きな虹だよ。」
ホリデイは得意げにそう言った。
「知らない。興味ないよ。」
コチはつまらなそうに返事をしたのに、ホリデイはイキイキと話し続けた。
「僕は、見たことがあるんだよ。」
だから興味ないってと言おうと思ったがコチは言葉にする事をやめた。
弾むホリデイの声を遮るのはなんだか惜しい気がした。
「僕が、青い空を飛ぶことを夢見ていた時だよ。真っ暗だった視界に急に淡い光が現れて僕は光に包まれたんだ。そしてバリって視界が破けたその先からまばゆい光さ。僕はあまりの眩しさに顔を何かで覆ったよ。そして少しずつそれをずらして光の先を覗いたんだよ。現れたのはなんだと思うコチ?」
「虹だろ?」
「そうなんだよ。コチ。よくわかったな。青い空に大きな、ものすごい大きな虹が、空一面に伸びているんだよ。虹の終わりが見えないくらいさ。」
ホリデイは興奮して身振り手振りで一所懸命にその虹の大きさを表わそうとした。
ホリデイの興奮した様子とは反対に帽子の下のお年寄りが大きなあくびをして、立ち上がり歩き出す。
揺れる帽子の上でもホリデイは変わらず話を続けた。
「僕はもっとその虹を見たいと思って顔を覆っていたものをどかして気づいたんだ。なんだと思う?」
「うーん。なんだ?」
「生まれたばかりの僕の羽だよ」
コチは、揺れる帽子の上でバランスをとりながらホリデイの話を聞いた。
「僕の羽が生まれた日、空に虹がかかったんだ。この世界が僕を祝福してくれたんだよ。どう、臭うか?」
「臭うな。」
「だろ。」
2匹は笑った。
「ホリデイを祝福するほど世界は暇じゃないよ。虹なんて、ただの光の反射だろ?」
コチはホリデイのふざけた話をふざけた様子で答えた。
「バカだな。虹を見た事ない奴が、虹を語るんじゃねえよ。」
ホリデイは、コチのふざけた話をふざけた様子で答えた。
二人の子供が、老人の帽子を指差している。老人は、上を見上げ、帽子に手を差し伸べた。2匹は慌てて、シワ帽子から飛び立った。