コチ 2−8
「コチ、いつまで寝ているんだ。早く行くぞ。」
「これから寝るところだよ。」
コチは、いつも気怠そうに、眠い目をこする。
でも、本当はホリデイのせいで、太陽の世界での疲れを、月の世界で取るような日々が続いていた。
少しずつ、コチは太陽の世界で多くの時間を過ごすようになっていたのだ。
それでも、太陽の悪口は、欠かさなかった。
自分が仕方なくこの世界にいるという通行手形を差し出しながら、飛んでいたからだ。
誰かが、文句を言ってきたってこの通行手形とホリデイがいれば、許される気がした。
コチは、朝焼けと夕焼けのオレンジ色の空が好きになっていた。
太陽の世界の始まりと月の世界の始まり。
コチには、世界の終わりだった光、あの光が始まりに変わったからだ。
ホリデイにあのオレンジ色の空が好きだって事を言えたらどんなに良いだろう。
きっとホリデイは喜んでそれに答えてくれるだろう。
悪ふざけな答えでも良い。
それをホリデイが知っていると言う事でオレンジ色の空がもっと輝く気がした。
でもホリデイはきっと知らない。
コチは相変わらず朝の不機嫌な演技をやっていたからだ。
けど、それも止める事が出来ない。
コチは無理やり誘われているという通行手形を失ってしまったら、この太陽のいる世界で一体どう振る舞えばいいのかが分からず、急に居場所がなくなってしまう気がしたからだ。
太陽の世界で、シワ帽子を見つければ必ずそこに飛び乗った。
休んでいればシワ帽子は色々なところに連れて行ってくれる。
その間ホリデイはコチにこの世界の事を色々と教えた。
でも、それはコチに太陽の世界を好きになってもらいたいというそんな想いとはちょっと違う気がした。
自分の世界に引きずり込もうなんて、蜘蛛のおじさんのような趣味は持ち合わせていないのだろう。
ホリデイがコチに何かを教える時、ホリデイは最後にはいつも笑っていた。
それが真実なのか分からない。全部、冗談だって言われた方がしっくりとくる。
まあ、真実やら正解なんて本当なんて結局分からないし、存在すら怪しいものだ。いちいち探していたら、面倒だから、ホリデイの話は安心だ。最初から冗談のように聞こえるから、わざわざ疑う必要もない。
ある時、ホリデイが人間について話していた。
人間が、下向いてばかり歩いているのは、探し物を探しているからだと言う。
人間は持ち物が多いからしょっ中ものを落とす。
だからいつも落し物を探していると言う。
でも落としたものが何かも分かっちゃいないからずっとああやって探しているらしいのだ。
「不気味だろ?」
「ホラーかよ。」
ホリデイもコチと同じように人間を不気味に思っていたらしい。
ある時、ホリデイが鳥について話していた。
ジイさんの枝に小鳥が止まっているのは、ジイさんの枝に実る果実を待っているかららしい。
「卑しい奴らだ。せっかく実ったじいさんの実を狙っているなんて。俺がもう少し、腕が太かったらぶっ飛ばしてやるのに。ごめん。ジイさん。俺の細い腕を恨んでくれ。」
怒るコチに、やっぱりホリデイは笑っていた。
「おい。じいさんをよく見てみろよ。怒っているか?じいさんは嬉しいんだよ。じいさんはあの鳥が好きなんだ。」
「おいおい、冗談はよしてくれ」
コチはジイさんを見上げた。
ジイさんの葉の上で、チュンチュンと2匹の鳥が日の光を浴びながら何やら話をしている。
鳥は、今にも襲いかかってきそうで、見ているだけで、背中が震えてきた。
あんな野蛮な鳥をジイさんが好きだなんて、コチには、どうもいい気分ではない。
「もっとマシな冗談はないのかい?」
コチが眉をひそめているとホリデイは続けた。
「ジイさんの実には、ジイさんの思いが詰まっているんだよ。要は、ジイさんの分身みたいなものさ。その実を鳥の翼がどこか遠くに運んでいくんだ。ジイさんは遠くの知らない世界で、また、芽生えて、長い時間を生きるんだよ。どんな世界か、そこでどんな出会いが待っているのか。ジイさんは、その実に夢を見ているんだよ。」
コチは不思議そうに、ホリデイの話を聞いていた。
「だから、ジイさんは、あの鳥に、果実を与える事を心待ちにしているんだよ。ジイさんにとっては夢と時を運ぶ希望の鳥なのさ。迷惑だなんて思うものか。ジイさんにとって迷惑なのは、コチくらいのものさ。」
ホリデイは笑いながらこう言った。
ジイさんも今度は笑っている。
ジイさんだってホリデイをもう知っている。
コチだけが、いつものホリデイの冗談に少し、黙って考え込んでいた。
「あのウルサイ鳥がジイさんの夢と時を運ぶ?」
ホリデイの話を聞きながらコチは想像した。
ジイさんが、花を咲かせ(どんな色の花?)、
実がなり(どんな形?)、
それを運ぶ鳥(腹立たしい顔だ)
大空に飛んでいく。
コチは緑色の葉を風に揺らすジイさんを見上げた。
「ホリデイはジイさんの花を見たことがあるのかい?」
「ないさ。」
「じゃあ、なんで知っているの?」
「風の噂さ。」
「ジイさんにも花が咲くのか・・」
コチがなんだか居心地悪そうにしていると、ジイさんの葉が優しく揺れる。
そんな優しいジイさんの揺れる葉を見ながらホリデイはボソッとつぶやいた。
「見る事が出来たらいいのになあ。」
ホリデイは、まるで見る事が出来ないって知っているかのようだった。
いつも夢心地のホリデイにしては珍しい事だ。
この世界では、コチやホリデイの知る事のない途方もない時間が流れているらしい。
ホリデイは言う。
今は、誰かがつないでくれた時間を持っているだけ。
いつか、その時間を手放さないといけない。
それがいつなのか?
きっと長くない。
もう背中には羽がある。
知っているさ。
ホリデイは笑った。
釣られてコチも笑う。
「ジイさんの実は、知らない世界に行っても俺を思い出すかな?」
コチは、チカチカと揺れるジイさんの木漏れ日に当たりながら、ホリデイにそう、聞いた。
「当たり前だろ。そんな間抜け面、忘れるわけがない。」
コチは、笑って、ホリデイを小突いた。
「ねえ。ジイさん。だからって僕の事も忘れないでくれよ。」
2匹の声に、風に揺れる葉はそっと答える。
「あの鳥が、ジイさんの時と夢を運ぶなんてね。なかなかやるじゃないか。今度からは、ウルサイ鳥の鳴き声も少しはましに聞こえるかもな。」
どこからか、聞こえてくる鳥の鳴き声は、小気味なリズムで世界に音を作る。
コチとホリデイは、その世界に耳を澄ませた。
「コチ。僕たちにも誰かの夢を運ぶ羽があるんだぞ。」
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