ロックンロールはいらない。大衆に媚びた戯言だ。
突然で恐縮ながら、まずあなたの貴重な5分間を頂戴したい。the pillowsのフロントマンである山中さわおのソロ活動曲を、是非聴いていただきたい。
(山中さわお?誰?って方も、正直ピロウズには興味ないって方も、是非一度だけ聴いて、一度だけ読んでいただきたい。ロックンロールが不要とされている今、一瞬の思考停止が様々な形で大勢の人の命を、生活を、潰しているということをよく考えるきっかけにしたい)
歌詞はこちら。念のためコピーや引用はご遠慮いただきたい。
コロナ禍で生まれた曲
山中さわおは自身の公式サイトで不定期にラジオ(Podcast)を更新している。とある回の中で、コロナ禍で自身のライブツアーが中止になったことに対する苦しさ、やるせなさ、世間の考え方とのギャップ、報道に対する苛立ちをとうとうと語る。詳細は割愛するがおよそこんなことを仰っている。
言葉を切ったり貼ったりしているため、ニュアンスや細かいところは異なる。もし気になるようであれば音源を聴いていただきたい。聴かずにネガティブな印象を抱くくらいならば、そのまま記事を閉じてもらって構わない。引用形式にしているが、これは山中さわおの言葉ではなく、あくまでも私の言葉であることもご理解いただきたい。
この回を皮切りに合計4回、4週連続で配信を行った後、パタリと配信を中止した。その2か月後、突然、一切のアナウンスをせずに”vol.327 アインザッツ”という回が配信されたのだ。更に、説明文には「※トークはありません」と書いてある。
そう、これが冒頭のYouTubeの曲だ。「アインザッツ / 山中さわお」は、Podcastの配信枠に無言でアップロードされた最新曲なのである。
空前の短期間でアルバムをリリース
the pillowsのフロントマンである山中さわおは定期的にソロ活動を行っている。活動の内容は効果的かつシンプルな「ソロアルバムのリリース」と「引っ提げての全国ツアー」である。
7年ぶりにソロ活動を始動した彼は最新アルバム”ELPIS”を5月下旬にリリースしていた。そのまま全国ツアーを行う予定だったが、コロナの影響で中止。他のアーティストも同じかもしれないが、彼の苦悩と苛立ちも想像に難くない。詳細は先に述べた通りである。
その、5月下旬のリリースの直後、本当に直後の6月3日に「アインザッツ」をPodcastにアップロードした彼は、なんとその勢いのままに、ニューアルバムをリリースすることを発表したのた。その期間はたったの約2ヶ月。好きなミュージシャンがいる人であればだれもが理解できるであろうが、これは異常なことである。
色々な想像をしてしまう。先に述べた「オレ達の”スタッフ”」のことを考えているのか。レーベルのことを考えているのか。もちろん、感情が曲づくりに影響する彼のことだから「自然と書けてしまう」のだろうし、そういう形で訴えかけたいという熱もあるだろう。変な言い方、ELPISが霞んでしまうほどの衝撃だった。「ツアー中止にさせられてるんだから、霞むでいうならもう霞んでんだよこの野郎(笑)」等と巻き舌で仰りそうである。
その空前のアルバムのタイトルが「ロックンロールはいらない」である。
繰り返すが、ロック・ミュージックのアルバムのタイトルが「ロックンロールはいらない」なのである。
苛烈な皮肉に胸が苦しくなる。大好きなロックバンドのボーカルが絶望して「ロックなんて不要な世の中だ」「(すなわち)”オレ達”は不要な存在だ」と心の底から苦しんで生まれたアルバムである。
ファンとしてこんなに悔しいことがあるだろうか?
(※Podcastの当該回の最後に「すごいどうでもいい新曲を作ったんだ」と前置きした上でアップロードされているものが「ロックンロールはいらない」その曲である。もしPodcastを視聴された方は、是非曲も聴いていただきたい)
あなたの好きなミュージシャンなど「不要」である
さんざんピロウズと山中さわおの話を述べてきたが、これは当然ながら特定のバンドについての議論ではない。様々なミュージシャンのライブツアーが中止に追い込まれている昨今、多くの歴史あるライブハウスが廃業に追い込まれていることはご存知だろう。
音楽というのは不要不急である。人はご飯を食べて、最低限の運動をしていれば死なずに済む。それ以外のことは不要不急なのである。
挙げればキリが無いが、当然、本なんていらない。映画館なんていらない。美術館はいらない。スポーツ観戦もいらない。旅行もいらない。外食もいらない。医療関係の研究だってコロナ以外はスローダウンだ。ライブハウスなんて不要。本屋もつぶれてしまえ。酒も不要不急だ買いに行くことが間違っている。あなたが好きなミュージシャンだってまともな生活はできなくなる。それでいいんだ。
それでいいのだろうか?違う?
そうじゃないとして、じゃあ、どうすればいいのか?
私は恥ずかしながら答えを持っていない。でも、考えることだけは絶対に止めない。十分に気を付けながら旅行にも行きたいし、外食もしたい。本も買いたいしスポーツ観戦もしたい。私は誰が何と言おうと、自分で考えて行動する。思考停止した人間の吐く「この大変な時期にそんなことをしていいと思っているのか!」という言葉には一切の耳を貸さず、自分が意思を持って、可能な限りの消費活動を継続する。
そうでなければ、あなたの好きなミュージシャンなんて不要なのだ。不要でないなら、この状況は何だというのか。
想像力をもって、”自身”の”在りかた”を考える
よく「コロナ禍での倒産が何件~」という報道を目にするが、倒産件数などひとつの指標でしかない。某旅行会社ではもう給与が出ていないという話も聞くし、観光地の個人飲食店は倒産せずとも売り上げが落ちていることだけは明白だ。提示された数字ではなく、想像力が大切になってくる。
高校三年生の子供がいる家庭で収入が減少したとして、これを機会に大学進学を断念する人がどれだけいるか?旅行会社に就職したかった未来ある若者は、いったい何を目指せばいいのだろうか?芸能人が出歩いていたところを写真に収めて大衆紙に掲載して騒ぐことに、どういう意味があるのか?
思考停止は敵である。もしかすると、多分、コロナ以上に。
我々は「誰にどんなことを言われてもいい」から「僕自身がどう在りたいか」を考えなくてはいけないのではないか。私はそう思う。
「アインザッツ」は、その歌詞を見ていただければ分かる通り、山中さわおの強い憤りと決意が示された一曲である。不満は不満として、でも決して誰かを傷つける形では無く、でも激情をもって音楽の形で訴える。”彼は死ぬ日まで他の生き方は知らない”のだ。ピロウズと山中さわおの熱狂的なファンである私は、この一節で号泣した。曲を聴きながら一緒にギャーと叫んだ。
さて。
熱狂的なファンでないあなたは、これをどう感じただろうか。世間知らずのロックンロールバンドの、大した影響力も無い人間の戯言だと切り捨てるだろうか。そのファンが感化されただけの記事だと鼻で笑うだろうか。
それとも、自身のあらゆる行動が信念に基づいたものだったか、考えるだろうか。流されて適当にマスクを着けて満員電車に乗り、旅行に行く人々をバッシングしながら、自分の会社の業績が下がるのをただ眺めてきた自分を省みるだろうか。
ここまで読んで下さった各位が再考するきっかけくらいになれば幸いである。
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