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ヘッドフォンと没入と焚き火

ヘッドフォンをしていると、まるでその音が自分の環境音かのような錯覚を覚える。まさに没入である。ゲームであればその世界に、ライブであればまさにその会場に行っているような状態にまでのめりこむことができる。

同時に、そうではないことを認識している自分もいる。部屋で一人でヘッドフォンをしていると、どこかのタイミングでそのドアが開いて、家族がはいってくるんじゃないかとか、そういう恐怖が一定存在する。少しだけその線が、ぴんと糸を張ったようにして自分の中に残っている。没入しきれていない状態になっている。音楽のリズムに合わせて身体を揺らしているところを見られる恥ずかしさもあるけれど、なにより自分がその世界に没入しきっているその状態を壊されるかもしれないということの恐怖が、そのドアの向こう側に広がっている。可能性として広がっている。鍵を閉めていても、ノックされれば引き戻されてしまうし、昼間は家に誰も居ない、だとしても、気づいたら3時間経過しているというほどに没入していれば、とたんに「そろそろ帰ってくるのではないか」というざわめきが生まれ、没入を邪魔される。

この没入を完璧なものにすることは、通常の世界では難しい。家族がいたり、隣人がいたりすればこれはほとんど不可能なものだ。一人暮らしはや一人旅はそういうことを実現するために在るものだし、一人の時間というものの希少性はこういうところから生まれる。「少なくとも朝までは、つまり寝てしまって起きるまでの間はその没入が許されている」という状態になることで、ようやく初めて張り詰めた糸はゆるみ、身体は弛緩して、自分を解放することができる。

あんまり関係ないけど、焚き火にもハマっている。気にしいで考えすぎる私は生きているうちで仕事や何らかの考え事を完全に排除する手段が無く、ストレスだらけなのだけれど、焚き火を眺めている最中は、本当にほとんど思考を止めることができるのだということに気づいた。お酒が唯一の対処法であると思っていた私は、最近焚き火のことばかり考えている。

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