「ポケットとリツコ」

なんだかすっぽり穴の空いたスボンのポケットに手を入れてもぞもぞしていた。ヒトシは、穴から手を出したり引っ込めたりしながらポケットの中で一本の糸を中指と人指し指に絡ませながら時々緩ませたり、ぎゅっと強く引っ張ってきつく縛ったりを繰り返しながら律子の自作音楽を聴きながら、表情は、聞き入っている風を装いながら、律子の演奏が終わった頃何を話したらいいのかわからない焦る気持ちを抑えてなんてことない風を装っていた。律子は、ヒトシの一個上の同じ部活の先輩で14歳にしてとヒトシとタメのアツシとできていた。それも律子からアツシを口説いたらしい。淳は、小学校の頃は、読書に吹けるハナタレやろうで誰も目もくれないやつだったが、中学になってフルートを吹いていたと思ったら律子に口説かれてから変わった。ふくよかな四肢を持ち背も自分より高い律子は、もうすでにヴァージンではないらしい。それだけでなく、1年間留学したアメリカでクスリを覚えてきたらしく、アツシが残念そうに注射器を見つけただのなんだのこぼす自慢とも取れる愚痴をきいて必死で映画でみた麻薬中毒者を思い出しながらふーんそうかあと。わかったような顔をして相談にのっている風を演じていた。13歳の夏にロストヴァージンと大声で最初に快活よく言った淳の声は、美術室の扉が開くのを待っていた子供達の頭に響きわたった。ロストヴァージンの意味さえわからなかった私であったが、その瞬間、美術室前のひんやりとした空間に地響きが鳴り響いたのごとく、生徒たちは、驚き、そのあとその言葉がハナタレから発せられたという事実を理解できない気持ちを、真っ白な天井に吊るされた真っ白なライトがさらに私たちのぽっかりとした胸の内を際立たせた。

トロンボーンによる自作の音楽の演奏が終わったころ、ヒトシの放った言葉は、冷たく「へー」だった。でも心の中では、「暖かい」と言っていた。なぜ、自分の練習する場にリツコがきたのかわからなかったし、何をどう接して、どんな言葉を投げかければいいのかもわからなかった。
リツコが亡くなったのは、その2年後のこと。留年して、自分の学年に落ちてきたと思ったら、アツシと別れて不良と付き合い始めて、最終的に放校処分になった。学校では、何かに負けたら罰ゲームで女の子に告白することが男子の間で蔓延していた。アツシが私の自宅でチューハイを片手にジャンケンを持ちかけてきたのは、リツコが放校処分になった年の夏だった。私は、ジャンケンに負けた。負けた罰でリツコに告白することを持ちかけられた。音楽室のある5階からリツコが私に向かって何かを楽しそうに叫んでいたことがあった。私は、元気いっぱいに返したい気持ちでいっぱいだったが、体も口も視線も思うようにそちらを向かなかった。ただ一直線に進行方向に歩を進めるのみだった。トロンボーンによる演奏が終わったあとの「へー」と同じで、心と実態が逆さまだった。

私は、トランペットを吹いていた。トランペットといえば、華やかな楽器をみんなは、想像するだろう。でも私のトランペットは、常に象の鼻のように口から下に垂れ下がり、銀色のラッパが下を向いて不安定な甲高い音を時々キーさえも間違えて出すものだから、コラボレーションの輪を乱すどころか壊れた音をだす粗大ゴミだった。銀の美しいトランペットのシルエットは、下を向いてしまっては、役に立たないし、どんなに叙情豊かに指先、肘、脇、そして全身の体をリズムに合わせて演奏しようとしても少年のもどかしい喘ぎにしか聞こえない。お前の楽器は、トランペットであって、目の前にいる人々を甲高く気品を纏ったまっすぐな音で感動させなければならない。と頭でわかってはいてもただただ、下を向くばかりだった。マウスピースの中で不器用に震える彼の唇が、その10年以内にいくつかのちゃんと潤った唇と震え合うことになるのかを、もし当時の唇が知っていたら、きっと冷たい『へー』ではなく「暖かい」と暖かく呟いていただろうし、5階の音楽室まで走って向かっていただろうし、罰ゲームも喜んで受け入れていただろう。

リツコが亡くなった日と思わしき晩、自宅の電話が何度もなった。電話に出ると毎回機械音が鳴り響いた。ファックスをFAX機能のない電話番号に送信しようとするときに起きる現象だ。訳をわかっていない祖父が夜中に出て、その機械音に向かって何度もブチ切れて受話器を叩きつけるように切った。その翌週リツコの葬儀でアツシから自宅のFAXのことを聞かれた。私には、なんのことかその時わからなかった。リツコの葬儀には、なぜか小学生や小さな子供達がたくさんきていてリツコの屈託のない笑顔が子供達を照らしていた。

帰り道3つ上の先輩がその遺影について言った。「リツコちゃんらしい笑顔だったな」と。その時私には、理解ができなかった。私は、その子の笑顔を見たことがなかったようだったからだ。。。。

おしまい

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