街クジラの歌【シロクマ文芸部】
「街クジラだ」
ひとりごとが声に出てしまう。同じ曲ではないが確かに街クジラだった。
ほとんどの田舎がそうであるように、私の故郷でも夕方になると音楽が流れた。ただ水曜日だけが違う曲で、私はそれを「街クジラの歌」と呼んでいた。私だけの勝手な呼び名だったけれど、他に形容のしようが無い。静かな海のリズムを思わせる和音にのせて、高音の旋律が長く伸やかに上下する。まるで本物のクジラの鳴き声のように。
街クジラが歌うのは日没時。西の空にはまだ赤が残り、東には濃紺の星空、そしてその間を移ろぐ紫が「空」というひとつの生き物のようで、それが家々の明かりを見守りながら歌い、ゆったりと泳ぐ景色が好きだった。
誰の何という曲かわからないまま、どうして水曜日だけなのかもわからないまま、わからないことが当たり前のまま、私は社会人になり故郷を離れた都心で暮らすようになっていた。
それがどこからか聞こえてきたのだ。この都会で再会するとは思わなかった。誘われるまま音の流れてくる方へと辿っていくと、そこは小さなレコード店だった。狭い店内の奥に入ってゆくとカウンターに店主らしき年配の女性が居た。自分の母親より少し年上だろうか。
「こんにちは」と声をかけておきながら先の言葉が出ない。
何という曲ですか?
誰が作った曲ですか?
レコードですか?
CDはありますか?
様々な言葉が沸いてきたけれど、今さらその答えを知ってしまうのが勿体なくも思える。
なるべくジャケットやタイトルやそんな情報を入れないように気を付けながら「また来ます」とだけ言い残して店を出てしまった。そういえば今日は水曜日だ。時間も夕刻だったけれど、空を見上げても街クジラは見えなかった。
次の水曜日、もう一度聴きたくなってそのレコード店に行ってみた。店内には前と同じように街クジラの歌が流れていた。
「こんにちは」
今度は店主の女性の方から声をかけてきた。
「先週もいらっしゃいましたね。この曲気に入られましたか?」
知ってしまう事を警戒する反面、彼女とこの曲について話したい気持ちに徐々に傾いてゆく。気持ちが右往左往した挙句に不用意に核心がストレートに口を突いてしまった。
「水曜日なんですか?」
いくら何でも突飛だったかと焦って言葉を足そうとしたけれど、その前に思わぬ答えが返ってきた。
「ええ、ええ、そうなんです。水曜日です。理由を知りたいですか?」
「はい、いいえ、あ、でも知ってしまいたくないような」
「どうか聞いていただけませんか。あなたにその理由を預かっていただきたいのです」
「私に、ですか?どうして?まだ会ったばかりですけど」
「あの街ご出身ですよね」
彼女から当然のように故郷の名前が出てきた。
「はい、あ、もしかしてあなたもですか?」
「いいえ」
否定してから彼女はこの曲を水曜日に流す理由を語った。
****
水曜日の理由とこの世に残るたった一つの音源を預かり、私は久々の故郷に向かっていた。電車の中で彼女の話を思い出す。
「若い頃、音楽はしていたのだけど生計を立てられる程甘くなくてね。子供が巣立ってからよ。たまたま耳にしたブライアン・イーノの曲がとても素敵で、自分でも久々に音楽を作ってみたくなってね。ご存じ?ブライアン・イーノ」
そう話してから彼女は嬉しそうに微笑んで
「街クジラの歌なんて、とても素敵なタイトルね。ありがとう」
そんな風に言ってくれた。
「どうして水曜日なんですか?」
「ネットで公開していたのを見つけて街の夕刻の音楽に使いたいって言ってくれた人がいてね、彼の入院されているお母さまとの面会日が水曜日だったのよ」
彼とはしばらくそのままやりとりをしていたが、そのうち連絡は途絶えたという。もうひとつの街クジラの歌は彼の方から送られてきたもので、彼女の曲を素人なりに少し改造したものらしい。そんな遊びが楽しかったと話してくれた。
「今思えば、お母さまではなく奥様だったのかしらね。このために、なんて贅沢は言わないわ。故郷に帰るついでがあれば放してあげてくれないかしら?」
彼女は少し寂し気に笑って私に理由を預けた。
****
生家に着く早々、家族に荷物を預けて「すぐ戻る」とだけ告げてあの景色へと出かけた。
水曜日の日没だ。
真っ赤な夕日は絶好の街クジラ日和。
この街のクジラが歌い始める。
同時に私は預かった歌を流した。
同じようで違う2つの歌。
静かな波を思わせる和音に高音の2つの旋律が絡み合う。
まるで大海原で2頭のクジラが呼応するかのように。
紫の空を泳ぎながら確かに呼び合っていた。
とても優しく美しかった。
だから水曜日の理由はきっと・・・
いや、もう理由は解き放ってしまった。
そして日は沈む。
さようなら
おやすみ
終わりではなく
つぎの朝を迎えるために
<了>
懲りずにこちらに参加します。
約2000文字か もっと短くスパッとしたものにしたいなぁ。
あ、粗が・・・ あ、え、お。
絵まで筆がまわりませんでした。
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ペンギンのえさ