見出し画像

水先案内人               ――画像しりとりはじめました (#6)

(#5)魔法の鏡→「み」→水先案内人

待っておったぞ、さ、参ろうか

あの世に行く時は、ご先祖様が導いてくれると聞いてはいたけど

ご先祖様ってそんなに遡るのかい……



もう、ここまで遡ったら、正直、誰それのじーさんとか、
もはやほぼ関係なっしんぐやんなぁ😁

「人間が死後、案内係となる者に導かれて魂があるべき場所へと向かう」
というのは仏教の世界観である。

仏教では、人は死んでからもその魂は数日間は自分の体のそばにいるとしている。

多くの場合、人は自分の死を認識できずにいるので、家族や知人等に話しかけたり接触を試みたりする。
しかし、語りかける者みな当然ノーリアクションなので、
あれあれ?なんでみんな自分のことシカトするん?
え?もしかして自分、死んだん?(・_・)?
――て疑問を抱くもよう。

とはいえ、本人的には意識はしっかりしてるし、感覚的にも生前と何ら変わらないので、
いやいや、自分、生きてるやん、
て抵抗したくなるのが人情というものでもある。

それが、時間が経つ毎、日にちが経つ毎、集まる人々の悲しげな顔やら涙やら、ついには自分の葬儀が営まれるに至って、
さすがにこれはドッキリちゃうな……
そう認めざるを得なくなり、それでも心のどこかで、
でも自分、こうしてピンピンしてるしなぁ……と悩む。
これが数日間続くそうな。

ただ、その心の抵抗も、たいていの人は(*1)初七日を迎える頃には整理がついて、自分の死を受け入れられるようになるという。

*1:たいていの人は:ここでいつまで経っても自分の死を頑なに受け入れられずにいると、いわゆる地縛霊という存在になっちゃうもよう。

こうして自分の死を受け入れて初めて、人の魂は霊的視界が開けるらしい。いったん霊的視界が開けると、先に亡くなった家族や友人、知人、懐かしい人々の存在が見えるようになり、また、案内係となる霊と出会って、自分がゆくべき場所へと連れて行ってもらえるというのだ。

……まぁ、案内係が今回の画像ネタみたいに、はるか何百万年も遡られた日には、初見で素直に

「お、おじいちゃんっ!!」

と懐かしむのはちとムリがあるわなぁ、正直なところ( ̄∀ ̄)
もちろん、

「お、おばあちゃんっ!!」

……て、問題でもないし (見た目、どっちかもよう解らんし)。

ちなみに、仏教の考え方だと、亡くなってから次の生 (俗にいう来世) を享けるまでのこの宙ぶらりんの時期を「中陰(*2)といい、その間、7日ごとに死者に対する審判が行われ、その都度、生前の罪に対してチクチクと責めを負うことになる。
そして、毎週行われる審判が7回に達した四十九日――その判決によって、故人の来世の行く先がケテーイするらしい( ̄∀ ̄)♪

*2:中陰:ただし、上座部仏教では輪廻転生の中間となるこの期間は必要ないと考えるし、浄土真宗あたりでは、故人は阿弥陀仏の本願力によって臨終と同時にgoto極楽浄土トラベルであるから、中陰というのは審判期間ではなく、故人を通して求法の生活をする期間と考える等、宗派によっても扱いはまちまちだったりもする。

なお、この週間審理システムに鑑み、残された此岸サイドの我々としては、初七日を始め、二七日、三七日、四七日……と、7日ごとに追善供養を行うことによって、故人の生まれ変わる世界がより良いものになるそうな
( ̄o ̄)♪
(……なんか、追善供養で故人の生前の罪が軽減されるというのは、パッと見あまり公正な審判とは言えない気もするが(・_・)💧
まあ、証人による情状酌量的なモンだと思えば納得できるというものか……)

いずれにせよ、人は必ず死ぬわけであり、他ならぬ自分もいつかはそういう体験をするのだろうから、その時になってタダこねて、長きにわたって地縛霊になる……なんてことにはなりたくないものだ。

明日もなるべく多くの人が、良い一日を全うできますよう


■ おまけ

 今回の画像しりとり列車 (6両目) の前の車両です。タイトル「魔法の鏡」と右下のネタ画像で、なにこれ?て引っかかりを覚えた方がおられましたら、時間が許すような時にでも、覗いてみてやってください。抽選で1名様に、「向こう」での案内人を指定できるチケットを差し上げます。
(※ 当選は商品の発送をもってかえさせていただきますm(__)m)


こんなダラダラと長ったらしい記事に最後まで目を通していただき、その忍耐強さと博愛の御心にひたすら感謝☆です ありがとうございます ご覧いただけただけで幸甚この上なっしんぐなので サポートは、私なんかではなくぜひぜひ他の優れたnoteクリエイターさんへプリーズ\(^o^)/♪