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問い⑥                     ――画像しりとりはじめました(#206)

(#205) モンスターペアレント→「と」→問い⑥



問題:国際的な環境保護団体グリーンピースや、環境テロ団体とも呼ばれるシーシェパードなどが、目くじらを立てて非難している行動とは何?


ピンポーン🎵

司会:はい、無抵抗の村の村長さんっ!

🎶ピンポンピンポンピンポン✨

司会:正解! 答えは「捕鯨ほげい」。お見事です。   

   では、次の問題――

   ……って、あれ? 村長さん? 村長さーん!

   …………!!!( ゚Д゚)!

   おーい、誰か、救急車っ!!

女性アシスタント:葬儀屋さんの方が早くないですか、これ?(≧▽≦)

司会:……おまえさん、たまにものすごくエグいこと言うよな

女性アシスタント:どもッス(o^-')b♪

司会:いや、ほめてねーよ



まあ、世紀末覇者のビンタだからねぇ……( ̄∀ ̄)
でも、一応、オリジナルの方では、このビンタ一発ではまだまだ息もあるし意識もある。

ただ、ビビりまくってこんな風になり

結局、葬儀屋さんを呼ばなアカンよな事態になっちゃうんだけどね(^^ゞ💦
(画像は自粛w)

――あと、問題文にさりげなく
目くじらを立てて非難している行動」なんて遠巻きなヒントが隠されているトコがまたナニやな^m^←そうか?

さて、「目くじらを立てる」とは――

RIE:韓国語への挑戦「目くじらを立てる、、目にクジラが立ったら!?」(*1)より

……いや、そういうことではない(・_・)💦

*1:韓国語への挑戦「目くじらを立てる、、目にクジラが立ったら!?」:脚注1.の記事中のイラストより借用。

そういう意味でもない(・_・)💦💦
(そもそも「目がくじら」でもなければ「立っても」いないし)

とまあ、ひとしきりボケ倒したところで、
改めて――

目くじらを立てるとは、
目にカドを立てて他人の欠点を捜し出す(そしりののしる)」こと (新明解国語辞典)
をいう。
なお、「目くじら」の「くじら」とは、もちろん捕鯨の対象となる超大型哺乳類の鯨のことではない。
これは「すまくじら」の略である。

すまくじら?(・_・)?

これまた、一般的には聞きなじみのない言葉かもしれない。
(少なくとも私は知らんかった^m^)
「すまくじら」とは、同辞典によれば「すみっこ」のことを指すらしい。

まあ、「すま」が「すみ」のことを指すのはなんとなく分かるが、じゃあ「くじら」の方はどうよ?(゜o゜)?――て話で。
これもちょいと調べてみると、どうも「くじ」という動詞からの関連性が色濃い言葉のようだ。

くじ」とは、
[指の先や棒などでえぐるようにして]穴をあける (あけたりなどして中のものを取り出す)。(新明解国語辞典)
という意味で、充てられた漢字を見ても「えぐる」に近いし
音だけとっても「穿ほじくる」に近いし、で
そういった意味でイメージはしやすい。

で、その名詞形が「くじら」ということになり、意味としては
「穴をあけられたところ」とか「くぼんだ所」くらいの意味になるのだろうか。

ちなみに、「『「周辺より引っ込んでいて物陰になっているところ』を表すことばで室町時代の言葉」
――という記述をしている記事もいくつか見つかったが(*2)、残念ながらその裏付けウラは取れなかった(*´Д`)💦💦ので、
こちらは参考まで(笑)、というトコに留めておきたい。

なお、青森や新潟方面の方言に、モロに「すまくじら」というものがあり、
これはまさに「物の角の辺」や「隅っこ」のことを指すようなので、そちらの出身の方たちにとっては、ここまで長々と「すまくじら」を調べてるさまは、
「え?今さら?(゜o゜)?」
――な感じに映るかもしれない……^m^💦

*2:脚注2.及び3.を参照。

いずれにしても、「目くじらを立てる」とは、
物理的な動きとしては概ね「目尻を吊り上げること」であり
慣用句的な意味としては、「(鬼の形相で) 他人の不備や欠点をそしること」である。

「目くじらを立てる」なう

……んー
……この「なう」は、確かに目尻は吊り上がってるけど、一緒に口角まで上げちゃってるのがちと余計だったかもねー。
顔全体でトータルしたら怒ってるというより笑ってるに近い表情になってるもんねぇ、これ……( ̄∀ ̄)
「目は口ほどにものを言い」とは言うが、ここでは口の表情の方が勝っているということだろうか。

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

最近はあまり目立ったニュースになっていない気もするが、冒頭画像ネタの問題文にあるとおり、
国際的な環境保護団体グリーンピースや、環境テロ団体とも呼ばれるシーシェパードなどが、目くじらを立ててw日本をはじめとする捕鯨国を非難してきたのは、あれはいつ頃のことだったろうか。

捕鯨に関する問題は、正直とてもデリケートなものを含んでいるので、その是非について軽々に論ずることはできないなぁ……と思うところではある。

が、個人的には、

本当に絶滅の危機に瀕しているのなら捕っちゃいけないし、そうでないなら生態系を崩さない範囲で捕食することは、何の問題もない

基本的にはそう思っている。

ひと口に「鯨」といっても、その種類は多い。
国際捕鯨委員会 (IWC) が保護対象としている大型鯨類だけでも、シロナガスクジラ、ナガスクジラ、マッコウクジラ、ザトウクジラ、ミンククジラ等、13種の鯨類があり、当たり前の話だがその生存個体数もさまざまなはずだ。

中でも一番捕っちゃまずいのは、そりゃもう絶滅危惧種にリストアップされている鯨だろう。

というわけで、国際自然保護連合 (IUCN) がレッドリストとして登録し、警鐘を鳴らしているリストの中に鯨類がどのくらい含まれているのかを調べてみた。

結果から見ると、カテゴリー別(*3)

  • 絶滅危惧ⅠB類 (EN):シロナガスクジラ、セミクジラ、イワシクジラ

  • 絶滅危惧Ⅱ類 (VU):ザトウクジラ、マッコウクジラ、ナガスクジラ(*4)

ということのようだ。
確かに、絶滅の危機に瀕し……そうな鯨類は存在するので、そういった類の鯨類の捕食には注意が必要だと思う。

*3:カテゴリー別:国際自然保護連合 (IUCN) のカテゴリーは、絶滅危機状況に応じ、次のとおり7段階にカテゴライズされている。
1. 絶滅 (EX):すでに絶滅したと考えられる種
2. 野生絶滅 (EW栽培下の・栽培下のみ存続している種
3. 絶滅危惧Ⅰ類 (CR+EN):絶滅の危機に瀕している種
 1. 絶滅危惧ⅠA類 (CR):ごく近い将来に絶滅の危険性が極めて高い種
 2. 絶滅危惧ⅠB類 (EN):ⅠA類ほどではないが、近い将来における絶滅の 危険性が高い種
4. 絶滅危惧Ⅱ類 (VU):絶滅の危機が増大している種
5. 準絶滅危惧 (NT):現時点では絶滅危険度は小さいが、生息条件の変化によっては「絶滅危惧」に移行する可能性のある種
6. 情報不足 (DD):評価するだけの情報が不足している種
7.付属資料「絶滅のおそれのある地域個体群(LP)」:地域的に孤立している個体群で、絶滅のおそれが高いもの

*4:ナガスクジラ:2018年11月の更新版でカテゴリーが「EN」から「VU」へと一段階改善した\(^o^)/🎉

次に、日本で「捕鯨」を行っている鯨はどんな鯨なのか。

外務省のホームページで確認したところ、日本で捕っている鯨は
ミンククジラ (167頭)、ニタリクジラ (187頭)、イワシクジラ (25頭)
ということだった。(( )内は、2023年中の漁獲予定数量)

してみると、
年間25頭を予定しているイワシクジラは、国際的に見てもまだ「近い将来における絶滅の危険性が高い種」なので注意が必要だが、
捕鯨のメインであり、割合的にも大部分 (約93%) を占めるミンククジラとニタリクジラについては、わりと余裕がある――そういうことだろうか。

もちろん、レッドデータに載ってないからと言って、それは絶滅危惧種でないというだけであり、水産資源としてわんさか捕れるほど潤沢かどうかは別問題。

ということで、ミンククジラとニタリクジラの生息数も、やはり確認しておかねばなるまい。

で……調べてみたところ、国際捕鯨委員会によれば
生息域別に大雑把に見ると
まずはミンククジラから――

南半球 約51万頭
北太平洋・オホーツク海 約2.5万頭
北大西洋中部及び北東部 約8.1万頭

合計 61.6万頭

おおっ( ゚Д゚)!……めっちゃおるやんっ!ミンククジラっ🐋🐋🐋

続いてニタリクジラは――

……これが、国際捕鯨委員会調べのデータが見つからなかった(*´Д`)💦💦
多分、オイラの探し方がヘタクソなのだろう……(*_*;シクシク

ただ、参考までに我らが農林水産省のデータを見ると、ニタリクジラの推定頭数は

34,473頭

なのだそうだ。

まあねぇ、ここらへんは、

捕鯨国である日本のデータだから、
きっと水増ししてんぢゃねえの?( ̄∀ ̄)オーン

――なんて穿った見方をされる懸念もある。

が、傍証的なデータとして、
同じ農林水産省調べでのミンククジラの推定頭数が

クロミンククジラ51万5000頭
ミンククジラ25,513頭

と、国際捕鯨委員会データとほぼ一致した数字をはじき出しているところから見ても、わざわざニタリクジラだけ水増ししてるという考え方は可能性として薄っすいかなあ……と^m^

また、例の国際自然保護連合 (IUCN)が分類しているレッドリストでのカテゴリーでは、ミンククジラ、ニタリクジラともに

Least (低危機種)

に分類されていることからも、
とりあえず単純な捕獲数での危機的問題は、今のところさほど顕著ではなさそうに感じるのだが、どうなのだろう(・_・)

もちろん、「捕鯨問題」は日本だけではなく世界全体での捕獲状況と鯨の生息個数との兼ね合いであるのだから、
世界全体での捕獲数も見なければなるまい。

というワケで、世界全体での鯨類の捕獲数データ (2021年分) を調べてみた(*5)

単位は頭 (頭数)
捕獲数の大半はミンククジラである

*5:脚注5.「GLOBAL NOTE」参照。

めっちゃざっくりと見たら、61万頭の鯨に対して捕獲数が約1,500頭。

……んーと……
単純に数字しか見ていないドシロートの私見にすぎないのだが、
これだったら――少なくともミンククジラとニタリクジラについては――

日本の捕鯨に対して、そこまで目くじら🐋w 立てなくてもいいのでは?(・_・)

そんな気もする。

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

捕鯨については、別の視点からも批判されることがある。
それが、

非人道的行為

という視点だ。

以下は、2019年6月に日本が国際捕鯨委員会 (IWC) を正式に脱退し、同7月から商業捕鯨を再開して、捕鯨国と反捕鯨国の対立が改めて浮き彫りになった――
そんな頃の朝日新聞GLOBE+の記事
クジラの話はなぜ、これほどまでにこじれるのか」(脚注6.)
中に掲載されている、ヒューメイン・ソサエティ・インターナショナル代表キティー・ブロックによる、「日本は一頭も殺すな」という意見だ。

キティー・ブロックさん

商業捕鯨には反対だ。市場のためにクジラを殺し、肉や骨を利用する行為そのものが必要ない。非人道的でもある。銛で撃ち、海を引きずり、即死させられない。(米アラスカ州のイヌイットなど)先住民生存捕鯨については、本当に生存のために必要なら反対しないが、文化のために、というのは認められない

調査捕鯨にも反対してきた。日本は「調査」といいながら、その実態は商業目的だった。その意味で、日本が調査捕鯨をやめて商業捕鯨というようになったのは良いことだ。透明性が高まる。

とはいえ、やはり日本はクジラを一頭も殺すべきではない。この現代に、日本にクジラを殺す理由や必然性はない。クジラは繁殖にも時間がかかる。近年は気候変動などの影響も受けている。クジラは守るべき存在だ

牛や豚とどこがちがうのかといわれるが、クジラは何頭生息しているかという実態がつかめない。人道的に殺す方法もない。日本政府は厳格な捕獲枠を算出しているというが、算定の基となるデータが問題だ。100パーセント完璧にクジラを数えることはできない。データが正しくなければ、導き出される数字も正しくない。それに私たちは牛や豚も食べるのを減らすべきだと訴えている

※太字は著者(松平)によるもの

……まあ、反捕鯨国の典型的な意見がギュッと集約されている。
そんな印象を受ける物言いだなあ……と思う( ̄∀ ̄)

さて、ここから先は、あくまでも私個人のきわめて主観的な意見である。
異なる意見をお持ちの方も大いにあっていいと思うし、そこは間違っているぞっ!許せんっ!と目くじら立てたい (笑) 方は、コメント欄を使ってその意見を書き込んでくれてもいい。
いついかなる場合においても、一方的ではなく多角的な視点を持つことは大切なことだからして(o^-')b♪。

まず、

人道的ってなんだろう?

――て話から。
改めて「人道的」を辞書で引いてみると、こうある――

博愛の精神にかない、人間的なあたたかみがある様子だ。(新明解国語辞典)

クジラであろうが、牛であろうが豚であろうが、その命を奪うことは、突き詰めてしまえば、総て非人道的だと言っていい。
食用に供するか否かによらず、「命を奪う」ことには、本来、博愛の精神もないし、人間的なあたたかみなんてものもないのだから。

また、クジラと牛や豚、そこに明確な線引きをするのなら、それは人間の傲慢さに他ならない、そう思う。
――○○は殺していい、○○は守るべき存在だから殺してはいけない――
いやいや、アナタはもしかして神さまにでもなったのですか?(゜o゜)?
それは神さまならぬ人間さまの勝手な選択基準ではないのですか?と。

百歩譲って、絶滅に瀕した種は捕食しとる場合ちゃうやろ、はまだ同意できる部分が多い。
が、上記の通り、少なくとも鯨類すべてがそこまで絶滅に瀕しているようには見受けられないというのが現状だ。
(もちろん、上記に掲げた国際的なデータが噓っぱちだと言われるんなら、そらもう話にならないけどねぇ( ̄∀ ̄))

いずれにせよ、本気でガッチガチに博愛の精神を説くのなら、クジラも牛も豚も、等しく殺してはならない。そう言わにゃいかんでしょ。
私たちは牛や豚も食べるのを減らすべきだと訴えている」
なんて数の問題ではない。「人道的」を論ずるなら、1頭でも殺せば、それは「非人道的」なのだから。
また、ヴィーガンやベジタリアンであってもそれは同じ。
植物だって、クジラや牛や豚と同じ尊い「命」なのだから。

「人道的に殺す方法がない」――
当たり前だ。
そもそも、命の奪い方に「人道的」も「非人道的」もあるかいな……て話だし。あえて言うなら、全部「非人道的」だわ、そんなもん。命を奪ってるんだから。

同氏はその捕獲方法について
「銛で撃ち、海を引きずり、即死させられない」
ことを「非人道的」と断じているが、これはいささか論点がズレている気がする。
傷つき、苦しんでいるさまをいたずらに長引かせ、その過程を楽しんで見ている――とかいうのならまだしも、「クジラを銛で撃って即死させられない」のは、技術的な限界という話だ。別に鯨が苦しんでいるのを楽しみ、その苦痛を長引かせて快感を得ているわけではないんじゃね?――てこと。
「銛で撃ち、即死させられない」という技術的な問題と、残酷極まりない嗜虐性とをごっちゃにしてはいかんでしょ( ̄∀ ̄)――という話でもある。

さて、次は

博愛ってなに?

――という点について。
これまた、改めて辞書を引いてみると、こうある――

[階層・人種・宗教・政体などで区別せず]広い心ですべての人を平等に愛すること。(新明解国語辞典)

ステキな言葉やね(*´▽`*)
私は、この「平等に愛すること」を、ここでは「感謝」と言い換えたい。

大前提として、ヒトは、その対象が動物であれ植物であれ、他の命を奪うことでしか生き永らえない存在だ。
私はキリスト教徒クリスチャンでもなんでもないが、人に「原罪」というものがあるのだとすれば、「アダムとイヴが禁断の知恵の実を食べてもたこと」よりも、「他の命を奪うことでしか生き永らえない」というこのさがこそ、人の「原罪」と呼ぶに相応しい、とさえ思うくらいだ。

だから、

今日を生きぬき、明日を生きるために食した命に対しては、常に敬意と感謝を持たなければならない。

それこそが、唯一、人が「食」に対して取れる「博愛」の態度というものではないだろうか。

なればこそ、我々が明日を生きるために犠牲になった「命」は、決して徒や疎かにしてはいけないし、決して無駄にしてもいけない。

我々日本人には、古来、森羅万象を神と捉える宗教観を持ち、人々の生活を維持してくれる作物や獲物に対して感謝するという習慣がある。

鯨に関しても、然り――だ。

日本各地には、鯨にまつわる神社が幾つもあり、そこでは鯨の骨等、遺骸の一部が御神体として祀られていたり、あるいは捕鯨行為そのものを神事としている神社もある。

積極的に捕鯨に出たものも、ストランディング (*6) したものも、日本人は獲物となったその鯨を供養し、感謝し、敬ってきたという歴史が連綿と続いている。

その肉を食糧として命の糧とするだけではなく、ヒゲや歯は将棋の駒や櫛などに加工したり、文楽の人形のバネとしても使用される。
毛は網となり、筋組織は弓弦などの武具になる。
食用に適さない脂肉は鯨油となって人々の夜を照らし、そのフンさえも龍涎香りゅうぜんこうという香料として珍重される。

そこには、鯨の総てを活用し決して無駄にはしない、という気概さえ感じられるというものだ。

鯨州神社 (岩手県)

*6:ストランディング:本来は海にいるべき生物が岸に打ちあがること。イルカやクジラが生きたまま座礁することを指すことが多い。

私は、日本人として、鯨に対してそんな習慣を持ってきたことをとても誇らしく思う。

そして、そのことすらも「文化」として認めてもらえないのであれば、それは実に哀しい(T_T)

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

ただ、そういう我々日本人も、留意しておかねばならないことがある。

中国や朝鮮半島、東南アジアを始め、世界には「犬食」という文化が今なお現存することをご存じだろうか。

犬食 (食犬とも) とは、文字通り「犬を食べること」。
屠殺方法や調理方法は国や地域によって様々だが、「犬を食べる文化」は世界中に現存するし、世界屈指の犬食国である中国あたりでは、犬肉の年間消費量は2000万頭にも及ぶ。

ペットとして飼われている犬の総数が700万頭を超えるような現代の日本人にとっては、「犬を食べる」などと聞けば

「なんて可哀そうなことをするんだ!」

と激怒する人も多いだろう。
激怒しないまでも思わず眉を顰め、気分が悪くなり、とてもじゃないが牛や豚とは同様には扱えない……そう考える人も多いだろう。

でも、冷静になって考えてほしい。
これって、鯨を食べない欧米人が

「鯨を食べるなんて、なんという野蛮なことを!」

と捕鯨国である日本を非難しているのと同じじゃない?(・_・)?――と。

犬が大好きだから、犬を食べるなんて絶対にいやだ!

個人的にそういう信念を持つのは全然かまわない。
食べなければいいだけのことだ。

だが、
犬を食べるなんて人は野蛮で粗野で話にならない!
犬は我々の大事な家族であり、牛や豚とは違う!
こんな野蛮な風習は断固廃絶させなきゃ!!
――てトコにまで踏み込むのなら、それは断じて間違っていると言わねばならない。

「犬を食べること」も立派な「文化」だから。

我々が習慣として持っていないということだけをもって、他者の文化をとやかく言う資格はないのだし、もちろん、その文化を否定し廃絶させる権利もない。

そして、忘れてはいけない。

犬も牛も豚も同じ命だから。

決してそこに線引きをしてはいけない。
我々は神ではないのだから。(てか、ぶっちゃけ神でもダメやんなぁ(・_・)

昨今世界では、なにかといえばSDGs、SDGsと叫ばれている。
SDGsが標榜する目標の中には、「多様性ダイバーシティ」という観点が多く見られるが、この「多様性ダイバーシティ」って何だろうか。

ヒトという種は、実に様々な文化や価値観を持ってこの地球上に共生している。
とある集団が持つ独自の文化や価値観は、他の集団にとっては理解しがたいものかもしれない。

ただ、その価値観に理解を示すこと
理解できないまでも理解しようと努力し、最終的に理解できなかったとしても、最低限その価値観が存在することを認めること

これこそが、「多様性ダイバーシティ」ってモンぢゃねーの?(・_・)
個人的にはそんな風に思う。

もし、それすらも認められないような狭量な頭ん中なら
SDGsなんて、ちゃんちゃらおかしい絵に描いた餅だ。

SDGsって何かね?

――って言いたくなる( ̄∀ ̄)

ほら、タマ子のおじさんもこない言うてはるわ


◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

――んー……( ̄~ ̄)💦

今宵も、めっちゃダラダラ長尺になってるやん……
しかも、後半、けっこうな🔥炎上案件🔥になりかねないトコに踏み込んじまってるやん……(;^_^A💦

……まあ、いいか^m^←いいのか?

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

今宵の〆の一曲は、天野月子で『

いや、そこは「鯨」ちゃうんかい……(・_・)

……まあ、鮫も鯨も仲間みたいなものやん?^m^?(*7)

*7:鮫も鯨も仲間みたいなものやん:分類学的に見て、鯨と海豚いるかは確かに「仲間みたいなもの」だが、鯨と鮫はさすがに「海に生きてる生物いきもの」くらいの接点しかないぞ……(・_・)
(鯨は哺乳類、鮫は魚類やろ、そもそも)

キーワードが「鯨」ということで、ジュディマリの『くじら12号』にしよか――て一瞬、おもたけど、それも随分と安直やしなぁ……(;^_^A
ということで今回は却下☆

で、この『』。

つっこさん (天野月子) のMVはDVDで持っていたので、荒野のガンマン風の作りの中、最後まで生き残って佇むカッコよい姿が印象として強く残っていた。
その姿が大海原の絶対強者として君臨する鯨の威厳に満ちた姿とイメージが重なった――

という、いささかこじつけめいた選曲理由だったりするのだ^m^

そんな『鮫』、めっちゃアグレッシヴなロックやねぇ( ̄∀ ̄)🎵
変調が多くてサビとかすっげぇ歌いづらいけどw
それゆえに聴き込むとちょとクセになりそな中毒性のある曲。

🎵惜しみなく――聴き込むが良い( ̄o ̄)🎵


そんなこんなで、
明日も、なるべく多くの人が、真の多様性を心に秘め、視野の広い寛容性を備えた、人として誇らしい一日となりますよう✨



■ おまけ

今回の画像しりとり列車 (206両目) の前の車両です。タイトル「モンスターペアレント」と下のネタ画像で、なにこれ?て引っかかりを覚えた方がおられましたら、時間が許すような時にでも、覗いてみてやってください。
ご覧になった方の中から抽選で一名様に、世紀末覇者の闘魂注入ビンタという特典を――ほげえ!( ゚Д゚)!


■ 参考・出典

1.

2.

3.

4.

外務省ホームページ「捕鯨」

5.

6.


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松平雅楽守
こんなダラダラと長ったらしい記事に最後まで目を通していただき、その忍耐強さと博愛の御心にひたすら感謝☆です ありがとうございます ご覧いただけただけで幸甚この上なっしんぐなので サポートは、私なんかではなくぜひぜひ他の優れたnoteクリエイターさんへプリーズ\(^o^)/♪