問題 ――画像しりとりはじめました(#199)
(#198) 苦悶 →「もん」→問題
何が問題って、
よくよく見たら1問目は合ってるんぢゃね?
てトコやな( ̄∀ ̄)
2+(2×5)=12
理数系は壊滅的にアウト👍なワタクシから見ても、この問題に対するのび太くんの回答は正解だと思う。たぶん。←いや、たぶんかい
これで「✖」つけられるのは、ちょっと……ねぇw
しかもこれ、誤答が10問くらい続いた後に……とかいうのなら、
「ついつい勢いで思わず「✖」つけちゃったわ、ごめんごめん💦」
なーんて展開が、むしろ人間くさくて微笑ましくすらあるけど、
いの一番の一問目だからねぇ……
『クイズタイムショック』の定番トリッキー問題
「今、何問目?」
ですら、絶対に出てこないだろう、一問目だもん。
これって、フツーに考えたら
のび太だからどうせ間違ってるやろ
という不当なバイアスがかかっているとしか思えないぞ( ̄∀ ̄)
だからといって、
「ママ、ほらよく見て!1問目はボク合ってるんだよ!
0点ぢゃないんだよっ!」
そう主張してみたところで、
「これが合ってたところで、せいぜい5点ぢゃないのっ!!!」
――て返されたら、ぐうの音も出ぇへんけどね( ̄∀ ̄)
のび太くん、残念🙏
とまれ、この答案を採点した先生にはそれなりに反省してもらわなあきまへんな^m^
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
さて、日本語の「問題」という言葉は、いくつかの異なった意味を持つ言葉であるが、このヘッダ画像でも大きく二つの意味をもってくる。
ひとつは、怒髪天のママさんがのび太くんの眼前に突き付けている答案用紙の「問題」。
あえて国語辞書的にくどくどしく説明すると
「〔実力・知識や理解の程度、また教育の効果などを試す(知る)ために〕解いたりある事柄について述べたりすることを要求する文章(*1)」
より分かりやすく端的に英語で表現するなら「question」と言ってもいい。
そしてもうひとつは、この答案用紙の一問目の誤答のような「問題」。
こちらも、あえて国語辞書的に言えば
「〔解決を求めるために〕取り上げるべき事柄(*2)」
こちらは英語で言うなら「problem」あるいは「trouble」ということになろうか。
そんなまわりくどいイントロから書こうとする今宵の話は、一問目の不当な冤罪wを被ったのび太くんではなく、この私、松平自身にごく最近訪れた後者、「problem」や「trouble」の範疇に属する「問題」の話だったりする。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
事の発端は、恐らくこの記事の前の記事――
「苦悶――画像しりとりはじめました(#198)」
という、どエラい長尺の記事を書いたことが直接の原因だろう。
2022年7月から約半年間、奇跡的に毎日休まず続いていた「画像しりとり」シリーズの記事は、原則的に一日の仕事が終了した21:30~22:00くらい、仕事が早く片付いた時なら20:30くらいから書き始め、日付が変わる 0:00 までには書き終えて投稿、というスタイルを堅守していた。
投稿時限を決めていた理由は、
ひとつにはなまじ完成度の高い(*3)記事を書こうなんて肩ひじ張ってたら、いつまで経っても推敲、推敲、また推敲……でキリがない^m^、
多少自分の中で納得いかない不完全な記事だろうと、とりあえず書くだけ書いて体裁が整ったならば、そのまま投稿しちゃえ♪
――という、いささか雑な心根からである。
そしてもう一つの理由は、より単純に身体的な理由だ。
私の身体は、生まれつき少々めんどくさい病気を抱えている。
中学に入ってすぐ、恐らく成人することは極めて難しいと主治医に死刑宣告され、実際、何度も何度も入退院を繰り返し、死線をくぐりぬけることも両手では数えきれない。
この、あえてカテゴライズすればかなり特殊な部類の膠原病の一種という私の病は、身体全体はもとより、身体の各所の機能にもなかなかに厄介な爆弾をあれこれと仕掛けているのだが――
その一つが「眼」。
これは正確には同義ではないのだが、説明するためにあえて近しいもので比定するなら、私の目は原発性緑内障のそれに近いらしい。
私の眼圧は一般の人の優に3倍強の数値を常にはじき出すくらい高い。
眼圧世界選手権大会というものが開催されるなら、日本代表として胸を張って日の丸を背負い世界と戦ってみせる自信もあるほどに高い。
この目の不具合が日常生活でどんな不都合を齎すかというと、
眼鏡での視力矯正が常にその時代の最先端レベルというどエラい強度近視
慢性的な頭痛と眼の奥から外に向かってぶん殴られているような痛みと吐き気
強い光、特に太陽光にはめっぽう弱く、日中の外出は遮光ゴーグル装着が必須
大きなところではそんな感じだろうか。
それでも人類の技術力というのは大したもので、こんな私でも特注メガネの力により運転免許をもらえるギリギリの視力は確保してくれるし、遮光ゴーグルを装着すれば普通に外出もできる。
頭痛と吐き気は、なにもこの眼由来のものだけではないし、そんなものは慣れと気合でどうにかなる。
――おそらくだが、私は通常の人よりも相当量の脳内麻薬が分泌されているのではないか、マジでそんな風に思ってもいる(o^-')b♪
……またいらん前置きが長くなってしまった💦💦
とにかくそういう事情もあるので、なるべくなら目に対する負担は避けた方がいい。てか、本来避けるべきなのだろう。
そんなわけで、「画像しりとり」シリーズの記事は、午前0時まわる時間を目途に書き終えて投稿、そういうシバリを自らに課していたのだった。
ところが。
例の記事――
「苦悶――画像しりとりはじめました(#198)」
は、このシバリをまるっきりシカトしてしまった。
もともと、この記事を最後に絶筆という、ただの自己満足にすぎない刑を自らに執行するつもりでいたので、これは言わば「最後の記事」。
だったらこの際、リミッターを外して思う存分書き殴るか――
そうしてこの記事は書き上げられたのだった。
記事を書き始めた時間はよく覚えていないが、恐らく通常通りなら21:30前後あたりだと思う。
で、書き終えたのはというと、これがいつものシバリを大きく逸脱した午前3時すぎ――いや、毎日の朝イチ雪かきルーティンのため掛けている目覚ましアラームが鳴ったのは覚えているので、ほぼ4時。
今こうして冷静にふり返ってみれば、
note記事を書き始める前に15分ほど夕食 (*4) を摂っているものの、その前には自分の本来のデスクワークをいつもどおり5時間ほど連続してこなしているので、トータルすればこの日の目の酷使時間は概ね12時間強ということになってしまう。
おおっ( ̄o ̄)💦💦
改めて計算してみると、なかなかに無謀なことをしとるのぅ……
アホみたいに時間をかけてアホみたいに長尺の記事を書き上げた私は、その朝、デスクワークにとりかかる前に3時間ほど睡眠をとることにした。
そして、目を覚ました時に違和感。
眼の奥の方から外へ向けてぶん殴られるような痛みはいつも通り、強いて言えば調子が悪い時の強い痛みだが、今回はそれに加えて何か得体のしれない違和感が目の奥の方で付随していた。
年齢に見合わない徹夜自体の疲労感は三日もすれば通常モードに戻るもの。
だが、右眼に居座った違和感はその後も一向に消えなかった。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
持病の関係上、私は学校や職場にいるよりも長い時間を病院という空間で過ごしてきているわけだが、目についても専門の主治医がいて、何かあればその都度、何かなくても月イチの定期検診を受けている。
それで、3月の定期検診でのこと。
ひととおりの検査を終えた主治医が開口一番
「まーたムリしただろ。眼圧、エラいことになってるぞ。
今度は一体ナニしたんだ?」
呆れたようにそう嘆息された。
「今度は」というのは、言外に今年の1月のことを指しているのだろう。
今年の正月早々のこと、仕事にnoteに大車輪の活躍をしていた我が相棒のPC―通称パソくん―が壊れ💦8年間という過酷な現役生活に終止符を打った。
そして、新たな相棒となるPC―通称パソ子ちゃん―に移行する際、購入時のちょっとした手違いで納期がまるまる1か月もかかってしまう――
という問題が発生したのだ。
(ことの詳細を知りたいという物好きな方はコチラを👇)
PC不在の間も、スマホを使えばnoteは続けられる――
まあ、フツーはそうなのだが、フツーぢゃない私はというと、生体電流がホントに生きてるのかどうかアヤしくなるくらいに微弱で、スマホやタブレットのタッチパネルがまるで反応してくれないのだ💦
そんなわけで、新しい相棒となるパソ子ちゃんが納品されるまでは、残念ながらnoteもいったんお休みやなぁ……
という苦渋の選択決定を、常日頃からお世話になっているnote友の皆さんにお知らせすべく、なかなか反応してくれないスマホと七転八倒の悪戦苦闘して
「事務連絡」
という、まさに事務連絡の記事を書いたのだが、このたかだか約1000字弱 (990字) の記事を打つのに要した時間が――まるまる7時間(^^ゞ💦
果たして、ほぼ半日かけて悪戦苦闘した後に残されたのは、今年の干支にちなんだかのように深紅に充血した右眼 (*5) だった。
――で、それを受けての今回。
どエラく充血したウサギ眼の一月の時よりも数値的にははるかに高い眼圧だったので、普段は割と温厚な主治医もさすがに看過できなかったのだろう。
私が原因と思しき事の経緯を説明すると、苦虫を噛み潰したような主治医の顔が、エヘン虫を大量に飲み下したかのような顔へとその渋さを増した。
「最終的には君の眼なんだから、あまりくどくど言わないけどね。
もういい大人なんだし。
でも、自覚はしてるでしょ。これだけ (眼圧が) 高いんだから。
とにかく、無理はしないこと。いつも言ってるけど。
あと、何かあったらすぐ来なさいよ。めんどくさがらずに。いいね」
まあ、言葉の端々に
「そうは言ってもどうせ無理するんだろう」
そんな諦観めいたものをにじませた主治医の言葉を恐縮しまくりで聞きながら、
それでも、処方された薬や点眼薬がいつものとは違う、というところに自ずと察せられる部分はあった。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
なのに、だ。
翌月、4月の定期検診のこと。
「………………」
主治医の顔がまたもや渋い。
シブい、と書けば、若かりし頃はマダムキラーとして鳴らしていたらしい主治医のダンディな佇まいへの賛辞となろうが、眼前で検査結果に目を落としている彼の顔は、どう考えても『さるかに合戦』のカニがサルにぶつけられた柿の渋さだ。
やはり、検査結果は芳しくない。
前月より下がってはいるものの、なんといっても先月の数値が異常すぎて比較対象とするには無理がある。
点眼薬や薬を変えていることもあり、主治医の思惑的にはもっと下がっていなければおかしい、とのことだった。
ただ、こちらとしても、先月、主治医にくぎを刺されてからの1か月は、決して無理や無茶はしていなかったという自負がある。
あくまで「 (当社比) 」の自負ではあるが……。
そう。
そもそも、「苦悶――画像しりとりはじめました(#198)」を最後にnoteの記事は一切書いていない。
デスクワークメインの仕事も極力セーブしているし、もとより酒もたばこも女も男もやらない、仙人さまのようなクリーン極まりない生活態度の一か月だったのだ。
まぁ、note関係で唯一やっていたことといえば、記事を書くことをやめている代わりに、普段お世話になっているnote友さんたちや、そこから派生して新たに読みたくなるようなnoterさんの記事を思う存分読み、いつものようにコメントを残す――
それだけだ。
――この一か月、どうしていた?
という主治医の問いに、半ば勝ち誇ったようにそう答えた私の説明が、最後の「note記事を読みコメントを残す――」
のあたりで、主治医から「ちょっと待った」コールがかかった。
「その、記事を存分に読む、って、パソコン見て読んでるんだよね?」
当たり前だ。
目をつぶったままnote記事を読めるほど私ゃ人間離れしてはいない。
と、そこで、私もあることに気づいてしまいハッとした。
「……で?
そのコメントとやらを残すときは、ちゃんと例のタッチタイピングしてるんだよね?」
主治医のその一言がさらにダメ押しとなる。
油断していた。
私は普段note記事を書く際、作業の大部分を占めるキーボードからの記事入力については、ちょっと特殊なタッチタイピング (*6) を行っている。
目の負担を軽減させるために、画面を見ず眼をつぶって入力することで目を休めている (*7) のだ。
無論、ある程度入力した後で、入力内容の誤字・脱字チェックや文章の推敲を行うのだが、少なくとも目の立場からすれば、こまめに休み休み使われていることにはなるわけだ。
駄菓子菓子っ!
私がこの一か月間やっていたことは、
むさぼるようにnote友さんたちの記事を読み続け、
鬼のようにコメントを書き込み続けること、だったのだ。
さらに悪いことに、noteのコメント欄は最大500字という制限があるものだから、そのくらいならと高をくくり、コメントについては前々から「通常のタッチタイピング」――即ち、目をつぶることなくPC画面をガン見ながら入力している。
おお、確かにこれでは目が休まる時間なっしんぐやんか💦←いや気づけよ
呆けたように己の愚行を頭の中で反芻している私の表情で察したのだろう、かつてマダムキラーと呼ばれてた白衣の男は、それ以上私に何か尋ねることもなく最後通牒を突きつけてきた。
「分かってるとは思うけど、もうここが限界だと思ってもらうよ。
これ以上、このレベルの数値が続くようなら、
本っっ……当に、ヤバいからねっ!!」
小さな「っ」に込められた間の長さには、
いよいよ本格的にアカン段階に入ってるんやな……
私にそう自覚させるに十分な間力があった。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
話がほんの少しだけ脇道に逸れるが、私は件の長尺記事――「苦悶――画像しりとりはじめました(#198)」の一番最後の最後の方で、人さまに対して、それも良く知りもしない人に対してその尊厳に唾するような汚い言葉を発してしまった。
愚行である。
もういい年齢をした大の大人が、気軽にやって許されるようなことでは到底ない愚行である。
そこで、私は自らに「note記事の絶筆」という罰を課した。
note世界での「服役」といってもいいかもしれない。
服役というからには、そこには当然刑務が存在してしかるべきであり、私は今一度、文章を書く者の原点に立ち返るために3つの刑務を課した。
そんな刑務などただの自己満足にすぎない。
が、それは、文章を書く者としての最低限のマナーすら守れなかった自分がもう一度文章を書くために必要な禊であり、誰もが目にする場に言の葉を表出する心構えの再確認にもなるだろう、そう愚考したのだ。
その3つの刑務のうちの一つが、
noterさんの記事をしっかりと読み、その記事に自分が感じた感想を残し続け、その間一度もブロックされることなく、またそのnoterさんや、その記事を読むだろう人たちに明らかに不快な思いを抱かせない、そんなコメントを1000回行うこと。
だった。
私は下手の横好きで文章を書くことが好きだが、それはnoteの記事に限ったことではない。
noterさんのコメント欄に、記事を読んだ感想やいただいた感動への賛辞、勉強になったことへの感謝、等を書き込むことも、note記事同様、なんなら記事を書くこと以上に好きだったりする^m^
コメントを通してコミュニケーションを図れるのもめっちゃ楽しいしねぇ。
――そんなわけで。
2月中旬の絶筆以降、私はひたすらnote友さんたちの記事を中心に、そのnoteを読み、ひたすらコメントを書き込み続けた。
note友さんが増えるにつれ、読みたいと思えるステキな記事は増える一方。けれど人に与えられた時間というものは有限なので、総てのnote友さんの記事を読むことは到底叶わない。読みに行きたくても泣く泣く不義理になっている部分も多かった。
だから、それまで自分の記事を書いていた時間をフルに使ってnote友さん巡りできるのは、正直とても楽しかった。
自らの愚行を反省し、文章を書くマナーを再研鑽するという「刑務」本来の意味を忘れるくらい楽しかった。←いや、そこ、忘れたら一番アカントコやて💦💦
だが、その結果がこれときたか(・_・)
もともとのダメージに加え、楽しさから没頭したそのまる一か月強が脆弱な右眼に与えた負荷はそこまで大きなものだったんだなぁ……
主治医の厳しい勧告を受け止め、
ウキウキして軽挙に勤しんでいた己を反省し、
こんなドアホウの犠牲になった右眼に心から頭を下げるより他なかった。
4月の検診時点で、この刑務の進捗は70%をちょい越えたあたりだったと記憶している。
なので、そこから先は少しペースを落とし、しっかりと「ブラインドタッチタイピング」態勢でコメントを書き込んだ。
そして、4月19日。
自らに課した3つの刑務の一つ、「相手やそれを見る人に不快な思いをさせないコメントを1000回残す」は無事終了し (*8)、それをもって私はしばらくPC自体から離れることにした。
もう、趣味のnoteどころか、本業のデスクワークに顕著な支障が出るくらい、右眼の状態が悪化したからである。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
結局、5月に入って手術を受けることになった。
この頃にはもう、目を開けていられる時間も日一日と短くなっているし、それに反比例して強烈な頭痛と吐き気を催す時間は日一日と長く、そして強くなっていたからだ。
症状が似てるから対症療法的に緑内障治療のメソッドを用いてはいるが、本来、私の目には確立された治療法などはない。
だから、今回の手術も物理的 (外科的) に眼圧を下げる手術を施すが、これで実際に視力が戻るかどうかは正直わからない。そうも言われた。
ただ、それは以前から言われていたことだったし、ここまでクリティカルにヤバい状態になることも、いつか訪れる必然であったと思っている。
まあ、今回のドアホウな右眼の酷使が病状の進行に拍車をかけた可能性は否定できない (*9) けど^m^
――そして、手術が終わった。
手術後の私の右目の視界は全面まっくろくろすけのブラックアウト状態となった。ありていに言えば失明状態というヤーツだ。
結果としては残念ながら不首尾と言わざるを得ない。
個人的には落胆することはなかった。
いつか来る日がついにきたか、というだけのことだし、左目の視界が完全にホワイトアウトして用をなさなくなってからかれこれもう40年、思えばその時からすでに覚悟はできていたのだから。
逆に右眼だけでよくここまで保ったよなぁwとさえ思う。
そんな、どちらかと言えばサバサバしていた私に比べると、むしろ、執刀してくれたマダムキラー……もとい、眼科の主治医の方が落胆の度合いが大きかったようだ。
私の目が見えなくなっていると知ると、大きく肩を落とした。まあ、実際に肩を落としている様子は私には見えていないのだが、大きく落胆している雰囲気だけはひしひしと感じられる。
「いやあ、先生。これはしゃあない、しゃあない。
それに先生はベストを尽くしてくれたんやろ? だったら、それでいいよ。
もともと良くて五分五分やったんやし。なら、たまたま裏が出ただけやん。それだけ。
いろいろありがとね、先生」
だが、マダムキラー (しつこい) は、なおも食い下がる。
「いや、手術自体は成功してるはずなんだよ」
そう。
実は、右眼の眼圧自体は下がっているのだ。
無論、もともとの眼圧が世界眼圧選手権日本代表レベルなので、一般諸氏に比べたらはるかに高いのだが、「当社比」でいけば、むしろ調子のいい部類の数値ですらある。
実際、手術前数日間感じていた、眼の奥からビリヤードのキューでブレイクショットを連発されてるようなどエラい痛み自体は、既にかなり収まっていた。
ただ単に目が見えない、それだけなのだ。
もうこうなってしまうと、ブラックアウトの原因は視神経レベルの話になるんだろうなぁ……( ̄~ ̄)💦
なすすべもないまま、結局、そういう見解に落ち着いたのだった。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
物理的に眼球にメスを入れているため、結果は別として術後数日間は絶対安静&宴会謝絶 (*10) の日々が続いた。
本来なら、失明の原因を探るべく脳神経外科にコンサルとってそちらの病棟に移る手はずだったのだが、手術後しばらく高熱が出ていたため、それが落ち着くまではとりあえず眼科でステイという形に。
高熱が一週間程度で少し落ち着いた頃、白衣のマダムキラー (もうめんどくさいからこのままでいくw) が、私の右眼に対して温熱パックや軽いストレッチ的なことを始めた。
眼科にいる間、せめて何かできないか、
おそらくそんな風に思ってくれてたのかと思う。ぶっちゃけ、視神経系統のトラブルが原因なら、こういった物理的アプローチってあんまし意味無いよなぁ……(笑)
とも思ったが、こうして何かしようとしてくれる気持ちが嬉しかったし、めちゃくちゃありがたくもあったので、唯々諾々と指示に従いその「治療」を受けた。
まぁ、こんなんで視力が戻ったら世話ないけどね^m^――
世話ないはずだった。
が、その「治療」を始めて数日後の朝、右目の視界がほんのわずかだが回復したのだ。
回復したと言っても、視界の大部分はブラックアウトしたまま欠損しているのだが、なんというか、カーテンを閉め切った真っ暗闇の部屋からちょっとだけ、ひょっこりはんか市原悦子が覗き込むのような感じで、少しだけ開けた……みたいなイメージだろうか←いや、かえってわかりづれーわ💦
「先生」
「んー、どした?」
「……なんか、ちょっと見えるわ(笑)」
朝イチで問診に来たマダムキラーにボソッとそう呟くと、ごくごく狭い視界に映る初老のダンディのキョトン顔が、ゆっくりと笑顔に変わっていくのが見えた。
ああ、久しぶりだけど、
「見える」って、なんかいいな(笑)
陳腐な表現だが、それ以外の感想が出てこない。
その日の午後になって改めて視野検査が行われた。
結果はお世辞にも良いとは言えなかったし、正直、日常生活にもけっこう支障をきたす心配もあるような数値ではあった。
が、たとえ限られた範囲だろうと、全く見えないのとちょっとでも見えるのとでは雲泥の差だ。
自分的には大満足だった。
その後、良い意味で想定外の効果が出たものだから(≧▽≦)、マダムキラーの温熱マッサージ&ストレッチ作戦は、しばらく継続された。
もともとの持病特有の高熱がちょくちょく出るので毎日というわけにはいかなかったが、それなりの効果はあったのではなかろうか。
定期的に行われた検査では、
あまり調子のよくない時はぶっちゃけほとんど見えてないやんけ💢💦💦てレベルだが、
調子のよい時は、入院前の数値にけっこう近いくらいの見え方もしている(*11) からだ。
結局のところ、今回の入院期間は実に4か月以上の長丁場となってしまった。
もともと予定されていた脳神経外科でのMRI検査も行ったし、この際だから……と内臓関係もひととおり内科で検査した。
ものはついでだから……と循環器、
ここまでやったらもうやらない方が気持ち悪いよね……と耳鼻科領域、
――と、ありとあらゆる部門の検査や治療を行った。
ここまでくると、ただの人間ドック長期強化合宿バージョンである。
もともとこの病気の患部は身体全域なのだし、考えてみれば20歳までは生存不能と太鼓判を押されたポンコツが、何の冗談か四捨五入すれば赤いちゃんちゃんこを着させられるような年齢になっているのだ。
本来、特に具合が悪くなくても最低、年に一度や二度くらいはこのくらいしなきゃダメなんだぞ、
行く先々の科でそう釘を刺された。
つくづく私は生かされているんだな
改めてそう実感した。
眼科のU先生 (白衣のマダムキラー)をはじめ
いつもお世話になっている各科の先生方
看護師さんに薬剤師さん、その他病院に携わっているスタッフの皆さん、
この場をお借りして、心から、心から御礼申し上げますm(__)m
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
――んー?
いかん、
全くオチがないぞ!( ゚Д゚)
……こんな、問題の根本原因「苦悶――画像しりとりはじめました(#198)」とさほど変わらないくらい長尺の駄文をダラダラ、ダラダラと書き殴っておいて、
さしたるオチもないんかいっ!
この記事のピークは、オープニングの
「のび太のヒサンな答案とうっかり採点ミスに対する重箱の隅ツンツン」
(なんか、こんな風に書くと『一休さん』のサブタイトルみたいやな^m^)
ここだというんかいっっ!
えーと
……こんなとりとめもない長尺の駄文を最後まで目を通してしまわれた方へ、苦行としか言えないその労苦に多大なる感謝を申し上げるとともに、
その努力がおそらく何の実りもない徒労に終わっただろうことに心からお詫び申し上げますm(__)m
この次は、もう少しはマトモに笑えるネタにしたいと思います。
……できれば。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
今宵の〆の一曲は、THE BEATLESで『LET IT BE』。
フッ……noteの世界に戻ってきての最初の曲にしては、チープなくらいエラくスタンダードなナンバーやないかい( ̄o ̄)💦
まあ、なんだ、今の自分の心境が一番よく表現できるのはこの曲だろうなぁ
そう思ったので、ここはあえてひねらずストレートに、この名曲を。
「なるようになるさ」
てか
「なるようにしかならんもん」^m^
今まで以上にそう思い、思いを新たにして
与えられた貴重な一日一日を自分なりに大切に過ごしていきたいと思う。
気負わずに。
なるように。
そんなこんなで
明日も、なるべく多くの人が
大小人それぞれ様々に直面した問題もあろうかと思われますが、そういったそれぞれの諸問題にも笑顔で向き合っていける、そんな勇敢な一日でありますよう🍀
■ おまけ
今回の画像しりとり列車 (199両目) の前の車両です。タイトル「苦悶」と下のネタ画像で、なにこれ?て引っかかりを覚えた方がおられましたら、時間が許すような時にでも、覗いてみてやってください。
(いや、これはあまりに長すぎるから、やっぱ覗かない方がいいかもなぁ……)