蝉の泣く頃にもう一度。
それは突然だった。致死率約85%の病。
余命宣告を受けた。
何もかもが真っ暗になった。
学生時代は"元気なうちに死にたい"なんて軽々しく口にしていたけれど、
年齢に伴い責任と守る物の数が増え、自分自身の命の大切さを知った。
それを知らしめてくれた彼女がいた。
彼女とは結婚まで見据えていた付き合いだった。
仕事で疲れ果てても彼女が待っている。ただそれだけで日々を生きる活力になっていた。
最後まで彼女を幸せに出来ない自分が憎い。
二人で家庭を持てていたらどんな幸せが待っていたんだろうか。
子供の名前は?
一緒に住む家は戸建てがいい?それともマンションにする?
最期まで彼女の隣に居られない事が、
こんなにも虚しいなんて。
最後の我儘。
僕の事なんて忘れて君には幸せになって欲しい。
だから今日
彼女に別れを告げて、
『大事な話って何?
まさか別れるとか言い出すの?』
冗談みたいにおどけて言う彼女。
その笑顔に一段と心が苦しくなった。
「⋯そのまさかだよ。」
『⋯はっ?
信じられないだけど。』
「ごめん、別れたいんだ」
『なんでっ…!!
あんなにも好きだって言ってくれたのは嘘だった?』
「⋯」
『記念日も。この前行った旅行も私は幸せだった。
もうすぐ一緒に住みたいって話もしたよね。
○○は私とだと幸せじゃないの?
…ねえ?どうにか言えよっ……』
「幸せだったよ。ちゃんとね。
でも、もう美羽とは居られないんだ。」
『っ、ちっ……私は許さないから
⋯⋯あんたと一緒に幸せになりたかった。』
「ごめん」
『あんたじゃなきゃ駄目だった。』
「⋯」
『⋯○○は違うんだね。もういい。
二度と会わない。……っ。』
ああ。そっか。
この前僕がディナーをご馳走したから、
"次は私が払うね。"なんて話をしてくれたよね。
だからか君は、
こんな時まで律儀に会計の伝票を持って出て行くんだ。
⋯二度と会わない。か。
確かにそうかもしれないなと思いつつ、冷えきった珈琲を口にした。
水っぽくて不味かった。
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悔しくて仕方なかった。
"大切な話がある"と彼から連絡を貰い、私は完全に浮かれていた。
遂に一緒に住むのかな?
毎日大好きな彼と一緒に。
時間を共に出来るのかな。
そう思っていた少し前の私を殴ってやりたい。
私の何が駄目だったの。
人よりちょっと重い所?
ご飯はいつもこれがいいって我儘を言ってた所?
彼は付き合う前からずっと私の事を優先してくれていた。自分の希望よりも。
それに甘え過ぎていたのかな、彼の前だけは我儘な、でも素直な私でいれた。
頭の中が何故。どうして。あの時こうしておけば良かったのかな。で埋め尽くされる。
もう戻る事は無いのに後悔ばっかりがグルグルと頭の中で。
『痛っ……』
俯いていて、前なんて見ていなかった私は向こうから歩いて来た男の人に衝突し、ふらつく。
涙声を出すのは恥ずかしくて、頭だけを下げて駅へと走ろうとしたその時、
"美羽?"
と一言。呼び止められた。
こんな泣いてる顔の私を呼び止めないでよ。
袖で涙を拭い、顔を上げるとそこには
十数年ぶりの再会が待っていた。
『⋯なんでこんなタイミングで』
「なんでってそっちが呼んだんじゃん。」
『は?そんな訳っ⋯』
「なんか嫌な事あったでしょ。
鼻声だし、服の袖握ってる手。震えてる。」
一番指摘されたくなかった事を指摘され、目の前の男に苛立ちすら覚える。
幼馴染兼元カレの△△に。
地元ではずっと一緒にいた。恋仲になったのも自然な事だった。
けれど、
彼が後輩の女の子と親しげにしている所を私は見てしまった。手まで繋いで。
彼からは必死に釈明されたが、幼稚だった私はそんな話など一切頭に入って来ず、昔からの関係をきっぱりと絶ってしまった。
そのまま私は進学と同時に一人暮らしを始め、地元を飛び出した。
もう彼と関わる事なんて無い。
そう思っていたのに。
そもそも私が呼んだって何の事?
今すぐにでもこの場を去りたい気持ちと彼が何故そんな事を言っているかが衝突し合い、
結局私は、彼の話を聞くことにしたのだった。
「だから、親から連絡が来てこの時間にここで。って美羽のお母さんが。」
『私はそんな事してない。履歴見る?』
「⋯見なくてもいい。嘘じゃなさそうだし。
でもあんな所で泣いてたのは何?」
『⋯っ、フラれた。』
「美羽が一回で理由言ってくれるなんてやけに素直。」
『そっちから聞いたんだから話ぐらい聞け…っ。』
涙を堪えながら今日あった一連の事を話した。
それでも最中、彼との思い出がふと頭に投影される。
っはあ…悔しいな。
雫が溢れることは止まらなかった。
目の前の彼はそんな私の震える手を、
そっと上から暖かい手で覆い被せてくれる。
「辛いな。ずっと。」
『⋯うん。』
「そのさ…
今日は手違いだったかもしれないけどまた会ってくれない?」
『っ…私そんな簡単に乗り換える程甘くない。』
「幼馴染にそんなの期待してないっつうの。」
『ふっ、一応元カレの癖に。』
「あの時は本当に⋯」
『もういいって。私も△△の話聞かなかったし。』
それから私は寂しさを埋めるかのように彼と毎週のように顔を合わせる事にした。
一緒に地元に帰ったり、彼の手料理を食べさせてくれたり。
あの時の話をちゃんと聞いてみれば、△△が無理やり後輩に言い寄られていて、それを私が勘違いしていた事も知った。
それでもどこか頭の片隅には○○がいて。
半年の間に何度か連絡を取ろうとしたけれど、返事はおろか既読すらも付かなかった。
"⋯⋯"
『今日はどこ行くの。』
「うーん、内緒。」
週末。私はいつものように彼と顔を合わせる。
今日の彼はどこか神妙な顔付きをしていて。
手を引かれ、彼の運転する車に揺られる事。
小一時間。
着いた場所に私は何も理解出来ず、ただ茫然とした。
知っているよりもずっと虚ろげで弱々しくて、
身体中には蜘蛛の糸みたいに管がまとわりついていて。
あの日最後に見た彼ではない、彼がいた。
起こっている状況が飲み込めず、声が出せない。
それでも私は病床に佇む彼の。○○の元へ震える足を運んだ。
"なんで来るかなぁ……っ…"
私を見て呆れ笑いをする彼は紛れも無く痩せ細っていて、
知りたくも信じたくも無かった私に呆気なく現実を突きつけた。
"死ぬまでは、内緒にして下さいって
約束したじゃないですか……△△さん…"
「⋯約束、守れずに申し訳ないです…」
私越しにか弱い声で話す彼と△△は、知らない所で結託していたみたいで。
刺さった針の痕が痛々しい身体を抱き締めながら、
私は声にならない嗚咽を響かせた。
彼があと僅かの命だという事。
私に寂しい思いをさせたくないから亡くなる前に別れを切り出したという事。
死ぬまで内緒にするという約束で、信用出来ると思った△△を私と引き合わせた事。
隠されていた全てを私は知った。
『⋯勝手に逃げようとすんなよ…っ…』
"ごめんっ…"
『知らない間に死んで何が"美羽には幸せになってほしい" だよ…っ…』
『最後まで私の事ばっかり…』
『もっと頼れよっ……』
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"ねえ暑いよ〜"
"後で好きなジュース買ってあげるから着いてこれる?"
"むぅ……行く!"
あれから。
私達が見舞いに行ってから○○は懸命に生きた。
たった半年。
その半年すら長く生きただけでも驚異的だったと医者には告げられた。
多分、私は亡くなる前に彼と会えなかったら、
全てを憎んでいたと思う。
神様も。運命も。自分すらも。
私の隣にいてくれる△△と、
娘も。
いなかったはず。
今年も彼のお墓に手を合わせる。
ねえ、○○。あんたのこと許してないよ。
でも、ずーっと愛してる。
end.
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