自分のあり方を問う。その先に。
(前編)自分のあり方を問う☟
「余白」をつくりたい。
大人たちが生き生きと人生を楽しんで生きるにはどうしたらいいんだろう。。。
そんな問いに対し、こどもたちの身近な大人(家族や先生)たちにこそ、休息や余白がまずは必要なのでは、と思うようになってきました。
休息や余白があることで、自分以外の他者にも気持ちを向ける余裕が生まれてくる。
本当は手を伸ばしたかったことに時間やエネルギーをかけることができるのでは、と思ったのです。
でも、この「休む」や「余白をつくる」がなかなか難しい。
わたし自身、苦手。
休むことに、なんともいえない罪悪感というか申し訳なさのようなきもちが湧いてくる。
(これはなぜなんだろう?)
そして、気づけばスケジュールが埋まっていく。。。
(でも、その選択をしているのはわたし。)
コーディネーターの仕事は、わたしにとってとてもやりがいがあって、好きなことや興味と重なるところが多い。
でも、好きだからこそ、際限なく、エネルギーと時間をかけてしまう。
そうする中で、「働く」とのバランスを取ることの難しさを感じるようになってきていました。
自分と「働く」の心地いいバランスとは?を探る中で、自分を大切にすることやセルフケアにも関心が広がっていきました。
その中で、「キャリアブレイク」という考え方に出会いました。
長い人生の中で、立ち止まる時間があってもいい。
休職や退職することに不安の声も多いかと思いますが、(特に次が決まってないときには。)
でも、離れることで見えるもの・気づけるもの、湧いてくるものがあるのでは、とも思うのです。
これがわたしには必要だ!と、代わりに言語化してもらったように思いました。
しばらくキャリアブレイクして、学んだり、旅をしたり、自分のずっとやりたいと思いながらもできてなかった想いを叶えてみたり、とことん休んでみよう。と。
これも長い目でみると、きっとおもしろい生き方になるはず。
自分の生き方を通して実験してみたいと思ったのです。
北欧やヨーロッパ諸国では、キャリアブレイクのように「余白」をとることが文化や社会の中にあるように感じます。
(だからこそ、それを体感し、学びにいきたい気持ちもある。)
「休む」や「余白をつくる」は社会的なシステムづくりも必要だと感じますが、それよりも人の意識を変えていく(そういうのもありだよね!という空気をつくり、共有していく)ことの方が、時間もエネルギーもかかるように思います。
そこで、わたしは、
①オトナが学びたいことを学びたい時に学べる学びの場をつくること
②多様な選択ができるような生き方を肯定・受容できる余白づくり(環境や文化をつくる)
この2つを進めていくことで、自分自身も含めた大人がしあわせであれるような社会や世界をつくることを、これから考えていきたいと思っています。
「しあわせ」の価値観はひとそれぞれだし、
こうなったらしあわせ、というものも一つではなくなってきている今。
だからこそ、わたしは自分が好きだなぁ、いいなぁ、しあわせだなぁと思うものを大切にし、自分を満たしていくことからはじめたいと思っています。
そして、自分を満たした先に生まれた余白や余裕で、自分から手を広げてつながれる範囲のひとたちのしあわせを願い、そのために自分ができることに心と時間を尽くしたい。
それは、まさに、わたしが大切にしていることば「半径5mのしあわせ」の輪を広げていくことなのだと思います。
ちいさくても、ひとりひとりが自分と自分から半径5mの人たちをしあわせにしていければ、それは大きな波紋となって広がっていくのでは、と思っています。
わたしは知らないことを知ったり、いろんな価値観に触れて、自己と他者を行き来しながら、考えることが好きです。
それから、情報収集をしたり、自分の好きやいいなをおすそ分けすることも好き。
興味のアンテナが広く高いことも今となってはわたしの一部だなぁと思います。
そうやって、自分を知っていく中で、自分がどんなときに幸せを感じるかとか、自分のことを満たす方法(ご機嫌でいる方法)を学んだし、生きやすくなってきました。
今の自分が好きだなぁと思えるようになってきたように思います。
だからこそ、「自分を知ること」そして、「他者とともに学び合う、学び続ける」ことに人生をかけて取り組んでみたい、と、思います。
フォルケホイスコーレとの出会い
学校・学び=こどもたちのためのものというイメージがある方が多いのではないかと思うのですが、
わたし自身は「学ぶ姿勢はいくつになっても必要なのでは。」と感じています。
こどもたちと学ぶ中で、たくさん「初めて」知ることがありました。
大人だって全部知っているわけではない。
だから、「教える」ではなく、ともに一緒に学び、悩み、考える「学び続けるオトナ」でありたいと、わたしは思ったのでした。
また、去年から大学生インターンのメンバーと授業を一緒に設計する中で、彼女たちから学ぶことも多く、もっと実践だけではなく、理論もじっくり学びたいと思うようになりました。
コロナになって、オンラインで学べる環境も増えてきて、周りでも仕事をしながら通信やオンライン、大学院で学ぶ方もおられて、こういう形もあるんだ!と思いながらも、私は不器用なので、きっと中途半端になって、どこかで息切れしてしまうだろうなとも思ったり。
学ぶことだけに集中して、時間とエネルギーをかけてみたいきもちもありました。
興味関心が広く、なんでもやってみたい!知りたい!ところがあり、自分が学びたいことがなんなのかが明確ではないことが決め手に欠けていました。
それでも、「学びたい!」欲はどんどん増すばかりでした。
そんなときに出会ったのが「フォルケホイスコーレ」。
自分が学びたいことを、いろいろ試しながらじっくり自分に向き合う余白。
まさに求めていたものが、このフォルケホイスコーレにはあるように感じました。
そうやって、わたしの中でこれまで得てきた学びや考えが混ざりあって、じわじわと自分の中に染みて積み重なっていくなかで、大人の在り方や、大人の学び直し、大人のための学びに興味関心が高まり、もっとこういう場や文化が日本にも増えていったらいいなと思うようになりました。
そんなタイミングで誘ってもらったのが「つわのホイスコーレ」立ち上げでした。
そして、立ち上げに関わる中で、やっぱり自分の目で見て学んで感じてきたいとおもうようになりました。
今回の学び直しの旅の一つに、デンマークの「フォルケホイスコーレ」が入ったのは、ここにあります。
自分の内に矢印を向ける。
あるとき、このラジオを聞いて、またハッとした部分がありました。
そうか。
わたしは今、自分の内に矢印を向けたいと思っていたのか。
ついつい、外にばかり向けていた矢印。
いつのまにか自分のきもちに蓋をしたり、置いてけぼりにしてしまうことも多くなっていました。
そうやって、自分を大切にせず、自分との約束を守らなかったことで、自分の気持ちがわからなくなっていきました。
慢性的にきもちが疲れている、そんな状態。
このコロナ禍の中で、移動が制限され、旅もできず、帰省もできず、終わりが見えない霧の中にいるようなきもちになったこともありました。
「いつか…」と思っていたことが、突然、叶えられなくなる日がやってくること。
会いたいひとには会いたいと思った時に会いに行かねばならない。
行きたいと思ったところには行きたい時にいっておかない。
と、心から感じました。
「今、一番叶えたいことってなんだろう?」
そう、自分に問いかけた時に「学びにいきたい!」という想いが浮かんできたのです。
また、シゴトを考える日。の講座の中で
Greenzの植原さんから
「トランジション」の話がでてきました。
(このシゴトを考える日。では、いろんな問いをもらいながら、自分にたっぷり向き合うことができるいい時間を過ごしています。あったかいひとたちと学びあえるのもとてもいい。)
まさに、今、わたしは「トランジション」を迎えています。
終えることで、次に向けた充電をしていくような感覚に近いのかなと、お話を聞いてすごくしっくりきました。
そうやって、小さなきもちのピースがひとつ、またひとつと私のもとに集まってきて、今日の選択にいたっています。
正直、自分で選択しておきながら、新たな世界に一歩踏み出すのは、不安も大きいです。
たくさんのやさしさと愛をいただいた津和野での4年間。
いろんな方に支えてもらい、今日まで歩いてくることができました。
感謝してもしきれません。
ここで過ごした4年間があったからこそ、わたしはいろいろなことに気づくことができ、また学び直したい!という気持ちが湧きあがってきたのだと思います。
いつか、このまちに、そしてお世話になったみなさんに何かしらの形でいただいたやさしさや愛を還元していきたい。
もっと貢献できるようになりたい。
そのために私は学びにいくのだと思います。
このまちを離れることへの寂しさも、せっかくご縁あってつながれたみなさんともっといろいろ企みたいなというきもちも、いろんなきもちがごちゃまぜな今です。
一度、この町を、そしてこの仕事を離れますが、またいつか、どこかで、ご一緒できることがあれば、うれしいなと心から思っています。
そして、今回、このnoteに綴った想いもまだうまく自分のことばになりきっていない感じがしているので、これを読んでくださった方と、いろいろお話ししてみたいなというきもちもあります。
よければぜひおつきあいいただけるとうれしいです。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
これからもわたしの学びの旅はつづいていきます。
変化していくことを恐れず、
しなやかに。やわらかく。
2023.02.23.