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自分のあり方を問う。その先に。

(前編)自分のあり方を問う☟



「余白」をつくりたい。

大人たちが生き生きと人生を楽しんで生きるにはどうしたらいいんだろう。。。

そんな問いに対し、こどもたちの身近な大人(家族や先生)たちにこそ、休息や余白がまずは必要なのでは、と思うようになってきました。

休息や余白があることで、自分以外の他者にも気持ちを向ける余裕が生まれてくる。
本当は手を伸ばしたかったことに時間やエネルギーをかけることができるのでは、と思ったのです。

でも、この「休む」や「余白をつくる」がなかなか難しい。
わたし自身、苦手。
休むことに、なんともいえない罪悪感というか申し訳なさのようなきもちが湧いてくる。
(これはなぜなんだろう?)
そして、気づけばスケジュールが埋まっていく。。。
(でも、その選択をしているのはわたし。)

本は心をうつす鏡。
休むことに罪悪感を感じることはありません。自分が休むのだから、他の人だって当然休める。
1人が勇気を出してニクセンすれば、それは巡り巡ってみんなが鋭気を養えることになるでしょう。
週末はNiksen/山本直子
他人の目や、他人の都合を優先しすぎず、自分軸を持って行動をしなければ、わたしたちはいつまでも自分を大切にできません。そして、疲れてヘトヘトな自分は他人を思いやる余裕はありません。自分が十分にニクセンして、充実した日々を送ってこそ、他人も大切にすることができるのではないでしょうか。
週末はNiksen/山本直子

コーディネーターの仕事は、わたしにとってとてもやりがいがあって、好きなことや興味と重なるところが多い。
でも、好きだからこそ、際限なく、エネルギーと時間をかけてしまう。
そうする中で、「働く」とのバランスを取ることの難しさを感じるようになってきていました。

仕事が中心の生活ではなく、己が中心の生活に変わった。「仕事がないと生きていけない」ではなく、「仕事って楽しい」「でもなるべくサボって遊んでいたい」という性格に変わった。私は、「働く男」から「働きたくない男」になった。

休んでいても不安を感じない。焦らない。むしろめっちゃ休みたい。
今の自分がいるのは以前の自分のおかげであり、彼が殻を破ってやろうと必死になって戦ったからこそ、脱皮した自分がのほほんと暮らしていけている。そう思うようになった。
「働く男」/星野源


自分と「働く」の心地いいバランスとは?
を探る中で、自分を大切にすることやセルフケアにも関心が広がっていきました。

その中で、「キャリアブレイク」という考え方に出会いました。

キャリアブレイクとは、一時的に離職・休職し、働くことから少し離れてみることを指します。ヨーロッパではすでに社会に根づいていて、数カ月から数年の休職後に同じポジションで会社に戻れる制度も一部企業で導入されています。

離職しているあいだキャリアが止まるというわけではなく、その期間にさまざまな経験をしたり自分のキャリアを考え直したりすることで、「無職というキャリアを歩んでいる」状態だと僕は捉えています。
北野さんインタビューより(以下リンク)

長い人生の中で、立ち止まる時間があってもいい。
休職や退職することに不安の声も多いかと思いますが、(特に次が決まってないときには。)
でも、離れることで見えるもの・気づけるもの、湧いてくるものがあるのでは、とも思うのです。

これがわたしには必要だ!と、代わりに言語化してもらったように思いました。

しばらくキャリアブレイクして、学んだり、旅をしたり、自分のずっとやりたいと思いながらもできてなかった想いを叶えてみたり、とことん休んでみよう。と。
これも長い目でみると、きっとおもしろい生き方になるはず。
自分の生き方を通して実験してみたいと思ったのです。

このマンガもドラマも良かった。
まさに、「ひめ、お暇いただきます」
というきもち。
いろんな本やマンガや映画、ドラマに
代わりに言語化してもらってるなぁー。

北欧やヨーロッパ諸国では、キャリアブレイクのように「余白」をとることが文化や社会の中にあるように感じます。
(だからこそ、それを体感し、学びにいきたい気持ちもある。)

「休む」や「余白をつくる」は社会的なシステムづくりも必要だと感じますが、それよりも人の意識を変えていく(そういうのもありだよね!という空気をつくり、共有していく)ことの方が、時間もエネルギーもかかるように思います。

そこで、わたしは、

①オトナが学びたいことを学びたい時に学べる学びの場をつくること

②多様な選択ができるような生き方を肯定・受容できる余白づくり(環境や文化をつくる)

この2つを進めていくことで、自分自身も含めた大人がしあわせであれるような社会や世界をつくることを、これから考えていきたいと思っています。

つわのホイスコーレもまさに
わたしがやりたいこと。
じっくりゆっくり
自分の内に矢印を向け、
湧いてきた想いを語り、聴き合う。
ともに学び合う仲間ができたことが
うれしい。
ももさんとはじめた「じぶん観測」
じぶんという星をしっかり見つめる
(観測する)ための「書く」時間。


「しあわせ」の価値観はひとそれぞれだし、
こうなったらしあわせ、というものも一つではなくなってきている今。

だからこそ、わたしは自分が好きだなぁ、いいなぁ、しあわせだなぁと思うものを大切にし、自分を満たしていくことからはじめたいと思っています。

そして、自分を満たした先に生まれた余白や余裕で、自分から手を広げてつながれる範囲のひとたちのしあわせを願い、そのために自分ができることに心と時間を尽くしたい。

それは、まさに、わたしが大切にしていることば「半径5mのしあわせ」の輪を広げていくことなのだと思います。

ちいさくても、ひとりひとりが自分と自分から半径5mの人たちをしあわせにしていければ、それは大きな波紋となって広がっていくのでは、と思っています。

わたしは知らないことを知ったり、いろんな価値観に触れて、自己と他者を行き来しながら、考えることが好きです。
それから、情報収集をしたり、自分の好きやいいなをおすそ分けすることも好き。
興味のアンテナが広く高いことも今となってはわたしの一部だなぁと思います。
そうやって、自分を知っていく中で、自分がどんなときに幸せを感じるかとか、自分のことを満たす方法(ご機嫌でいる方法)を学んだし、生きやすくなってきました。
今の自分が好きだなぁと思えるようになってきたように思います。

だからこそ、「自分を知ること」そして、「他者とともに学び合う、学び続ける」ことに人生をかけて取り組んでみたい、と、思います。


フォルケホイスコーレとの出会い

学校・学び=こどもたちのためのものというイメージがある方が多いのではないかと思うのですが、
わたし自身は「学ぶ姿勢はいくつになっても必要なのでは。」と感じています。

こどもたちと学ぶ中で、たくさん「初めて」知ることがありました。
大人だって全部知っているわけではない。
だから、「教える」ではなく、ともに一緒に学び、悩み、考える「学び続けるオトナ」でありたいと、わたしは思ったのでした。

また、去年から大学生インターンのメンバーと授業を一緒に設計する中で、彼女たちから学ぶことも多く、もっと実践だけではなく、理論もじっくり学びたいと思うようになりました。

コロナになって、オンラインで学べる環境も増えてきて、周りでも仕事をしながら通信やオンライン、大学院で学ぶ方もおられて、こういう形もあるんだ!と思いながらも、私は不器用なので、きっと中途半端になって、どこかで息切れしてしまうだろうなとも思ったり。
学ぶことだけに集中して、時間とエネルギーをかけてみたいきもちもありました。

興味関心が広く、なんでもやってみたい!知りたい!ところがあり、自分が学びたいことがなんなのかが明確ではないことが決め手に欠けていました。

それでも、「学びたい!」欲はどんどん増すばかりでした。

そんなときに出会ったのが「フォルケホイスコーレ」。

(一部抜粋)…本当に興味のあることが何なのかを探したい人や、職種を変更し新しいことにチャレンジしたい人がフォルケホイスコーレに入学し、自分が学びたい教科を好きに選択して納得できるまで学びます。人生のどんな場面においても、自分を見つけ出すために人々が向かう場所がフォルケホイスコーレなのです。
IFAS ホームページより

自分が学びたいことを、いろいろ試しながらじっくり自分に向き合う余白

まさに求めていたものが、このフォルケホイスコーレにはあるように感じました。

そうやって、わたしの中でこれまで得てきた学びや考えが混ざりあって、じわじわと自分の中に染みて積み重なっていくなかで、大人の在り方や、大人の学び直し、大人のための学びに興味関心が高まり、もっとこういう場や文化が日本にも増えていったらいいなと思うようになりました。

そんなタイミングで誘ってもらったのが「つわのホイスコーレ」立ち上げでした。

そして、立ち上げに関わる中で、やっぱり自分の目で見て学んで感じてきたいとおもうようになりました。

今回の学び直しの旅の一つに、デンマークの「フォルケホイスコーレ」が入ったのは、ここにあります。


自分の内に矢印を向ける。

あるとき、このラジオを聞いて、またハッとした部分がありました。

そうか。
わたしは今、自分の内に矢印を向けたいと思っていたのか。

ついつい、外にばかり向けていた矢印。
いつのまにか自分のきもちに蓋をしたり、置いてけぼりにしてしまうことも多くなっていました。

そうやって、自分を大切にせず、自分との約束を守らなかったことで、自分の気持ちがわからなくなっていきました。

慢性的にきもちが疲れている、そんな状態。

そんなときに出会い、
支えとなったものの一つが
「じぶんジカン」でした。
じぶんジカンの松岡さんは著書で
「自分との約束を守り、
自分との信頼関係を築く」
という話もされています。
これがわたしにはなかったんだなぁ〜と
すごく納得した。
そりゃ、自分のきもちが
わからなくなるわけだ。



このコロナ禍の中で、移動が制限され、旅もできず、帰省もできず、終わりが見えない霧の中にいるようなきもちになったこともありました。

「いつか…」と思っていたことが、突然、叶えられなくなる日がやってくること。

会いたいひとには会いたいと思った時に会いに行かねばならない。
行きたいと思ったところには行きたい時にいっておかない。
と、心から感じました。

潜在意識下にあったことを爆発させ、表に引っ張り出す。そんな性質をもっているパンデミックだな、とわたしは見ています。
「立ち止まって考える」/ヤマザキマリ
テルマエロマエで
知られるヤマザキマリさん。
コロナになり、イタリアに戻れず
日本に留まってみたことで見えてきたもの。
時代や社会や国によって
捉え方や考え方は変わる。
世界は広い。
ちがいをおもしろがれるっていい。
夢を叶えることの
ワクワクや楽しさを思い出させてくれた
大好きなエッセイ。


「今、一番叶えたいことってなんだろう?」
そう、自分に問いかけた時に「学びにいきたい!」という想いが浮かんできたのです。

また、シゴトを考える日。の講座の中で
Greenzの植原さんから
「トランジション」の話がでてきました。

人生とは、失恋、結婚、転職、死別、昇進、引越しなど、転機(トランジション)の連続です。その転機一体どうすればうまく乗り越えられるのでしょうか。
本書では人生の転機「トランジション」を「終わり」→「ニュートラルゾーン」→「始まり」の3つに分け、人生の転機をどう乗り切るかを解説しています。
あらゆる状況には「終わり」があります。「終わり」と次の新たな「始まり」の間の期間、「ニュートラルゾーン」に突入すると、これまで自分が置かれていた環境や立場がなくなり、自分自身が何者であるのかも分かでらなくなり、将来も見えなくなり、ぬけがらのようになってしまうのです。ニュートラルゾーンはこれまでの自分が失われ、先も見えない、とても苦しい時期です。

著者はこう述べています。
「人は跳び上がる前に、かがまねばならないのだ。このような旅はまた、たった一人で行くしかない。」

「ニュートラルゾーン」では、急いで抜け出そうとして焦って行動を起こすのではなく、「終わり」を受け止め、空虚感や喪失感をしっかりと味わい、真摯に自分と向き合うことこそが、転機を活かし新たな「始まり」を迎えるために必要なことなのです。
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(このシゴトを考える日。では、いろんな問いをもらいながら、自分にたっぷり向き合うことができるいい時間を過ごしています。あったかいひとたちと学びあえるのもとてもいい。)

まさに、今、わたしは「トランジション」を迎えています。
終えることで、次に向けた充電をしていくような感覚に近いのかなと、お話を聞いてすごくしっくりきました。


そうやって、小さなきもちのピースがひとつ、またひとつと私のもとに集まってきて、今日の選択にいたっています。

正直、自分で選択しておきながら、新たな世界に一歩踏み出すのは、不安も大きいです。

たくさんのやさしさと愛をいただいた津和野での4年間。

いろんな方に支えてもらい、今日まで歩いてくることができました。
感謝してもしきれません。

ここで過ごした4年間があったからこそ、わたしはいろいろなことに気づくことができ、また学び直したい!という気持ちが湧きあがってきたのだと思います。

いつか、このまちに、そしてお世話になったみなさんに何かしらの形でいただいたやさしさや愛を還元していきたい。
もっと貢献できるようになりたい。

そのために私は学びにいくのだと思います。

このまちを離れることへの寂しさも、せっかくご縁あってつながれたみなさんともっといろいろ企みたいなというきもちも、いろんなきもちがごちゃまぜな今です。

一度、この町を、そしてこの仕事を離れますが、またいつか、どこかで、ご一緒できることがあれば、うれしいなと心から思っています。

そして、今回、このnoteに綴った想いもまだうまく自分のことばになりきっていない感じがしているので、これを読んでくださった方と、いろいろお話ししてみたいなというきもちもあります。

よければぜひおつきあいいただけるとうれしいです。

最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

これからもわたしの学びの旅はつづいていきます。
変化していくことを恐れず、
しなやかに。やわらかく。

人にはいろんな人生があるんだから、どんな生き方を選んでもいいんだよなってこと。

その飛距離が出る場所から離れて、散歩に出掛けて、「わたしの人生これでいいのかな」と考える時間があってもいいような気がするんです。前に進まない時間があってもいい。休むことも、考えることも、誠実に生きることだと思います。人生をずっと順調に、軽やかに渡っていく人よりは、寄り道したり、止まったり、休んだりする季節を経験した人の方が、より高くジャンプできたり、人の気持ちがわかったり、想像力が豊かになったりするんじゃないかな。
私は、「大丈夫、そういうときがあってもいいんだよ」と自分で自分に言い聞かせます。そうじゃないと、すぐ焦っちゃうんで。そして、そのタイミングが来た、と思ったら、また動き出せばいいと思っています。
わたしたちが27歳だったころ/ 北川悦吏子
いつか、27歳の自分をふりかえったとき、
わたしはどんな思いを綴るのだろう。


Honestly, life happens no matter where you are or what you do. Any choice is the right one. Just make sure that when you’re old and grey you don’t regret the things you didn’t do.

Life is a story.
make it one that like you to read.

2023.02.23.



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