![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/33903574/rectangle_large_type_2_bb31ca1081d42225f197bbf17a4832cf.jpg?width=1200)
妖怪猫又、現る!(其の弐)
「遅くなってごめんなさい!」
僕はみんながいる場所に戻ると、慌てて渡辺さんに茶碗と薬を差し出した。
「悪いね、すぐに用意してくれてありがとうよ」
渡辺さんはひと息に薬を飲み干した。汗をぬぐう。変な感じがしたんだ。僕はさっきまで、あの化け猫とやり合っていたんだ。だけど今、すぐに用意してくれてありがとうって言っていなかったか?
「泣かないで。そう座り込まないでおくれ」
奥さんが子どもたちをなだめている。子どもたちは怖がってしまって、どうにも一人では動けなくなっていた。僕は、ぼんやりする頭をぶんぶん振って気を取り直した。
「僕の背中においで。もう一人は僕のお腹」
僕は子どもたちを自分のほうに引き寄せると、一人は背負って、もう一人は腹に抱えて、奥さんから借りた腰紐で縛った。
「ほら。こうすれば両手が使えるから、いざというときは刀も抜ける。さあ、みんなで逃げましょう!」
とにかく今は生き延びなくては。杉垣根を刀で切り破り、僕らは名主の石井さんの屋敷へと向かった。
![画像1](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/33904021/picture_pc_ae9465c2f87aad86134f8cac65cb6434.jpg?width=1200)
(石井さんは、浪人たちから金を奪われていないだろうか)
僕の心臓は、心配でおかしくなりそうだった。雨で目の前が曇る。真冬の風が頬を突き刺す。張り詰めた気持ちは、最悪な想像をどんどん膨らませた。
「あっ!」
僕は身構えた。背中とお腹の子どもたちも、驚いて僕にしがみつく。
「どうした、政立」
「あそこに猫が……?」
石井さんの屋敷の門まで来たところで、僕はまたあいつを見たんだ。
「なんだい猫か。驚かすなよ。石井さんの猫だろう」
「石井さんの猫は確か白猫です。僕が今見たのは三毛猫。こう、手ぬぐいほっかむりをして……」
「もう!何を言っているの!」
奥さんが僕の肩をゆすった。僕は子どもたちを背中とお腹に抱えているものだから、ぐらぐらとしてしまって、足を踏ん張らないと転んでしまいそうだった。
「政立、石井さんのところでちょっと休ませてもらおう」
僕の疲れた様子に気づいてか、渡辺さんが言った。
「そ、そうですね。小休憩させてもらいましょう」
僕は確かにあいつを見たんだ。入口の前で、手ぬぐいほっかむりをして、キセルを吹かしてミャッと鳴いているあいつを。
「ここのところ、勤王浪士だという奴らが強盗に入ることは聞いていましたよ。まさかここにまで来るとは……」
石井さんのところには、浪人たちはまだ来ていなかった。石井さんは、バタバタと荷物をまとめながら早口で喋った。
「発砲があって、それから陣屋のあちこちで煙が上がっていました」
背中とお腹に抱えていた子どもをようやく下ろして、僕は背筋を伸ばした。
「これから父上のところに行きます。石井さん、特に金目の物は隠しておいてください。奴ら金品を奪って軍資金にするつもりなんだ。ここを悲惨な有様にしたくない」
僕はいつも剣道でしているように、ゆっくり呼吸をして気持ちを落ち着けた。怖い。本当はすごく怖い。だけど犬死だけはしたくない。
「おい」
ふいに袴を引っ張られた。
「なんだ……うわっ!!」
やっぱりあいつだ!
「出たな!化け猫!」
今度こそ斬り捨てようと、僕は抜刀するため身構えた。猫は僕のほうを見ていなかった。そいつの視線の先を見ると、おかしいんだ。僕が大声をあげて、今にも刀を抜こうとしているのに、石井さんも、渡辺さんも、渡辺さんの奥さんも、誰ひとりとして僕のことに気づいていないんだ。渡辺さんは石井さんと話をしている。奥さんは子どもたちを抱えて泣いている。どういうわけだと思って猫を振り返ると、猫はハンッと鼻で笑って見せた。
「まあ聞きな」
ゆっくりと二本足で立ちあがる。キセルを畳にポイッと捨てた。不思議なことに、捨てたはずのキセルは、空中で音もなく消えたんだ。
「薩摩の浪人だろう」
「な、なんだと」
「俺はあいつらが野宿しているところを見たぜ。寺にも放火していた」
そして猫は僕の目をじっと見つめた。気味が悪いはずなのに、どこか信頼できるような気持ちにもなる不思議な奴だった。こいつに見つめられると、なぜだか心を見透かされたような気がするんだ。
「ほ、本当か?」
僕はゆっくり確かめるように尋ねた。
「ああ、そうよ。公方様が朝廷に政権を返上したところで、幕府は依然として大きな領地と軍事力を持っているんだ。そこでだ。浪人共があちこちで騒乱を起こせば、公方様だって援軍をやらないわけにはいかないだろう。軍備に金をかけるし、人も手薄になるからな」
「そんなっ……!援軍は必要だ。薩摩の奴らめ!」
僕はこれが時代なのだと、痛切に感じとった。
「ハンッ。嫌いだ嫌いだ、そんな奴らは新撰組にでも行ってしまえってか」
猫はくねくねと身体を揺らしながら、踊るように歩き出した。ちなみにこの辺りでは、今のように新撰組に好感を持っている人なんかいないんだ。ごろつきの集まりだし、ぶらぶら遊んでいたり、博打に夢中だったり、酒に現を抜かすような奴らは、こいつが言うように「新撰組に行ってしまえばいい」って言われていたよ。だから、新撰組が甲州で惨敗したときは「行きは大名、帰りは乞食」なんて語り伝えられて……。あっ、これは秘密ね。
「怖や怖や。このころ公方様は、幕府を立て直すためにって、ふらんすから陸軍士官を呼んで軍隊の大改革だ!兵士に合図を出すときは、それは美しい音楽を奏でるんだ。ああ~うっとり」
「何だかお前が喋ると時が経つ感覚がおかしくなるな。今だって僕らとみんなの時がおかしいんだ。ふらんすから陸軍士官って、お前は時を操ってあちこちを彷徨っているのか?」
「彷徨っているだなんて!」
猫は手元にぽうっとキセルを出現させた。煙を吐き出すとこう言った。
「俺は特別な猫又。神出鬼没の妖怪だよ」
![画像2](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/33904397/picture_pc_7f723cffa00450508c646535ac2d2a7f.jpg?width=1200)
9月連載スタート・毎週金曜日 更新/幕末時代物語『天翔る少年』妖怪猫又に導かれゆく
いいなと思ったら応援しよう!
![なかむら詩子](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/137111898/profile_a739752b660570bb399f59c823cc5b45.png?width=600&crop=1:1,smart)