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ゴールデンカムイ読者的新潟観光①~新発田~

 2022年4月28日から全国を巡回していた「連載完結記念 ゴールデンカムイ展」もついに新潟会場でファイナル

 完結が名残惜しくて京都2回、札幌1回、函館1回と計4回も観覧済みでしたが、これで最後かと思うとあまりにも寂しすぎる……! それに新潟県鶴見中尉の長岡、月島軍曹の佐渡、宇佐美上等兵の新発田という、主要キャラクターの出生地が三か所も密集している聖地。たとえ何も公式イベントがなくともいつかは訪問しようと思っていました。これはもう、今行くしかない!!


1.ルート

①新潟→②新発田→③新津→④新潟→⑤両津→⑥宿根木→⑦相川

 あまり日程が取れなかったため巡る場所は厳選しました。一日目に新発田と新津を観光し、二日目に佐渡を観光して帰ります。この記事では新発田しばたの思い出を綴ります。

2.タイムスケジュール

08:00頃 「新潟」駅でJRに乗車する。
09:00頃 「新発田」駅で下車する。
09:00-10:00頃 【蔵春閣】
10:00-12:00頃 【白壁兵舎広報史料館】
12:00-13:00頃 【清水園・足軽長屋】
13:30頃 「新発田」駅でJRに乗車する。

新発田の滞在時間は4時間半くらいです。

3.蔵春閣ぞうしゅんかく

 新発田駅前の一等地にある蔵春閣ぞうしゅんかく

蔵春閣|しばた町めぐり

 この記事をお読みのゴールデンカムイ読者のなかには「えっ? どこそこ。知らん……」となっている方も多そうな気がします。こちらは新発田生まれの明治の実業家・大倉喜八郎おおくらきはちろうが1912年(明治45)に東京の向島、墨田川沿いに建てた広大な別邸の一部を新発田に移築してきて、2023年4月29日に開館したばかりの建物です。 

大倉喜八郎さん。ダンディ~!

 名前を聞いてピンときた方もいるかもしれません。そう、この方は……

 サッポロビール帝国ホテルの設立を手掛けたまさにその人。

サッポロビール博物館🍻

 まさか設立から20年後に地元・新発田出身の若者がサッポロビール工場の周辺であんなことをするなんて、夢にも思わなかったことでしょう🐘

玄関を上がってすぐのロビー。
階段室入口のアーチが特徴的ですが、床の寄木張りもエグい。

 迎賓館として使われ、伊藤博文いとうひろぶみ渋沢栄一しぶさわえいいちも訪れたのだそう。一方、ゴールデンカムイ最終話で杉元たちが東京の榎本武揚えのもとたけあきを訪ねたのは明治41年の秋。その屋敷があったのも東京都墨田区でした。

今はマンションが建っていて側に立札だけあります。

 大倉喜八郎の向島別邸と榎本武揚の居宅は徒歩5分の距離。

こちらも今はマンションが建っています。

 杉元たちの人生とすれ違うこともあったかもしれない。そんなロマンが蔵春閣にはあるのです。

1階の食堂1。
現在はガイダンスルームになっていて、居間っぽい雰囲気があります。
奥の竹の板絵は酒井抱一さかいほういつと言われているそう。
1階食堂に隣接の書斎。
天井の墨絵は谷文晁たにぶんちょう筆と言われているそう。
窓辺の螺鈿細工の戸棚は張作霖ちょうさくりんからの贈答品とのこと。
中央右の鳥の襖絵は狩野山楽かのうさんらくの筆と言われているそう。

 建材すべてが江戸時代の最高芸術品でできているみたいなゴージャスな建物でした。ちなみに新発田に来る前は千葉で中華料理屋として活用されていた歴史もあるらしいです。

だから襖が油除けのビニールコーディングでつやつやしている。
(さりげなく錺金具が葵の御紋なんよ……)

 1階だけでもう満腹なのですが、蔵春閣は2階大広間がメインです。

2階上がってすぐの広縁。床が大理石のモザイクタイルでできている。
(廊下がこんな贅沢なことある??)

 右側の窓から隅田川を眺めながら食後の喫茶を楽しんだり、左側の大広間を舞台にして広縁からそれを鑑賞したりしたのだそうです。

広縁から大広間を見た図。窓からは山から昇る月も見えたのだそう🎑

 いやあ、蔵春閣、あっぱれな建物でした。見学可能日と時間が細かくスケジュールされているので事前に新発田市ホームページで入念な確認が必要です。

椅子の置き方の発想がゴールデンカムイの土方歳三みたいでちょっと嬉しい。

4.徒歩で新発田の街を散策

 大倉喜八郎さんとお別れし、白壁兵舎広報史料館しらかべへいしゃこうほうしりょうかん(新発田観光のド本命)を目指します。30分弱かかりますが徒歩にしました(なかなか楽しそうな道だったので)。

①諏訪神社

 蔵春閣の向かい側にある諏訪神社。城下町・新発田の総鎮守だったそうです。

宇佐美も詣でたかもしれないと妄想💭

②新発田警察署&裁判所

 新発田市の庁舎が立ち並ぶ一角にある警察署裁判所。明治26年(1893)、もしも少しだけ運命が違っていたら、宇佐美少年はこちらのご厄介になっていたのかもしれない……。

新発田警察署。明治10年誕生だそうです。
新潟地方裁判所新発田支部・新潟家庭裁判所新発田支部・新発田簡易裁判所

③アーケード街

 新発田の駅前には長いアーケード街が続いているんですが、豪雪地帯らしさが感じられてとても良い(蔵春閣も新発田に移築するにあたって雪対策が施されたそうです)。

積雪の重みに耐えられるよう屋根も分厚い感じがする⛄
シャッター街になってしまってはいるけれど、
そのシャッターではずっと祭りが続いているのがおもしろい🏮
良い顔(^ヮ^)
ワッショイ!ワッショイ!👘
ウワアアアアア!

5.白壁兵舎広報史料館しらかべへいしゃこうほうしりょうかん

 宇佐美少年にあったかも知れない未来を思い描きつつ新発田城址方面へと歩いていくと……

あの白壁は……!
出た~~~!

 白壁兵舎広報史料館しらかべへいしゃこうほうしりょうかん!!

 広い!!

すごい奥行!
この奥行きが後もう1セットある!!
さらに1階にも展示コーナーが控えているだと……!?

 お噂はかねがね伺っておりましたが、充実の展示ぶり。体感としては京都国立博物館くらいの広さ。滞在時間を2時間しか確保してこなかったけれど、はたして全部まわれるのか!?

①新発田城時代コーナー

新発田藩初代藩主・溝口秀勝みぞぐちひでかつ

 新潟県といえば上杉謙信というイメージがありますが、新発田は室町時代、その上杉氏に仕えていた新発田氏が統治していた土地なのだそう。新発田氏は上杉氏に謀反を起こすものの返り討ちにあい、代わりに豊臣秀吉の時代に溝口秀勝みぞぐちひでかつが入封して、新発田藩初代藩主となったそうです。

溝口家の家紋は新発田市章にもなっています(真ん中の五階菱)。
こちらのコーナーは窓から新発田城が見えます
(手前は陸自のゴツいトラック)。

②白壁兵舎コーナー

 白壁兵舎は明治7年(1874)建築現存する兵舎として国内最古と言われているそうです。元々はお隣の新発田駐屯地のなかにありましたが、平成に入ってから解体されてこちらに移築されたのだとか。

師団の前身である鎮台の時代に建てられた貴重な建物です。
日本の棟梁がフランス式の設計で建てたため、日本の伝統家屋みたいな梁の上にフランスの工場みたいなトラスが載った特徴的な小屋組になっている。

 ちなみに愛知県明治村にある歩兵第六聯隊兵舎は明治6年(1873)建築で白壁兵舎より1年古いですが、移築の際に3分の2に縮小されているため当時そのままの姿ではありません。

明治村にある歩兵第六聯隊兵舎。
2020年にはゴールデンカムイとコラボもしていました。

③日本陸軍コーナー1

 白壁兵舎が歩兵第十六聯隊兵舎となった明治17年(1884年)頃が中心の展示です。

2代目聯隊長は長谷川さん。
鶴見中尉「新潟にはよくある名字だ」

 印象深かったのは新発田中学(現在の新発田高校)を主席で卒業し後に陸軍大将にもなった今村均いまむらひとしさん関連の展示。

こちらに写っているのは一部。全部でこの3倍くらいあります。

 今村さんは明治19年(1886)生まれ明治40年(1907)に少尉。つまり鯉登少尉と同じ履歴です。

鯉登少尉もこんな写真を撮ったかもしれない📸
昭和31年に全日本銃剣同連盟の初代会長に就任されました。
鯉登少尉もそんな人生を送ったのかもしれない。

 明治36年(杉元の入隊年)に使用されていたと思わしき歩兵第16聯隊の教範もおもしろかった。

第一師団でも同じものを使っていそう。

④⑤⑥⑦日本陸軍コーナー2&3

 ここからは歴史の流れに沿って歩兵第十六聯隊が参加した具体的な作戦の推移が語られます。まさに自衛隊の史料館って感じですね。

日露戦争についてもゴールデンカムイではピックアップされなかったところまで詳細に経過を知ることができます。

 ですが私が最も胸を打たれたのはその片隅にひっそり展示されていた明治37年の結婚願

「結婚願」
 明治期に軍人が結婚するためには様々な制約がありました
 「陸軍武官結婚条例」にて、士官の結婚には軍の許可が必要であり将官は天皇の勅許を仰ぎ、准士官以上は陸軍大臣の許可を得る必要がありました。他にも様々なことが条例で定められていてかなり厳しい内容でした。
 展示品については軍に提出するための結婚願の申請書です。

 そんな決まりがあったのか……! 月島は「駆け落ちしよう」と言っていますから、こんな書面を書く気はなかったってことでしょうか?(それとも兵卒には特に決まりはない?)

他には杉元より新しい時代の飯盒背嚢なども。
後述しますが歩兵第十六聯隊は南方のラバウルでも戦っています。
終戦時に白壁兵舎を使用していた歩兵第116聯隊のコーナー。

⑧昭和コーナー

 ここだけ家庭のほっこりコーナー。

米・カツ・酒という新潟らしいちゃぶ台。

⑨復元室

 白壁兵舎の内務班の様子が復元されています。

この配置、見覚えがある!
明治村のこの配置と同じだ!
当時の写真もたくさんあります。

⑩日本陸軍コーナー4

 突き当りにある広々したスペース。

「ゴールデンカムイで見たことある!」がたくさん見つかるコーナーでした。

 これで2階の常設展的エリアはすべて見終わったので、次に企画展示コーナーへ回ります。

日本陸軍コーナー4の出入口から反対側の企画展示コーナーを目指す図。
この奥行きの深さ!

〇企画展示コーナー

 ここでは「落成150周年 白壁兵舎10周年特別企画展─白壁兵舎のあゆみ─」が2024年4月2日~6月30日まで開催中でした。

新発田が経験した日清戦争の記録にはやはり注目してしまいますね。
歩兵第十六聯隊日清戦争当時の写真。

 日本陸軍コーナー1で印象的だった今村均さん、実は終戦時、ラバウル陸海共同作戦の第八方面軍司令官でした。陸の司令官が今村さんである一方、海の司令官は山本五十六やまもといそろくさん(新潟県長岡出身)。

「ラバウルにおける山本五十六連合艦隊司令長官と今村均第八方面軍司令官の談話」

今村中将「(略)それから東京で耳にしたことですがガ島でもニューギニアでも非常に飢餓に陥っているとのことですが食糧補給のことはどうなっているのでしょう」
山本大将「これも敵の航空戦力の防碍で補給線がやられ、なかなか届けられないのだ。(略)」

 どちらも新潟県のご出身だというのもそうだったのかという感じですが、司令官同士がラバウルで合流して早々に食糧事情の悪化を議題にしていることに当時の事態の深刻さを感じました。4月に東京・遊就館の特別展兵食を見にいったのですが、そちらでも南方は早くから飢餓に苦しんだことが触れられていました。
 ゴールデンカムイの杉元が好きな私は、「鬼太郎誕生ゲゲゲの謎」水木も大好きです。でも第一師団が日露戦争で二〇三高地に至るまでどのような戦いをしたのかはあまり多くを語られるのを見ないように、ガダルカナル島の海の戦いは語られても南方ラバウルの陸の戦いはあまり大きく取り上げられているのを見ません(遊就館の常設展も……)。なのに白壁兵舎さんはこんなにしっかり解説してくださっているのかと深い感慨を覚えました。

白壁兵舎に並べて貼ってあったポスター。

⑫⑬自衛隊コーナー1&2

 ここまで読んでくださった方のなかには「この人、随分しっかり見てまわったんだなあ」と思っている方もいるかもしれません。そのとおりです。完全に時間オーバーです。1階でいろいろ確認したかったこともあったのですが、泣く泣く白壁兵舎を後にします。

信号機が写り込んでいるこういうカットのほうが規模感が伝わるかもしれない
(白壁兵舎が大きすぎてヘリが小さく見える)🚁

 あーっ!  #例のレジ横 も見逃した!😭

6.清水園しみずえん足軽長屋あしがるながや

 どうしても見ておきたい場所があともう一箇所ありました。それは清水園しみずえん足軽長屋あしがるながや

右が清水園で左が足軽長屋です。

 清水園は元禄6年(1693)に新発田藩主の別邸に築庭された池泉回遊式大名庭園です。

立派な書院。
まるで刀剣乱舞の本丸。
ゴリゴリの名園です(国指定名勝)。

 庭や書院が最高なのは言わずもがなですが、今回の訪問の一番の目的はその敷地内にある蔵の資料館でした。

酒蔵として文政9年築、米蔵として明治43年移築。

 一万俵を収納できる巨大な米蔵で、中には3つの資料館(新発田藩史料館・堀部安兵衛伝承館・清水谷蔵資料館)が入っています。なぜこちらに来たかったかというと、新潟市歴史博物館みなとぴあが休館中だったから。でも新潟で新潟の歴史が語られているのを見たかった。こちらの史料館ならばちょうど宇佐美少年が生まれ育った時代の新発田の歴史を知ることができる!

新発田藩史料館の入口。いざ!
うおおおお!かっこいい吹き抜け!
展示の中心は農村の暮らしというより旧新発田藩主・溝口家明治の実業家・大倉家でした。
明治40年頃の溝口家の人々の肖像。
二人はズッ友だったみたいです。

 清水園にはアーケード街で描かれていた祭りで使われる台輪だいわの実物の展示もありました。

台輪展示館。右のシャッターからしまわれた台輪が左の窓から見れるようになってます。

「台輪と諏訪祭礼」
(略)元禄五年(一六九二)「町方より灯篭を諏訪神社前に飾るよう達示」が祭礼の最初だと云われております。(略)意気盛んな若い衆により曳出される光景は正に祭の華であり、ぶっつけ合うところから、喧嘩台輪とも云われております。(略)

宇佐美も曳き回したかもしれない。

 もう時間が全然ありませんが、足軽長屋(国指定重要文化財)も見逃せません。

藩政時代に足軽が居住した長屋。
よく手入れされていて保存状態も良い!
生活に必要な最小限の空間でできているこの感じ、「北海島開拓の村」の屯田兵屋や、 
「博物館網走監獄」の職員官舎を思い出してしまう。

 新発田の街、本当はもっとじっくり見て周りたかったのですが、何が何でも13:23発の電車に乗らなければなりません

https://www.jreast-timetable.jp/2407/timetable/tt0803/0803020p.html
乗り遅れたらおわり。

まっすぐ行って右に曲がったら新発田駅。
あばよ!

7.まとめ

 実際に新発田を観光してみて感じたのが、思ってたよりも農村じゃない(むしろ城下町の薫りが濃い)。「ここまで歩いて二時間はかかるんでねえか?」と鶴見中尉が言っているので、宇佐美の実家新発田の外れのほうにある農村なのかもなと想像しました。新発田の領民は藩主をたいへん慕っていたそうで(明治維新後も旧藩主の家紋を市章に採用しているくらいだし)、宇佐美は家庭だけでなく地元にも恵まれて育ったのでしょうね。

清水園内の掲示物。
新発田の藩政は270年間ずっと安定していたみたいですね。
減税はしたけど増税はしなかった……ってコト!?
新発田はカエルにも優しい🐸

 歩いて2時間というとこのあたりかな……と車窓の田んぼを眺めつつ新津にいつへと向かいます。

ここで新潟のおいしいお米が育ってるんだなあ🍚

 新津観光は別記事で綴ります✍️


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