うたかたの日々

うたかたの日々

最近の記事

命より大切なこと

叔父が熱中症で亡くなった。叔母のお墓の前で。 父から電話で知らされた私は、ちょっとパニックになった。 なんで?  叔父は病気で入院しているはずだった。 よくよく聞いてみると、叔父は自分が入院しているせいで、叔母のお墓の掃除ができていないことをすごく気にしていたらしい。 退院したらすぐにでも行きたい、と周りにもらしていた。 真夏のお墓掃除は若い人でも危険だから、もっと涼しくなってから行くようにと、散々注意されていた。 退院の翌日。 近所の人が、お墓でうつ伏せに倒れている叔

    • ポケットにプリン

      私の母は認知症のため、実家近くの施設に入っている。父は毎日母の顔を見に行っていた。 「今日は機嫌がよかった」 「ずっと眠そうだった」 たまに実家に顔を出すと、父は私にそう教えてくれた。 母が認知症と診断されて数年が経つ。最初の頃は、忘れっぽい母に苛立ちを感じながらも普通に会話ができていた。が、今では、娘である私のことなど忘れてしまっていた。父のことはわかるのだろうか、それさえ私には疑問だった。 父は昭和1桁生まれの頑固な性格で、母がこんな状態になるまで、料理や洗濯など一切

      • 言葉はなくても

        今年の夏、88歳の義父は舌癌が再発し、1カ月余り入院した。最初にガンが見つかった数年前、舌の何分の一かを切除していたので、言葉を発するのが少し不自由になっていた。聞き取れない時は、わかるまで何回も聞き直してほしい、本人のためだから、と義母に言われていた。が、それにも限度があり、2、3回聞き直してもわからない時は、適当な相槌を打って諦めていた。ただ、義母をはじめ孫たち(つまり私の子どもたち)は、この訓練(?)のおかげで、義父の言うことはほぼ理解できるようになっていた。 最初の

        • 夫が遺した通帳

          捨てられない貯金通帳がある。約20年前に他界した、几帳面で真面目で優しかった夫の通帳。まるで日記のように、一緒に暮らし始めたあの頃を思い出させてくれた。 ******** 結婚当初、専業主婦の私と5歳年下の夫は、シングルインカムで慎ましく暮らしていた。最初は夫から生活費を受け取っていたが、いつのまにか夫のキャッシュカードはちゃっかり私の財布に収まっていた。 夫にはお小遣いとして月々3万円を手渡し、かつ飲み会とか突発の出費にはその都度現金を渡していた。だから夫はお金のこと

          ティファニーで還暦を 〜KANREKI at Tiffany's

          還暦を迎えた。 ただ59歳から60歳になっただけなのに、一気に「おばあちゃん感」が漂ってきた。 実際、今まで還暦を祝った実家&義実家の両親は、赤いちゃんちゃんこが似合うおじいちゃん&おばあちゃんだった。 ついに私もそんな歳になってしまったのだ。 思い起こせば20数年前、義実家の両親への還暦祝いに海外旅行をプレゼントした。夫の提案だった。海外旅行が死ぬほど嫌いな夫にしては珍しい提案だった。 結婚して間もないころの夫の高くない給料と、おまけに浪費癖のある専業主婦だった私たち夫婦

          ティファニーで還暦を 〜KANREKI at Tiffany's

          ちゃんと出来た?

          「ちゃんと出来た?」 今までに何回、いや何万回、口にしただろう。 「今日、さんすうのテストがあった〜」 「あら。ちゃんと出来たん?」 「うん!」 「ちゃんと出来た?」は子どもとの会話において相槌のようなもの。もちろん「ちゃんと」出来たかどうか、結果の問題ではない。会話を続ける接続詞のようなものだ。 これは息子が大学生になり、一人暮らしを始めた今でもよく使う。 「バイトの面接があった」 「ちゃんと出来たん?」 「サークルのライブでソロやった」 「ちゃんと出来たん?」

          ちゃんと出来た?

          夢で逢えたら

          他人の夢の話を聞かされる時間ほど無駄なものはない。たとえ自分がその夢に登場していたとしても、所詮他人の夢の中のこと。大いに盛っているかもしれないし、ウケ狙いで創作しているかもしれない。とにかく夢の話を聞かせたがる意味がわからない。 「昨日、夢でね、」と話しかけられたときの絶望感。 やっと聞き終わったときの疲労感。 感想を期待する相手の眼差しの威圧感。 「そ、そうなん・・・」「・・・で?」の「・・・」に私の答えが現れているのを察してもらいたい。 夢の話には生産性も真実も1ミリも

          夢で逢えたら

          ヤンキーの彼

          4月から社会人となった娘の葵には、小学6年から付き合っている彼がいる。 悲しいことに今年10周年を迎えた。 彼は高校を2年で中退した「ヤンキー」である。 出席日数の不足や素行不良が原因ではなく、ただただ学力が足りなかったアホなヤンキーなのである。 やっとキーボードで小さい「っ」が打てるようになったとか、「最安値」を「サイアンチ」と読んでいたので会話が全く噛み合わなかったとか、小学校低学年レベルの話を娘から聞かされるたびに、いつまでそんな男と付き合っているのかと、決まって喧嘩

          彼がいた場所

          昨年の春、息子は大学生になった。 図らずも自分の父親と同じ大学だ。 学部は違うけれど、唯一受かった大学が偶然同じだった。 「よかったね、お父さんと同じで」と、まわりに言われるたび複雑な表情を見せていた。 本当は東京の大学に行きたかったけれど、浪人せずに現実を受け入れていた。 *  * * * * * * * * * * * *  社内恋愛の末結婚した私は、もちろん大学生だった頃の夫を知らない。 彼もまた息子と同じように東京の大学を第一志望としていたが、一浪しても桜が散りま